1939年

東京府板橋区志村にあった大日本セルロイド東京工場で火災。さらに隣接する日本火工の工場に延焼して爆発。死者32人、負傷者245人。

1939年、東京府板橋区志村の大日本セルロイド工場で火災が発生し、隣接する日本火工工場に延焼して爆発。死者32人、負傷者245人の大惨事となった。
1939年5月9日、東京府板橋区志村に所在した大日本セルロイド東京工場で火災が発生。 燃焼しやすいセルロイド素材が大量に保管されていたため火勢は急速に拡大した。 隣接する日本火工の工場にも延焼し、爆発が相次いで発生した。 最終的に死者32人、負傷者245人を出す大規模事故となり、周辺住民にも大きな衝撃を与えた。 この事故を契機に化学工場の防災対策や都市部工場配置の見直しが進められた。
1939年 東京府 板橋区 志村
1954年

翌10日にかけて日本海西部から北海道東方へ低気圧が急発達しながら進み、東北・北海道で漁船の沈没等348隻、死者・行方不明361名の日本海難史上最大の惨事となる。この嵐は、初めてメイストームと名付けられた。

1954年5月9日から10日にかけて、急発達した低気圧(メイストーム)が日本海を襲い、348隻の漁船が沈没しました。
1954年5月9日から10日にかけて急激に発達した低気圧(メイストーム)が日本海西部から北海道東方を襲いました。最大瞬間風速は40m/sを超え、漁船348隻が沈没または座礁しました。361名の死者・行方不明者を出す日本海難史上最悪の惨事となりました。北海道東方や東北沿岸では壊滅的な漁港被害が発生し、漁業関係者に深い衝撃を与えました。本事故を契機に気象庁は海上警報の体制強化や船舶への情報提供を充実させました。
1954年 メイストーム
1974年

伊豆半島沖地震。

1974年5月9日に伊豆半島沖で発生した地震。
1974年5月9日、伊豆半島沖の沈み込み帯付近で地震が発生した。 この地域は日本でも地震活動が活発なことで知られており、沿岸部を中心に強い揺れが観測された。 地震は短時間ながら広範囲で感じられ、住民に大きな不安をもたらした。 日本の防災意識向上や耐震対策の重要性を再認識させる契機となった。
1974年 伊豆半島沖地震