医師、歴史家、出版者、数学者、作曲家
医師
歴史家
出版者
数学者
作曲家
ドイツ生まれの医師でありながら数学者・歴史家・作曲家としても活動した多才な学者。
1711年ビーレフェルト生まれ。
大学で医学を学びながら数学や歴史研究にも従事。
音楽理論に関する著作を刊行し、作曲活動を行った。
音楽家を顕彰する雑誌『Mizlerische Musikalische Monatsschrift』を創刊。
J.S.バッハやG.P.テレマンとの交流を記録し、音楽史研究に貢献した。
1778年
ローレンツ・クリストフ・ミツラー
1711年
医師、博物学者
医師
博物学者
イタリア生まれの医師・博物学者。中欧の動植物分類に先駆的な業績を残した。
1723年にトレント近郊で生まれる。
ウィーン大学で医学を修め、宮廷医として勤務。
『Flora Carniolica』でカロニア地方の植物を詳細に記載。
昆虫学や鳥類学にも関心を持ち、多くの新種を記載した。
リンネと並ぶ自然史学の先駆者として評価され、標本収集も精力的に行った。
1788年
ジョヴァンニ・アントニオ・スコポリ
1723年
化学者
化学者
近代化学の基礎を築いたフランスの化学者。質量保存の法則を発見し元素の概念を確立。
1743年パリ生まれ。
酸素の役割を明らかにし、燃焼理論を一新した。
『化学原論(Traité élémentaire de chimie)』(1789年)を出版し、近代化学の教科書となる。
質量保存の法則の定式化や元素の定義など、化学体系の基礎を築いた。
革命期には徴税官としても活動したが、反革命の疑いで1794年に処刑された。
1794年
アントワーヌ・ラヴォアジエ
化学者
1743年
思想家、経済学者
思想家
経済学者
イギリスの思想家・経済学者で、功利主義や個人の自由論を提唱した。
1806年にロンドンで生まれ、父ジェームズ・ミルの薫陶を受けて幼くして哲学や経済学を学ぶ。
ベンサムの功利主義を発展させ、代表作『功利主義論』や『自由論』などで社会改良と個人の権利擁護を唱えた。
女性の権利擁護についても先駆的著作を残し、19世紀のフェミニズム運動に影響を与えた。
また『代表政府論』では民主主義制度の理論的基盤を築き、政治思想史に大きく寄与。
1873年に没し、その理論は現代の政治哲学や社会科学にも受け継がれています。
1873年
ジョン・スチュアート・ミル
思想家
経済学者
1806年
地理学者
地理学者
アメリカの地理学者、風土決定論の研究で知られる。
1863年アメリカに生まれ、スミス大学やコロンビア大学で学ぶ。
人文地理学の分野で風土決定論の紹介と独自研究を進めた。
フィールドワークを重視し、文化と環境の関係を多角的に分析。
1924年にはアメリカ地理学会初の女性会長に就任。
多くの著作を通じて地理学の発展に寄与し、後進育成にも尽力。
1932年に逝去し、地理学史に大きな足跡を残した。
1932年
エレン・センプル
地理学者
1863年
哲学者、歴史学者
哲学者
歴史学者
ドイツの哲学者・歴史学者。
1880年ドイツに生まれ、数学や科学から歴史哲学へと関心を移す。
1918年に『西洋の没落』を発表し、文明の周期論を提唱。
文化や国家を有機体として捉え、盛衰の法則性を論じた。
第一次世界大戦後のヨーロッパを鋭く分析し、保守主義的視点で議論を喚起。
学際的な方法で社会現象を考察し、思想界に大きな影響を与えた。
1936年に逝去し、その理論は現代でも再評価され続けている。
1936年
オスヴァルト・シュペングラー
哲学者
歴史学者
1880年
経済学者
経済学者
日本の経済学者。
1879年に生まれ、経済学の道を志す。
日本における近代経済学の普及に尽力し、多数の論文や著書を発表。
高等教育機関で教授を務め、後進の育成に貢献。
農業経済や産業構造の分析を通じて、当時の経済政策にも影響を与えた。
1940年に逝去し、日本の経済学界に基盤を築いた功績で知られる。
1940年
上田貞次郎
1879年
土木水利技術者
土木水利技術者
日本の土木技術者。台湾の農業基盤整備に尽力した。
1886年日本で生まれ、東京帝国大学で土木工学を学ぶ。
台湾総督府に赴任し、南部の灌漑計画を指揮。
嘉南大圳(大井ダム)の建設を通じて広大な農地の灌漑を実現。
地域社会に配慮した設計で農業生産性の飛躍的向上に寄与。
1942年の抗日運動に巻き込まれ、非業の死を遂げる。
その技術と熱意は今も台湾と日本で高く評価されている。
1942年
八田與一
1886年
化学者
化学者
日本の化学者。
1895年に生まれた日本の化学者です。化学の基礎研究に従事し、新しい合成手法や反応機構の解明に貢献しました。論文発表や学会活動を通じて研究成果を広く共有し、教育者として後進の指導にも力を注ぎました。1964年5月8日に永眠しました。
志方益三
1895年
社会学者
社会学者
アメリカの社会学者。
1902年生まれのアメリカの社会学者です。機能主義理論を発展させ、主要著作に『社会的行為の構造』や『社会システム』があります。社会システムの相互依存関係を分析し、現代社会学に多大な影響を与えました。1979年5月8日に逝去しました。
1979年
タルコット・パーソンズ
社会学者
1902年
医学博士、元瀬木学園理事長
医学博士
元瀬木学園理事長
医学博士として研究と教育に従事し、瀬木学園を率いた人物。
1908年に生まれ、医学を学び医学博士号を取得しました。教育機関である瀬木学園(愛知みずほ大学の前身)を理事長として率い、多くの医療従事者を育成しました。研究者としても医療・保健分野で業績を残し、地域医療の発展に貢献しました。晩年まで教育と研究に携わり、1982年5月8日に逝去しました。
1982年
瀬木三雄
愛知みずほ大学
1908年
東洋史学者、岡山大学名誉教授
東洋史学者
岡山大学名誉教授
日本の東洋史学者。岡山大学で後進の指導に尽力した。
1896年に生まれ、京都帝国大学で東洋史を専攻しました。岡山大学教授として唐代史を中心に研究を行い、多くの論文を発表しました。戦後の学界再建にも貢献し、学問の普及に力を尽くしました。定年退官後は名誉教授として後進の育成に尽力し、1990年5月8日に逝去しました。
1990年
内藤雋輔
岡山大学
1896年