1778年

ローレンツ・クリストフ・ミツラー

(1711 - 1778)

医師、歴史家、出版者、数学者、作曲家

医師 歴史家 出版者 数学者 作曲家
ドイツ生まれの医師でありながら数学者・歴史家・作曲家としても活動した多才な学者。
1711年ビーレフェルト生まれ。 大学で医学を学びながら数学や歴史研究にも従事。 音楽理論に関する著作を刊行し、作曲活動を行った。 音楽家を顕彰する雑誌『Mizlerische Musikalische Monatsschrift』を創刊。 J.S.バッハやG.P.テレマンとの交流を記録し、音楽史研究に貢献した。
1778年 ローレンツ・クリストフ・ミツラー 1711年
1788年

ジョヴァンニ・アントニオ・スコポリ

(1723 - 1788)

医師、博物学者

医師 博物学者
イタリア生まれの医師・博物学者。中欧の動植物分類に先駆的な業績を残した。
1723年にトレント近郊で生まれる。 ウィーン大学で医学を修め、宮廷医として勤務。 『Flora Carniolica』でカロニア地方の植物を詳細に記載。 昆虫学や鳥類学にも関心を持ち、多くの新種を記載した。 リンネと並ぶ自然史学の先駆者として評価され、標本収集も精力的に行った。
1788年 ジョヴァンニ・アントニオ・スコポリ 1723年
1794年

アントワーヌ・ラヴォアジエ

(1743 - 1794)

化学者

化学者
近代化学の基礎を築いたフランスの化学者。質量保存の法則を発見し元素の概念を確立。
1743年パリ生まれ。 酸素の役割を明らかにし、燃焼理論を一新した。 『化学原論(Traité élémentaire de chimie)』(1789年)を出版し、近代化学の教科書となる。 質量保存の法則の定式化や元素の定義など、化学体系の基礎を築いた。 革命期には徴税官としても活動したが、反革命の疑いで1794年に処刑された。
1794年 アントワーヌ・ラヴォアジエ 化学者 1743年
1873年

ジョン・スチュアート・ミル

(1806 - 1873)

思想家、経済学者

思想家 経済学者
イギリスの思想家・経済学者で、功利主義や個人の自由論を提唱した。
1806年にロンドンで生まれ、父ジェームズ・ミルの薫陶を受けて幼くして哲学や経済学を学ぶ。 ベンサムの功利主義を発展させ、代表作『功利主義論』や『自由論』などで社会改良と個人の権利擁護を唱えた。 女性の権利擁護についても先駆的著作を残し、19世紀のフェミニズム運動に影響を与えた。 また『代表政府論』では民主主義制度の理論的基盤を築き、政治思想史に大きく寄与。 1873年に没し、その理論は現代の政治哲学や社会科学にも受け継がれています。
1873年 ジョン・スチュアート・ミル 思想家 経済学者 1806年
1932年

エレン・センプル

(1863 - 1932)

地理学者

地理学者
アメリカの地理学者、風土決定論の研究で知られる。
1863年アメリカに生まれ、スミス大学やコロンビア大学で学ぶ。 人文地理学の分野で風土決定論の紹介と独自研究を進めた。 フィールドワークを重視し、文化と環境の関係を多角的に分析。 1924年にはアメリカ地理学会初の女性会長に就任。 多くの著作を通じて地理学の発展に寄与し、後進育成にも尽力。 1932年に逝去し、地理学史に大きな足跡を残した。
1932年 エレン・センプル 地理学者 1863年
1936年

オスヴァルト・シュペングラー

(1880 - 1936)

哲学者、歴史学者

哲学者 歴史学者
ドイツの哲学者・歴史学者。
1880年ドイツに生まれ、数学や科学から歴史哲学へと関心を移す。 1918年に『西洋の没落』を発表し、文明の周期論を提唱。 文化や国家を有機体として捉え、盛衰の法則性を論じた。 第一次世界大戦後のヨーロッパを鋭く分析し、保守主義的視点で議論を喚起。 学際的な方法で社会現象を考察し、思想界に大きな影響を与えた。 1936年に逝去し、その理論は現代でも再評価され続けている。
1936年 オスヴァルト・シュペングラー 哲学者 歴史学者 1880年
1940年

上田貞次郎

(1879 - 1940)

経済学者

経済学者
日本の経済学者。
1879年に生まれ、経済学の道を志す。 日本における近代経済学の普及に尽力し、多数の論文や著書を発表。 高等教育機関で教授を務め、後進の育成に貢献。 農業経済や産業構造の分析を通じて、当時の経済政策にも影響を与えた。 1940年に逝去し、日本の経済学界に基盤を築いた功績で知られる。
1940年 上田貞次郎 1879年
1942年

八田與一

(1886 - 1942)

土木水利技術者

土木水利技術者
日本の土木技術者。台湾の農業基盤整備に尽力した。
1886年日本で生まれ、東京帝国大学で土木工学を学ぶ。 台湾総督府に赴任し、南部の灌漑計画を指揮。 嘉南大圳(大井ダム)の建設を通じて広大な農地の灌漑を実現。 地域社会に配慮した設計で農業生産性の飛躍的向上に寄与。 1942年の抗日運動に巻き込まれ、非業の死を遂げる。 その技術と熱意は今も台湾と日本で高く評価されている。
1942年 八田與一 1886年
1964年

志方益三

(1895 - 1964)

化学者

化学者
日本の化学者。
1895年に生まれた日本の化学者です。化学の基礎研究に従事し、新しい合成手法や反応機構の解明に貢献しました。論文発表や学会活動を通じて研究成果を広く共有し、教育者として後進の指導にも力を注ぎました。1964年5月8日に永眠しました。
志方益三 1895年
1979年

タルコット・パーソンズ

(1902 - 1979)

社会学者

社会学者
アメリカの社会学者。
1902年生まれのアメリカの社会学者です。機能主義理論を発展させ、主要著作に『社会的行為の構造』や『社会システム』があります。社会システムの相互依存関係を分析し、現代社会学に多大な影響を与えました。1979年5月8日に逝去しました。
1979年 タルコット・パーソンズ 社会学者 1902年
1982年

瀬木三雄

(1908 - 1982)

医学博士、元瀬木学園理事長

医学博士 元瀬木学園理事長
医学博士として研究と教育に従事し、瀬木学園を率いた人物。
1908年に生まれ、医学を学び医学博士号を取得しました。教育機関である瀬木学園(愛知みずほ大学の前身)を理事長として率い、多くの医療従事者を育成しました。研究者としても医療・保健分野で業績を残し、地域医療の発展に貢献しました。晩年まで教育と研究に携わり、1982年5月8日に逝去しました。
1982年 瀬木三雄 愛知みずほ大学 1908年
1990年

内藤雋輔

(1896 - 1990)

東洋史学者、岡山大学名誉教授

東洋史学者 岡山大学名誉教授
日本の東洋史学者。岡山大学で後進の指導に尽力した。
1896年に生まれ、京都帝国大学で東洋史を専攻しました。岡山大学教授として唐代史を中心に研究を行い、多くの論文を発表しました。戦後の学界再建にも貢献し、学問の普及に力を尽くしました。定年退官後は名誉教授として後進の育成に尽力し、1990年5月8日に逝去しました。
1990年 内藤雋輔 岡山大学 1896年