1847年
アメリカ医師会発足。
アメリカ医師会(AMA)が設立され、医療専門職の統一団体が誕生した。
1847年5月7日、米国内の医師社会を統合する組織としてアメリカ医師会(AMA)が創設されました。
AMAは各州の医師会による連合体として、医療教育の標準化や医師倫理規定の制定を目的に設立されました。
設立当初は医師の登録制度や医学教育カリキュラムの整備に注力し、専門職としての地位向上を図りました。
また、公衆衛生政策への提言や疾病予防の啓発活動など、医療制度全般にわたる影響力を拡大していきました。
現在でもAMAは米国最大の医師団体として、医療政策や臨床ガイドラインにおいて重要な役割を担っています。
1847年
アメリカ医師会
1888年
海軍軍医総監高木兼寛ら25人に日本初の博士号が授与される。
日本初の博士号が高木兼寛ら25人に授与され、学術の新たな時代が始まった。
1888年5月7日、日本で初めての博士号が海軍軍医総監・高木兼寛ら25人に授与されました。
これは明治政府が西洋に倣い学位制度を導入し、学術研究や専門家教育の枠組みを整備した象徴的出来事です。
高木兼寛は脚気研究で成果を上げたことで評価され、医学分野での先駆的存在として名を馳せました。
博士号授与により、大学や研究機関での学術的権威が確立され、専門職の地位向上につながりました。
同時に、各界での研究活動が活発化し、日本の近代化と学術発展に大きく寄与しました。
1888年
高木兼寛
博士
1962年
京都市天竜寺にて第一回科学者京都会議が開催される。湯川秀樹が主宰したもので、日本版のパグウォッシュ会議となった。核兵器禁止条約締結の必要性を世界にアピール。
1962年5月7日、京都・天竜寺で第一回科学者京都会議(日本版パグウォッシュ会議)が開催された。
科学者京都会議は湯川秀樹らが主催し、核兵器の危険性を訴えるために企画された。
パグウォッシュ会議の日本版として、西欧やアジアの研究者が参加し平和的研究の推進を目指した。
会議では核兵器禁止条約の必要性が議論され、国際的な学術者ネットワークの構築が図られた。
日本初の核軍縮運動の一環として、科学者の社会的責任や倫理についても深く討議された。
この会議は以後も継続され、世界の核兵器廃絶運動における重要な拠点となった。
1962年
京都市
天竜寺
湯川秀樹
パグウォッシュ会議
核兵器禁止条約
1992年
スペースシャトル「エンデバー」がSTS 49ミッションで初飛行。
スペースシャトル「エンデバー」が複雑ミッションで初飛行を成功させた。
スペースシャトル「エンデバー」の軌道投入は5月7日、ケネディ宇宙センターから行われた。
STS-49ミッションでは通信衛星INTELSAT VI-F3の捕獲・再投入を目的とした。
世界初の3人同時宇宙遊泳を含む計4回の宇宙遊泳が実施され、大きな技術的挑戦となった。
ミッションの成功により、後の衛星修復や大型構造物組立技術が飛躍的に進歩した。
エンデバーはこの飛行で屈指の複雑ミッションを成し遂げた新鋭機として知られる。
1992年
エンデバー
STS-49