260年

曹髦

(241 - 260)

魏の第4代皇帝

魏の第4代皇帝
中国三国時代の魏の第4代皇帝で、若くして実権を巡る争いに巻き込まれ非業の死を遂げた。
241年に生まれ、三国時代の雄魏に皇族として育つ。 254年、13歳で第4代皇帝に即位し、若年ながら国家の頂点に立つ。 実権は司馬懿・司馬師ら権臣の手中にあり、政治は混乱を極めた。 260年、実権奪還を図るクーデターを起こすも失敗し、侍臣によって殺害される。 その死をもって魏の皇族勢力は一層弱体化し、晋の建国への道が開かれた。 わずか20年の短い生涯は、権力闘争が激化した三国時代の象徴とされる。
260年 曹髦 皇帝 241年
973年

オットー1世

(912 - 973)

神聖ローマ帝国初代皇帝

神聖ローマ帝国初代皇帝
962年にローマ皇帝に戴冠され、神聖ローマ帝国の初代皇帝となった中世ヨーロッパの名君。
912年に生まれ、東フランク王国の王子として育つ。 936年に東フランク王(ドイツ王)として即位し、勢力を拡大。 マジャール人やスラヴ人の侵入を撃退し、国内の安定を図った。 962年、教皇ヨハネス12世によってローマ皇帝に戴冠され、神聖ローマ帝国を樹立。 中世ヨーロッパの政治的統合と教会との協調を推進し、その基礎を築いた。 973年に没し、その後の神聖ローマ帝国の伝統と権威に大きな影響を与えた。
973年 オットー1世 神聖ローマ帝国 皇帝 912年
1166年

グリエルモ1世

(1120 - 1166)

シチリア王

シチリア王
12世紀のシチリア王国初代王。強権的な統治から『悪王』の異名を取ることもあった。
1120年に生まれ、初代王ロジェーノ2世の子として育つ。 1154年、父の死に伴いシチリア王に即位。 強権政治を展開し、ノルマン貴族やバローニを重用して王権を強化。 課税や徴用への反発から『悪王』の異名を得た。 1166年に病没し、その専制的な治世は賛否両論を呼んだ。 しかし中央集権化を進めた功績は、シチリア王国の発展の礎となった。
1166年 グリエルモ1世 シチリア 1120年
1205年

ラースロー3世

(1199 - 1205)

ハンガリー王国国王

ハンガリー王国国王
幼くしてハンガリー王に即位した幼帝。夭折により短い治世に終わった悲運の君主。
1199年に生まれ、大ハンガリー貴族の出身として育つ。 1204年、わずか5歳で父の死を受けハンガリー王に即位。 実権は母テオドラと貴族が掌握し、王権は揺らいでいた。 翌1205年に戦役中に倒れ、6歳で早世。 短い治世は王朝の内紛を深刻化させ、ハンガリー王国の政治的混乱を招いた。
1205年 ラースロー3世 ハンガリー王国 1199年
弘安7年4月21日

島津久経

(1225 - 1284)

武将

武将
鎌倉時代の武将、島津氏の勢力拡大に寄与し、九州南部統一の基礎を築いた。
1225年に生まれ、島津氏の一族として育つ。 元寇前後の混乱期に勢力を伸ばし、九州南部で地盤を固めた。 大友氏や薩摩・大隅諸領主との抗争を指導し、領土拡大に成功。 1284年に薩摩国で没するまで長年にわたり島津氏の統率を担った。 彼の手腕が島津氏の強大化を促し、後の南九州支配の礎となった。
1284年 弘安 4月21日 島津久経 武将 1225年
1617年

ダーヴィト・ファブリツィウス

(1564 - 1617)

天文学者

天文学者
ドイツの天文学者、変光星ミラを初めて発見したことで知られる。
1564年にドイツで生まれ、ルター派の牧師としても活動。 1596年、秋の星座を観測中に後にミラと命名される変光星を発見。 星の明るさの周期的変化を記録し、変光星研究の先駆者となった。 天文観測の他に暦の改良や測地学的調査にも取り組んだ。 1617年に没し、その観測記録は後世の天文学発展に大きく寄与した。
1617年 ダーヴィト・ファブリツィウス 天文学者 1564年
明暦3年3月24日

鍋島勝茂

(1580 - 1657)

大名

大名
江戸時代初期の佐賀藩初代藩主。大阪の陣などで武功を挙げ、鍋島氏の基礎を築いた。
1580年に生まれ、鍋島直茂の子として肥前佐賀藩の当主となる。 関ヶ原の戦いでは東軍に参陣し、戦後に佐賀藩主として所領を安堵される。 大阪冬の陣・夏の陣では幕府方として参戦し、武功を重ねた。 幕藩体制の確立に貢献し、佐賀藩の統治基盤を盤石なものとした。 1657年に没し、以後の鍋島氏繁栄の礎を築いた。
1657年 明暦 3月24日 鍋島勝茂 大名 1580年
1667年

ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー

(1616 - 1667)

作曲家

作曲家
ドイツの作曲家・チェンバロ奏者。バロック音楽における鍵盤音楽の発展に寄与した。
1616年にシュトゥットガルト近郊で生まれる。 宮廷音楽家としてハプスブルク家に仕え、イタリアやフランスでも研鑽を積む。 リュート様式やトッカータ、組曲などチェンバロのための作品を多数作曲。 その作品はJ.S.バッハをはじめ、多くのバロック作曲家に影響を与えた。 1667年に没し、バロック鍵盤音楽の発展に重要な役割を果たした。
1667年 ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー 作曲家 1616年
1682年

フョードル3世

(1661 - 1682)

モスクワ大公

モスクワ大公
ロシア・モスクワ大公として在位した短命の君主。文化・教育の振興にも努めた。
1661年にアレクセイ・ミハイロヴィチの子として誕生。 1676年、15歳でモスクワ大公に即位し、国政を掌握。 知識人育成や古典の学習を奨励し、文化・教育の発展を図った。 正教会内の勢力争いを調整し、宮廷改革を試みた。 1682年に急逝し、後継争いの混乱を招いた。
1682年 フョードル3世 モスクワ大公 1661年
1718年

メアリー

(1658 - 1718)

イングランド王ジェームズ2世の王妃

イングランド王ジェームズ2世の王妃
イングランド王ジェームズ2世の王妃として政治的影響力を持ち、カトリック復権に尽力した。
1658年、イタリア・モデナ公爵家に生まれる。 1673年にイングランド王太子ジェームズ(後のジェームズ2世)と結婚。 カトリック教徒として王権強化とカトリック復権を支持する立場を取る。 1688年の名誉革命ではフランスへ亡命し、その後もカトリック勢力の象徴となった。 1718年にスイスで死去し、王妃としての影響はイギリスの宗教政治に大きな足跡を残した。
1718年 メアリー イングランド ジェームズ2世 1658年
1777年

シャルル・ド・ブロス

(1709 - 1777)

思想家、民族学者

思想家 民族学者
フランスの思想家・民族学者。比較宗教や神話に関する研究を通じて、「民族学」という概念を提唱した。
シャルル・ド・ブロスは1709年に生まれ、パリ王立高等師範学校で学んだ。彼は古代史や東洋思想に造詣が深く、著書『南方航海記』などで異文化理解の重要性を説いた。1765年に『思想史概論』を刊行し、比較宗教研究を体系化した。彼の著作には「民族学(ethnology)」という用語が初めて登場し、人類学研究の基礎を築いた。王立ポンパドゥール図書館の蔵書管理官も務め、学術界に多大な影響を与えた。1777年に死去したが、その功績は後世の人類学・民族学研究に受け継がれている。
1777年 シャルル・ド・ブロス 1709年
1793年

ピエトロ・ナルディーニ

(1722 - 1793)

作曲家、ヴァイオリニスト

作曲家 ヴァイオリニスト
イタリアのヴァイオリニスト・作曲家。タルティーニに師事し、優雅なヴァイオリン音楽で知られる。
ピエトロ・ナルディーニは1722年にリヴォルノで生まれ、ジェズアルド・タルティーニの下で技術を磨いた。1749年にオーストリアの宮廷に招聘され、シュトゥットガルト宮廷楽団のコンサートマスターを務めた。彼の作風は優雅で叙情的なメロディが特徴で、多くのヴァイオリン協奏曲やソナタを作曲した。1780年代には音楽教師としても活躍し、貴族や皇族の家庭教師を務めた。1793年に没するまで、その演奏と作品は広く高く評価され続けた。
1793年 ピエトロ・ナルディーニ 1722年