敏達14年3月30日
仏教排斥を唱える物部守屋が、崇仏派の蘇我馬子が大野丘(甘樫丘)北方に建造した仏塔を焼打ちする。蘇我・物部戦争(丁末の役)の端緒。
物部守屋が蘇我馬子の仏塔を焼き討ちし、仏教を巡る大規模な氏族抗争が始まった事件です。
6世紀の日本では蘇我氏と物部氏が仏教の受容を巡り対立していました。
585年3月30日(敏達14年)、物部守屋は甘樫丘北方に蘇我馬子が建立した仏塔を焼き討ちしました。
この行動が蘇我・物部戦争(丁末の役)の発端となり、両氏族の武力衝突が激化します。
仏教を支持する蘇我氏と排斥を主張する物部氏の対立は、後の日本の宗教政策にも大きな影響を及ぼしました。
この事件を契機に蘇我氏は勢力を拡大し、仏教文化の定着が進みました。
585年
3月30日
仏教
物部守屋
蘇我馬子
甘樫丘
丁末の役