1780年
英エプソム競馬場で第1回ダービーステークス開催。
イギリスのエプソム競馬場で伝統的なダービーステークスの第1回レースが行われました。
1780年5月4日、サリー州エプソム競馬場において第1回ダービーステークスが開催されました。
このレースは12代ダービー伯爵が創設し、当初は生産者や馬主の資金調達目的でした。
距離は1マイル4ハロン(約2.4km)で、3歳馬のみが出走可能と定められています。
以降ダービーは英国フラット競馬の最高峰とされ、多くの名馬が栄光を手にしました。
今日でも“ダービー”といえばこのレースを指し、世界中の競馬ファンから注目を集めます。
1780年
英
エプソム競馬場
ダービーステークス
1871年
アメリカでプロ野球リーグ・全米プロ野球選手協会(ナショナル・アソシエーション)の最初の試合が行われる。
世界初のプロ野球リーグNAの開幕戦が行われ、プロ野球の歴史が始まりました。
1871年5月4日、アメリカで全米プロ野球選手協会(National Association)が主催する最初の公式試合が開催されました。
このリーグは世界初のプロフェッショナル野球組織とされ、プロ選手による対戦が定期的に行われました。
試合は数チーム間でリーグ戦形式で行われ、観客動員や興行収入に新たな可能性を示しました。
ナショナル・アソシエーションは1871年から1875年まで存続し、後のナショナル・リーグ設立へとつながります。
アメリカにおけるプロスポーツ興行の礎を築いた画期的なイベントです。
1871年
アメリカ
全米プロ野球選手協会
1904年
ブンデスリーガのシャルケ04創設。
1904年5月4日、ドイツのゲルゼンキルヒェンで名門サッカークラブ『シャルケ04』が創設されました。
シャルケ04は1904年5月4日に鉱夫らによって設立され、その後ドイツ有数のサッカークラブへと成長しました。チームカラーの青と白は地域の伝統を反映し、欧州カップ戦でも度々成功を収めています。創設以来、クラブは多くのタイトルを獲得し、熱狂的なサポーターを抱えるなど地域社会にも大きな影響を与えています。今日でもブンデスリーガで活躍し続ける歴史あるクラブです。
1904年
ブンデスリーガ
シャルケ04
1924年
第8回夏季オリンピック・パリ大会が開幕。7月27日まで。
1924年5月4日、フランス・パリで第8回夏季オリンピックが開幕しました。
第8回夏季オリンピックは1924年5月4日にパリで開幕し、前回アントワープ大会を上回る3,000人以上の選手が参加しました。競技は約200種目に及び、陸上や水泳など多彩な種目が行われました。初めて公式エルフリンピア(オリンピア村)が設置されるなど大会運営の近代化が進みました。アメリカやフィンランドなどが多くのメダルを獲得し、スポーツ史に残る名勝負も数多く生まれました。大会は7月27日まで続き、フランス国内外で大きな盛り上がりを見せました。
1924年
第8回夏季オリンピック・パリ大会
7月27日
1936年
阪神タイガースの藤井勇がランニングホームランを記録。日本プロ野球初の本塁打。
1936年5月4日、阪神タイガースの藤井勇が日本プロ野球史上初のランニングホームランを達成しました。
同日行われた公式戦で、藤井勇は外野へ飛んだ打球をフェンスに当たる前に捕球されず、塁を駆け抜けて本塁を陥れました。これが日本プロ野球における初のランニングホームランとして記録され、その鮮やかな走塁はファンの度肝を抜きました。当時の球場は天然芝でフェンスも低く、現代のスタイルとは異なりましたが、歴史的な一打として今も語り継がれています。
1936年
阪神タイガース
藤井勇
本塁打
1949年
イタリア・トリノ郊外でアリタリア航空機が墜落、ACトリノの選手18人を含む乗員・乗客31人が全員死亡。(スペルガの悲劇)
1949年5月4日、トリノ郊外で発生したACトリノのサッカー選手らを乗せたアリタリア航空機墜落事故です。
乗員・乗客31人が犠牲となった悲劇は「スペルガの悲劇」と呼ばれています。
1949年5月4日、イタリア・トリノ近郊のスペルガでアリタリア航空機が墜落し、乗員・乗客31人全員が死亡しました。
この事故には当時絶対的強者と称されたサッカークラブACトリノの選手18人を含むチームが搭乗しており、世界中に衝撃を与えました。
悪天候と視界不良の中、飛行機は山腹に衝突し、即死とされる悲惨な事故となりました。
「スペルガの悲劇」はサッカー界を震撼させ、トリノ市民に深い悲しみをもたらしました。
その後、事故現場には記念碑が建てられ、今も多くのファンが訪れています。
1949年
イタリア
トリノ
アリタリア航空
ACトリノ
スペルガの悲劇
1957年
出羽海日本相撲協会理事長が国技館内で自殺未遂。
日本相撲協会理事長の出羽海が国技館内で自殺未遂を起こしました。
角界を揺るがした衝撃的な事件です。
1957年5月4日、日本相撲協会理事長を務めていた出羽海が国技館内で自ら命を絶とうとし、未遂に終わりました。
背景には協会内の人事や運営を巡る激しい対立があったとされ、深刻な問題を浮き彫りにしました。
当時、相撲界は興行収益や派閥抗争など内部の混乱を抱えており、理事長の精神的な負担は大きかったと言われています。
事件後、出羽海は療養生活に入り、相撲協会の体制見直しや改革が議論されるきっかけとなりました。
今日では、この事件は相撲界の歴史に残るショッキングな出来事として知られています。
1957年
出羽海
日本相撲協会
1974年
堀江謙一が小型ヨット「マーメイド3世号」での単独無寄港世界一周を終え大阪に帰港。世界で3人目。
堀江謙一が小型ヨット「マーメイド3世号」で単独無寄港の世界一周を達成し大阪に帰港しました。
世界で3人目となる快挙です。
1974年5月4日、冒険家の堀江謙一は小型ヨット「マーメイド3世号」で単独無寄港世界一周を達成し、大阪に帰港しました。
同種の航海は非常に困難とされ、乗員交代も寄港もなく115日間にわたり海上を航行しました。
ヨットの全長はわずか5.4メートルほどで、厳しい波や嵐に耐え抜いた堀江の技術と勇気が注目されました。
帰港時には多数の市民が出迎え、メディアからは日本人初ともされる大きな称賛を受けました。
この航海は個人の冒険心と技術の限界に挑む象徴的な出来事となりました。
1974年
堀江謙一
世界一周
1974年
中世古直子、内田昌子、森美枝子の3人の日本人女性が、シェルパのジャンブーと共がマナスルの登頂に成功。女性初の8000メートル峰の登頂。なお、翌年5月16日、田部井淳子が女性初のエベレスト登頂を果たす。
中世古直子ら3人の日本人女性がシェルパと共にマナスル登頂に成功しました。
女性初の8000メートル峰登頂という快挙です。
1974年5月4日、日本人女性登山家の中世古直子、内田昌子、森美枝子がシェルパのジャンブーとともにマナスル(標高8163m)登頂に成功しました。
女性が8000メートル峰を制したのは世界初の快挙であり、登山界に大きなインパクトを与えました。
パキスタン・ヒマラヤの険しいルートを乗り越え、酸素ボンベなしでの挑戦は特に注目されました。
この成果は女性の登山能力を証明し、その後の田部井淳子によるエベレスト登頂(1975年)への道を拓きました。
マナスル登頂成功のニュースは日本国内外で報じられ、多くの人々に勇気と希望を与えました。
マナスル
8000メートル峰
5月16日
田部井淳子
2022年
元アルゼンチン代表のサッカー選手、ディエゴ・マラドーナが、1986年ワールドカップ準々決勝で、「神の手」・「五人抜き」ゴールを決めた時に着用していたユニホームが、スポーツ関連商品史上最高額の714万2500ポンドで落札される。
2022年5月4日、ディエゴ・マラドーナが1986年W杯準々決勝で着用したユニホームが史上最高額でオークション落札されました。
2022年5月4日、サッカーのレジェンド、ディエゴ・マラドーナが1986年ワールドカップ準々決勝アルゼンチン対イングランド戦で着用したユニホームがオークションに出品されました。
同戦は『神の手ゴール』と『5人抜きゴール』で知られ、出品されたユニホームは714万2500ポンド(約11億円)というスポーツ関連商品の史上最高額で落札されました。
購入者は非公開とされましたが、サッカーファンやコレクターの間で大きな話題となりました。
このユニホームはサッカー史の象徴的な逸品として、今後の展示や保管にも注目が集まっています。
2022年
アルゼンチン代表
ディエゴ・マラドーナ
1986年