1814年

スペイン国王フェルナンド7世が、憲法を拒否し絶対君主制に戻すことを宣言。

フェルナンド7世が憲法を取り消し、スペインを再び絶対君主制へと戻した宣言です。
1812年に制定されたカディス憲法はリベラル改革を進めていましたが、フェルナンド7世はこれを受け入れることを拒否しました。 1814年5月4日、王は憲法の廃止と絶対君主制の復活を宣言し、自由主義者や議会勢力を弾圧しました。 この決定はスペイン国内の政治的対立を深刻化させ、後のカルリスタ戦争へとつながる要因となります。 王権神授説を唱えたフェルナンド7世は、王政復古を通じて旧来の封建的秩序を守ろうとしました。 スペイン近代化の停滞を招いた重要な転換点です。
1814年 スペイン フェルナンド7世 絶対君主制
安政3年4月11日

江戸幕府が築地の講武所に軍艦操練所を設置。

幕府が築地講武所内に軍艦操練所を開設し、洋式海軍操練の導入を図りました。
1856年5月4日(安政3年4月11日)、江戸幕府は築地の講武所に軍艦操練所を設置しました。 これはペリー来航後の海防強化策の一環として、西洋式の艦船操練と砲術訓練を行う施設です。 設立には勝海舟らが関わり、幕府直営で将校や水夫の養成が始まりました。 この取り組みは後の日本海軍の創設につながり、明治維新後の近代海軍建設に大きな基盤を提供しました。 軍事技術の近代化を通じて幕府の国防力強化を目指した重要な一歩でした。
1856年 安政 4月11日 講武所 軍艦操練所
1894年

三国干渉: 日本が遼東半島の全面放棄の勧告を受諾。

日清戦争勝利後、列強の圧力で日本が遼東半島を清に返還した外交的事件です。
1894年5月4日、日本は日清戦争での勝利を受けて遼東半島の租借権を保持していましたが、ロシア・ドイツ・フランスの三国から返還の勧告を受け入れました。この三国干渉により日本は戦略的要地を失い、国内では屈辱と受け止められました。政府は軍備増強や内政改革を急ぎ、その後の日露戦争への伏線ともなりました。国民感情を大きく揺さぶった外交事件として記憶されています。
1894年 三国干渉 遼東半島
1932年

アル・カポネがアトランタ刑務所に収監される。

1932年5月4日、シカゴのギャング王アル・カポネが脱税容疑でアトランタ刑務所に収監されました。
禁酒法時代にシカゴで巨大な犯罪組織を築いたアル・カポネは、度重なる暴力事件にもかかわらず摘発を免れていました。しかし最終的に脱税容疑で起訴され、1932年5月4日にアトランタ連邦刑務所へ収監されました。彼の収監はアメリカ政府による組織犯罪撲滅の象徴的出来事とされ、犯罪史に大きな足跡を残しました。後に移送先をフロリダ州のアルキャポネ島へと変更され、その後もメディアで度々取り上げられました。
1932年 アル・カポネ アトランタ
1946年

GHQが、組閣寸前だった鳩山一郎の公職追放を発表。

GHQが戦後の公職追放政策として、鳩山一郎を対象に発表した歴史的決定です。 当時の日本政治に大きな影響を与えました。
1946年5月4日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、戦前から政界に影響力を持っていた鳩山一郎の公職追放を発表しました。 これは戦後日本で行われた公職追放政策の一環であり、軍国主義者や戦争責任者の排除を目的としていました。 鳩山一郎は第二次世界大戦中に外務大臣を務めており、その経歴が追放の要因となりました。 この措置は、戦後の民主化と非軍事化を進めるGHQの施策として大きな議論を呼びました。 後に鳩山は追放解除後、1954年に内閣総理大臣に就任し、日本の戦後政治に再び影響を与える存在となりました。
1946年 GHQ 鳩山一郎 公職追放
1951年

イランで「石油国有化法」成立。イギリス資本のアングロ・イラニアン石油会社 (AIOC) を国有化。

イランで石油産業の国有化を定める「石油国有化法」が成立しました。 英資本のアングロ・イラニアン石油会社を国有化した歴史的決定です。
1951年5月4日、イラン議会はモハンマド・モサデク首相の主導で「石油国有化法」を成立させました。 これにより、イギリス資本が所有していたアングロ・イラニアン石油会社(AIOC)を国有化しました。 法案は国民の石油資源を自らの手に取り戻すことを目的としており、英国との大きな対立を生みました。 イラン国民の強い支持を受ける一方、国際的には経済制裁や外交危機を招く結果となりました。 この出来事は中東の石油問題と政情不安の発端となり、後のクーデターや冷戦構造にも影響を与えました。
1951年 イラン アングロ・イラニアン石油会社 英語版
1979年

イギリスで保守党のマーガレット・サッチャーが首相に就任。

イギリスで保守党のマーガレット・サッチャーが首相に就任し、初の女性首相となりました。 新たな時代の幕開けを象徴する出来事です。
1979年5月4日、マーガレット・サッチャーがイギリスの第70代首相に就任し、同年就任した最初の女性首相となりました。 彼女は経済自由化政策を推進する強硬な姿勢から「鉄の女」と呼ばれ、労組規制や公共部門民営化など大胆な改革を断行しました。 サッチャー政権はインフレ抑制や財政再建を重視し、従来の労働党政権とは一線を画しました。 冷戦期においてアメリカのレーガン政権と緊密な関係を築き、保守主義的外交政策を展開しました。 彼女のリーダーシップスタイルと政策は、国内外で賛否両論を巻き起こし、その後の政治潮流に大きな影響を与えました。
1979年 保守党 マーガレット・サッチャー
1990年

ソビエト連邦の崩壊: ソ連のラトビア共和国最高会議が「独立の回復に関する宣言」を採択。

1990年5月4日、ラトビア共和国最高会議がソビエト連邦からの独立回復を宣言しました。
1989年の民主選挙を経て政権を掌握したラトビア共和国最高会議は、1990年5月4日に『独立の回復に関する宣言』を採択しました。 この宣言はバルト三国の独立運動の先駆けとなり、冷戦終結とソ連解体への道筋を大きく加速させました。 当初モスクワ政府は強硬姿勢を示しましたが、後に各種法整備を通じてバルト諸国の主権を容認する流れを余儀なくされました。 ラトビアの動きはエストニアやリトアニアにも波及し、1991年8月には完璧な独立を果たす重要なステップとなりました。
1990年 ソビエト連邦の崩壊 ラトビア共和国
2019年

今上天皇の即位後、初の一般参賀が行われる。

2019年5月4日、今上天皇の即位後初めて一般参賀が行われ、多くの国民が皇居に集いました。
2019年(令和元年)5月4日、皇位継承を終えた今上天皇陛下の即位後初の一般参賀が皇居宮殿前広場で実施されました。 当日は天皇・皇后両陛下および皇族方がベランダに並び、参賀者の祝意に手を振って応えました。 好天に恵まれ、約12万人の参賀者が訪れ、新たな令和時代の幕開けを祝いました。 政府は混雑緩和のため事前抽選制や入場経路の整理などを行い、安全かつ円滑に式典を運営しました。
2019年 今上天皇 即位 一般参賀