慶応4年4月11日

江戸城が明治政府軍に無血開城。旧暦3月13日、3月14日に、勝海舟と西郷隆盛が会談し、徳川慶喜の故郷水戸への謹慎、軍艦・兵器の引渡しなどで合意。4月4日に橋本実梁と柳原前光が勅使として江戸城に入城し、この日、正式に明渡しが行われた。

江戸城が無血開城し、明治政府軍に引き渡されました。 勝海舟と西郷隆盛の会談が歴史的合意を生んだ瞬間です。
旧暦慶応4年3月13日(新暦5月3日)に江戸城無血開城が行われました。 これは徳川慶喜の謹慎および軍艦・兵器の引き渡しを含む合意で、主として勝海舟と西郷隆盛によって取りまとめられました。 橋本実梁と柳原前光が勅使として城内に入り、正式な明渡しが執り行われました。 この開城により、江戸は大規模な戦闘を避けて無血で明治政府の手に渡りました。 徳川幕府の終焉を告げ、日本の近代国家形成への道を開いた重要な転換点です。 市民の被害を最小限に留めた点でも評価され、維新史上屈指の和平交渉として知られています。
1868年 慶応 4月11日 江戸城 無血開城 勝海舟 西郷隆盛 徳川慶喜 橋本実梁 柳原前光
1928年

済南事件(済南慘案): 山東省済南で日本軍と国民政府軍が衝突。

1928年、山東省済南で日本軍と中国国民政府軍が衝突し、済南事件が発生しました。 日中関係に大きな影を落とした事件です。
北伐中の国民政府軍が山東省に進出したのに対し、日本は利権保護を理由に軍を増派しました。 これにより両軍の小規模衝突が激化し、多数の民間人が犠牲になりました。 日本側は軍隊行動を正当化し、中国側は主権侵害と非難したため、国際的な批判が高まりました。 事件は国際連盟でも取り上げられ、東アジア情勢の緊張をさらに深める結果となりました。 後に両国間の外交交渉や条約再交渉が続き、満州事変への伏線ともなりました。
1928年 済南事件 山東省 済南 国民政府
1942年

第二次世界大戦・フロリダ諸島の戦い: 日本軍がツラギ(現ソロモン諸島)を占領する。

1942年、第二次世界大戦中に日本軍がソロモン諸島のツラギ島を占領しました。 フロリダ諸島の戦いの一環です。
フロリダ諸島の戦いでは、ツラギ島が日本海軍の前進基地として重要視されました。 5月3日に上陸部隊が現地守備隊を制圧し、短期間で島を占領しました。 日本軍は飛行場建設や水上機基地の整備を進め、南太平洋での戦略拠点としました。 これに対し、連合軍はツラギ奪回作戦を計画し、ソロモン諸島海戦へと発展していきます。 戦略的価値の高い島の奪取は、太平洋戦線における勢力均衡を左右する出来事でした。
1942年 第二次世界大戦 フロリダ諸島の戦い 日本軍 ソロモン諸島
1945年

第二次世界大戦・ビルマの戦い: 英印軍第15軍団のチェインバーズ少将率いる第26インド歩兵師団がラングーン川からラングーンを占領する。

1945年、ビルマ戦線で英印軍第26インド歩兵師団がラングーンを占領しました。 チェインバーズ少将率いる攻勢が勝利しました。
英印軍第15軍団の一部として第26師団はラングーン川沿いから市街地へ進撃しました。 5月3日に主要な防御線を突破し、連合軍は都市を制圧しました。 この作戦はビルマ解放への決定的な一歩となり、日本軍の後退を加速させました。 占領後、都市周辺の補給路確保にも尽力し、後続部隊の上陸を支えました。 ラングーンの奪回は、南東アジア戦線全体の勢力図を塗り替える成果でした。
1945年 第二次世界大戦 ビルマの戦い 英印軍 第15軍団 英語版 第26インド歩兵師団 英語版 ラングーン川 ラングーン
1946年

ソ連軍の満州からの撤退が完了。

第二次世界大戦後、ソ連軍が満州地域から完全に撤退した出来事です。
1945年の日本敗戦後、ソ連軍は満州に進駐していました。 しかし、ポツダム宣言受諾後の撤退が続き、1946年5月3日に最終部隊が満州を離れました。 この撤退は中華民国政府による満州再支配を可能にし、中国内戦の行方にも影響を与えました。 ソ連の撤退は戦後アジア情勢の転換点となり、冷戦構造の一端を担いました。 撤退完了は東アジアの国際関係史における重要な出来事です。
1987年

赤報隊事件: 朝日新聞社阪神支局が襲撃される。記者1人が死亡し、記者1人が重傷。

1987年5月3日、右翼過激派「赤報隊」が朝日新聞社阪神支局を襲撃し、記者1人が死亡、1人が重傷を負ったテロ事件です。
1987年5月3日未明、大阪府西宮市の朝日新聞社阪神支局に爆発物と銃器を用いた襲撃が行われた。 容疑者は「赤報隊」と名乗る右翼過激派で、政治的動機を示す声明文を残した。 襲撃により被害者の記者1名が死亡、もう1名が重傷を負い、支局施設にも大きな損害があった。 事件後、全国のマスメディアや警察当局が緊張感を高め、テロ防止策の強化が図られた。 未解決のまま時効を迎えた部分もあり、日本における政治暴力の恐ろしさを象徴する事件とされる。
1987年 赤報隊事件 朝日新聞社