太康元年3月15日

呉の皇帝孫晧が晋に降伏し、晋(西晋)が全国統一。

三国時代最後の勢力・呉が西晋に降伏し、晋が中国全土を統一した歴史的な転換点です。
・280年、最後の三国勢力・呉が西晋軍の猛攻を受ける ・皇帝孫晧は降伏を決断し、降伏文書を晋に送付 ・これにより西晋は中国全土を統一し、長安に都を置いて全国支配を確立 ・統一後は一時的な安定を得るが、八王の乱など内部抗争が勃発 ・238年続いた分裂時代の終焉は、中国史の大きな転機となった
280年 太康 3月15日 孫晧 西晋
305年

マクシミアヌスとディオクレティアヌスがローマ帝国皇帝を退位。マクシミアヌスは306年復位。

ローマ皇帝マクシミアヌスとディオクレティアヌスが退位し、帝国の権力構造に大きな変動が生じました。
・305年、ローマ帝国のテトラキア体制下でマクシミアヌスとディオクレティアヌスが同時に退位を宣言 ・退位は内部の権力闘争や体制維持の難航を示す重要な証左 ・マクシミアヌスは306年に復位して自身の正統性を主張し、抗争を再燃させる ・ディオクレティアヌスら皇帝層は共同統治の理想と混乱の間で葛藤を抱えた ・帝国後期の不安定な政治状況と皇帝権威の揺らぎを象徴する出来事です。
305年 マクシミアヌス ディオクレティアヌス ローマ帝国 306年
和銅6年4月3日

丹後国・美作国・大隅国を設置。

大宝律令による行政区画の見直しで、丹後国・美作国・大隅国の三国が新たに設置されました。
・713年(和銅6年4月3日)、律令制下の地方支配を強化するために丹後国・美作国・大隅国を新設 ・丹後国は現在の京都府北部、美作国は岡山県北部、大隅国は鹿児島県東部に該当 ・新設は税収確保や防衛体制整備の一環として行われた ・各国は郡や里を含む地方行政機構を整備し、本格的に稼働を開始 ・中央集権化を進める古代国家形成の歴史的転換点とされます。
713年 和銅 4月3日 丹後国 美作国 大隅国
長禄元年4月8日

太田道灌が武蔵国荏原郡桜田郷に江戸城を築城。

太田道灌が江戸城を築城し、後の江戸幕府誕生の礎を築きました。
・1457年(長禄元年4月8日)、太田道灌が武蔵国荏原郡桜田郷に江戸城を築城 ・戦略的に要害を捉えた平山城であり、道灌の築城技術が評価される ・江戸城は後に二度にわたる拡張工事で関東最大級の大規模城郭へと発展 ・築城は関東支配の拠点確立や太田氏の勢力増強を象徴する出来事 ・江戸時代の中心地となる江戸の原型をつくった歴史的事件です。
1457年 長禄 4月8日 太田道灌 武蔵国 荏原郡 江戸城
弘治3年4月3日

防長経略: 大内義長が毛利元就に攻められて自害し、大内氏が滅亡。

毛利元就が大内義長を討ち取り、大内氏は戦国時代の舞台から退場しました。
・1557年(弘治3年4月3日)、毛利元就が防長地方を攻略し、大内義長を自害に追い込む ・大内氏は約200年続いた守護大名家としての地位を失い、滅亡へ ・毛利氏の中国地方進出と勢力拡大が大きく前進 ・防長経略は毛利軍の戦略的巧妙さと統率力を示す ・日本戦国時代の勢力図を大きく変える歴史的転換点とされます。
1557年 弘治 4月3日 防長経略 大内義長 毛利元就 大内氏
1575年

ポーランド・リトアニア共和国の王位相続人アンナがトランシルヴァニア公ステファン・バートリと結婚し、2人そろって共同統治王に即位。

ポーランド・リトアニアの王位相続人アンナとステファン・バートリが結婚し、共同統治を開始しました。
・1575年、ポーランド・リトアニア共和国の王位相続人アンナがトランシルヴァニア公ステファン・バートリと結婚 ・婚儀に伴い両者は共同統治王として即位し、両国間の結びつきが強化 ・アンナは母方の血統を通じてリトアニアとポーランドの王位継承権を保持 ・ステファン・バートリはハンガリー王も兼任する名家出身で、外交面で協力 ・結婚同盟は中東欧地域の勢力均衡や対オスマン防衛に影響を与えました。
1575年 ポーランド・リトアニア共和国 アンナ トランシルヴァニア公 ステファン・バートリ
1707年

イングランドとスコットランドが合邦し、グレート・ブリテン連合王国が成立。

イングランド王国とスコットランド王国が合邦し、グレート・ブリテン連合王国が成立しました。
・1707年、イングランドとスコットランドの合同法が議会で可決され、合邦が実現 ・グレート・ブリテン連合王国が誕生し、単一の議会と王権下で統治が行われる ・関税や法制度の統一により経済・貿易が飛躍的に発展 ・国内文化交流や植民地政策も統一政策の恩恵を受ける ・18世紀ヨーロッパ政治史と帝国拡大の基盤を築く重要な出来事です。
1707年 イングランド スコットランド グレート・ブリテン連合王国
1862年

ロンドン万国博覧会が開幕。開幕式に日本から文久遣欧使節一行が出席。

1862年5月1日、ロンドン万国博覧会が開幕し、日本から文久遣欧使節が出席しました。
1862年5月1日、ロンドン万国博覧会が開幕し、日本からは文久遣欧使節一行が出席しました。 遣欧使節は幕府と諸藩の代表で、欧州の制度・技術視察を目的に派遣されました。 使節団はウェリントン卿らと会見し、最新技術や軍事制度などを学びました。 この派遣は幕末の幕府外交と国内改革の一環であり、明治維新への布石となりました。 欧米との交流が加速し、日本の近代国家建設に重要な影響を与えました。
1862年 ロンドン万国博覧会 文久遣欧使節
1945年

ヒトラーの遺書によって前日にドイツ国首相に任命されたヨーゼフ・ゲッベルスが、愛児を殺害した後に妻マクダとともに自殺。

ヒトラーの遺書で首相に任命されたゲッベルスが、子供を手にかけた後、妻とともに自殺しました。
1945年4月30日に自殺したアドルフ・ヒトラーの遺書により、ヨーゼフ・ゲッベルスはドイツ国首相に指名されました。 5月1日、バンカー内で幼い6人の子供の命を奪った後、妻のマクダ・ゲッベルスとともに自殺を遂げました。 ナチス政権下で宣伝大臣として悪名高く、戦時プロパガンダを主導した人物です。 その死は第三帝国の崩壊を象徴し、第二次世界大戦末期の悲劇的な一幕とされています。
1945年 ヒトラー ドイツ国首相 ヨーゼフ・ゲッベルス 愛児 マクダ
1948年

海上保安庁が発足。

1948年5月1日、日本の海上保安庁が発足しました。
海上保安庁は、海上における安全確保、船舶事故の防止、海難救助などを目的として設立された行政機関です。 GHQ(連合国軍総司令部)の指示により、旧海軍水路部や沿岸警備隊の機能が統合されました。 発足後は、領海警備や海洋警察活動を担い、後に国土交通省の外局として現在に至ります。 海洋安全や資源保護の役割を強化し、国際的にも高い評価を受けています。
1948年 海上保安庁
1948年

米国軍政府布令により「琉球銀行」設立

米国軍政府の布令で、1948年5月1日に琉球銀行が設立されました。
第二次世界大戦後、アメリカの統治下にあった沖縄地域で、経済復興と金融基盤整備を目的として琉球銀行が設立されました。 米国軍政府布令により条例が定められ、地域住民への融資や貯蓄業務を開始しました。 その後、琉球銀行は沖縄の主要金融機関として発展し、後の沖縄銀行など地域金融の先駆けとなりました。
1961年

キューバのカストロ首相が社会主義共和国を宣言。

1961年5月1日、カストロ首相がキューバを社会主義共和国と宣言した。
1961年5月1日、フィデル・カストロ率いるキューバ革命政府が社会主義共和国設立を宣言。 農地改革や国有化政策を推進し、米国資本からの独立を目指す国家体制を明確化した。 この宣言は米ソ冷戦の代理戦争的様相を帯び、キューバ危機へと繋がる要因の一つとなった。 ソ連との政治・軍事的連携を強め、社会主義陣営への本格的な参加を示した点が大きな転換点となった。 以降、キューバは国際政治における重要な社会主義国の一翼を担うこととなった。
1961年 キューバ カストロ