1956年
新日本窒素(現在のチッソ)水俣工場附属病院が「原因不明の中枢神経疾患多発」と保健所に報告。「水俣病」の発見。
1956年5月1日、水俣工場附属病院が原因不明の神経疾患多発を報告し、水俣病が発見された。
1956年5月1日、新日本窒素(現・チッソ)水俣工場附属病院が熊本県水俣保健所に「原因不明の中枢神経疾患多発」を報告。
沿岸住民の間で手足のしびれや言語障害などの症状が相次ぎ、深刻な公害病の存在が明らかになった。
調査の結果、工場排水に含まれた有機水銀(メチル水銀)が魚介類を介して人体に蓄積したことが原因と判明した。
被害住民への医療や補償を巡る企業責任問題が長年の課題となり、日本の公害対策法整備の契機となった。
水俣病は環境汚染と健康被害を結びつける代表的事例として国際的にも知られている。
1956年
チッソ
水俣病