慶安4年3月12日

狩野山雪

(1589 - 1651)

絵師

絵師
狩野派を代表する江戸時代初期の絵師。屏風絵や障壁画で著名。
1589年に京都で生まれ、狩野派の絵師狩野山楽の門下に入門した。山水画や花鳥画など多彩な作風を身につけ、幕府や大名家から多くの注文を受けた。江戸や京の寺院・邸宅の障壁画制作に携わり、美術の発展に寄与した。晩年は後進の育成にも力を入れ、狩野派の伝統を継承した。慶安4年(1651年)3月12日に没した。
1651年 慶安 3月12日 狩野山雪 絵師 1589年
1731年

ヨハン・ルートヴィヒ・バッハ

(1677 - 1731)

作曲家

作曲家
ドイツ・バロック期の作曲家。ヨハン・セバスティアン・バッハの遠縁にあたる家系の一人。宗教曲を多く手がけた音楽家。
1677年に生まれ、エアフルト大学で学んだ後、教会オルガニストとしてキャリアを積んだ。1703年からケーニヒスフェルトやザクセン=ヴァイマルの聖堂で活躍し、1723年にミーニンゲン公の宮廷楽長に任命された。バロック音楽特有の対位法を駆使し、多くのカンタータやオラトリオを作曲した。彼の作品の多くはヨハン・セバスティアン・バッハにより引用され、ライプツィヒで演奏された。家族ぐるみの音楽活動により、バッハ一族の中でも独自の地位を築いた。1731年に亡くなるまで、器楽曲や声楽曲を数多く残した。後世においてもバロック音楽の理解を深める上で重要な作曲家とされている。
1731年 ヨハン・ルートヴィヒ・バッハ 作曲家 1677年
1733年

ニコラ・クストゥー

(1658 - 1733)

彫刻家

彫刻家
フランスのバロック期を代表する彫刻家。ヴェルサイユ宮殿の「マルリーの馬」などの大作で知られる。王立絵画彫刻アカデミーの会員でもあった。
1658年にリヨンで生まれ、ローマでイタリア古典彫刻を学んだ。帰国後はルイ14世の保護を受け、ヴェルサイユ宮殿の装飾彫刻を数多く手がけた。代表作の一つである「マルリーの馬」は躍動感あふれる馬の姿を見事に表現している。1710年には王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれ、後進の指導にもあたった。弟のギヨーム・クストゥーとも協働し、フランス彫刻界に大きな影響を与えた。1733年にパリで没するまで、優雅で力強いバロック彫刻の頂点を極めた。
1733年 ニコラ・クストゥー 1658年
1783年

バーバラ・レジーナ・ディーチュ

(1706 - 1783)

画家、彫刻家

画家 彫刻家
ドイツの植物画家・動物画家。繊細な水彩画で自然を緻密に描写した。
1706年にニュルンベルクで生まれ、20世紀初頭まで続くディーツシュ家の画家一族の一員として育つ。主に植物や昆虫、鳥類を題材にした図譜を制作し、ヨーロッパ各地の貴族や学者に愛された。細部まで観察した正確な描写と淡い色彩が特徴で、博物図譜の形式を美術と学術の両面で昇華させた。作品は王侯貴族のコレクションに加えられ、後の博物画にも大きな影響を与えた。1783年に没するまで、数百点におよぶ精緻な作品を残し、現在も美術館や図書館で高く評価されている。
1783年 バーバラ・レジーナ・ディーチュ 英語版 1706年
1794年

ルイ=ニコラ・ヴァン・ブラーレンベルゲ

(1716 - 1794)

画家

画家
フランスの宮廷画家。細密な風俗画や戦争画で知られる。
1716年にフランス北部のドゥエで生まれ、父の画家ジャン=バティスト・バラランベールのもとで絵画を学んだ。ロココ調の優美な色彩と精緻な筆致で、宮廷の日常風景や祝宴の様子を細やかに描写した。特に軍事小品画では当時の装備や戦術を正確に表現し、七年戦争期の軍事風景を記録した。1770年代にはルイ15世、ルイ16世の宮廷画家に任命され、公式行事や遠征記録に携わった。後進の育成にも力を注ぎ、一族を通じてバラランベール派として芸術界に影響を与えた。1794年に没し、その作品は現在もヨーロッパ各地の美術館で愛され続けている。
ルイ=ニコラ・ヴァン・ブラーレンベルゲ フランス語版 1716年
1904年

アントニン・ドヴォルザーク

(1841 - 1904)

作曲家

作曲家
チェコの作曲家。民族音楽の要素を巧みに取り入れた交響曲『新世界より』で名声を得た。
アントニン・ドヴォルザークは1841年にチェコで生まれ、国民楽派を代表する作曲家となった。 スラヴ舞曲や民謡の旋律を用いた『スラヴ舞曲』『ユーモレスク』などの作品を次々と発表した。 1892年から1895年にかけてニューヨークのナショナル音楽院院長を務め、アメリカ音楽にも影響を与えた。 交響曲第9番『新世界より』はアメリカ先住民やアフリカ系アメリカ人の音楽に着想を得たとされ、世界的に評価された。 1904年5月1日にプラハで逝去し、クラシック音楽史に不朽の名を残した。
1904年 アントニン・ドヴォルザーク 1841年
1910年

ジョン・クインシー・アダムス・ウォード

(1830 - 1910)

彫刻家

彫刻家
アメリカの彫刻家。公共モニュメントや写実的な彫像で高い評価を得た。
ジョン・クインシー・アダムス・ウォードは1830年にニューヨークで生まれた彫刻家である。 『インディアン・ハンター』『ウォール街のジョージ・ワシントン像』など、写実性と表現力に富んだ作品を制作した。 全米彫刻ギルドの設立メンバーとして芸術家の地位向上にも寄与した。 多くの公共空間に残るモニュメントがあり、市民に芸術を身近に感じさせ続けている。 1910年5月1日に逝去し、その作品群はアメリカ美術史において重要な位置を占める。
1910年 ジョン・クインシー・アダムス・ウォード 彫刻家 1830年
1927年

萬鉄五郎

(1885 - 1927)

画家

画家
日本の洋画家。セザンヌやフォーヴィスムの影響を受けた先駆的表現で知られる。
萬鉄五郎は1885年に福岡県で生まれた洋画家である。 東京美術学校で近代絵画を学び、セザンヌら西洋絵画の技法を日本に紹介した。 鮮やかな色彩と大胆な構図を用いた作品は当時の日本画壇に衝撃を与えた。 自画像や風景画など多様な題材に挑み、その前衛的なスタイルは没後に高く評価された。 1927年5月1日に逝去し、その革新的な芸術は現代美術にも影響を与え続けている。
萬鉄五郎 画家 1885年
1931年

トーマス・クーパー・ゴッチ

(1854 - 1931)

画家

画家
イギリスの画家。詩的な色彩と装飾的な作風で知られ、主に肖像画や風景画を手がけた。
トーマス・クーパー・ゴッチは1854年に生まれたイギリスの画家。パリのアカデミー・ジュリアンで学び、印象派や象徴主義の影響を受けた詩的な作風を確立した。人物像や自然をテーマに、装飾的かつ色彩豊かな絵画を制作。ロイヤル・アカデミーなどで作品が展示され、当時の美術界で注目を集めた。晩年は故郷のイングランド南部で制作を続け、その作品は今日も美術館やコレクターに愛されている。
1931年 トーマス・クーパー・ゴッチ 1854年
1949年

ジュゼップ・マリア・ジュジョール

(1879 - 1949)

建築家

建築家
スペイン・カタルーニャ出身の建築家。ガウディのプロジェクトで装飾を担当した。
ジュゼップ・マリア・ジュジョールは1879年にカタルーニャで生まれた建築家。アントニ・ガウディと協働し、サグラダ・ファミリアやグエル公園の装飾設計を手掛けた。有機的な曲線とモザイクタイルを多用した独特の建築装飾で知られる。コロニア・グエル教会のステンドグラスや家具デザインなどで創造性を発揮した。独立後もバルセロナ周辺で住宅や公共施設を設計し、その個性的な作品は今日も高く評価されている。
ジュゼップ・マリア・ジュジョール 1879年
1965年

スパイク・ジョーンズ

(1911 - 1965)

音楽家、コメディアン

音楽家 コメディアン
アメリカの音楽家・コメディアン。奇抜なサウンドエフェクトを駆使したバンドリーダー。
スパイク・ジョーンズは1911年にアメリカで生まれた音楽家・コメディアン。自身のバンド『Spike Jones and His City Slickers』を率い、ヒット曲をコミカルにアレンジ。銃声や爆竹、皿の割れる音などの効果音を演奏に取り入れた演出で観客を沸かせた。ラジオや映画でも活躍し、風刺とユーモアを交えたパフォーマンスは当時大きな人気を博した。1960年代まで精力的にツアーを行い、今日のコメディ音楽の先駆者とされている。
1965年 スパイク・ジョーンズ 音楽家 コメディアン 1911年
1978年

アラム・ハチャトゥリアン

(1903 - 1978)

作曲家

作曲家
ソ連のアルメニア系作曲家。『剣の舞』やバレエ音楽で知られる。
1903年に現在のジョージアで生まれ、音楽への才を早くから示す。 モスクワ音楽院で学び、民族的要素を取り入れた作風を確立した。 代表作にバレエ『ハバネラ』『スパルタクス』や交響曲がある。 映画音楽や室内楽にも果敢に挑戦し、幅広い作品を残した。 ソ連時代を代表する作曲家として国際的にも高く評価され、1978年に没した。
1978年 アラム・ハチャトゥリアン 1903年