1939年

ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリッグが2,130試合連続出場記録を達成。

ルー・ゲーリッグが『鉄人』の異名をとる連続試合出場記録を更新しました。
1939年4月30日、ニューヨーク・ヤンキースの一塁手ルー・ゲーリッグが2,130試合連続出場のメジャーリーグ記録を更新した。 彼の鉄人ぶりから『Iron Horse』の愛称で親しまれた。 堅実な守備と高打率を誇り、ワールドシリーズ連覇にも大きく貢献した。 後に発症した筋萎縮性側索硬化症は『ルー・ゲーリッグ病』と呼ばれ、野球界に衝撃を与えた。 この記録は1983年にカル・リプケン・ジュニアに破られるまで語り継がれる偉業となった。
1939年 ニューヨーク・ヤンキース ルー・ゲーリッグ
1994年

ローランド・ラッツェンバーガーがF1サンマリノグランプリ予選で事故死。

F1ドライバーのローランド・ラッツェンバーガーがサンマリノGP予選中の事故で命を落としました。
1994年4月30日、F1ドライバーのローランド・ラッツェンバーガーがサンマリノGP予選で事故死。 前日の事故でアイルトン・セナも命を落とし、F1史上最も暗い週末となりました。 ラッツェンバーガーの事故はサスペンション破損が原因とされ、高速コーナーで衝突。 これを契機にF1の安全規定が抜本的に強化され、ヘッド&ネックサポート(HANS)の導入など進展。 ドライバー保護技術の進化へ大きな転機をもたらした悲劇です。
1994年 ローランド・ラッツェンバーガー F1サンマリノグランプリ
2010年

WBC世界バンタム級王者の長谷川穂積が11度目の防衛に失敗。

WBC世界バンタム級王者の長谷川穂積が11度目の防衛に失敗し、王座から陥落しました。
長谷川穂積は2007年にWBC世界バンタム級王座を獲得して以来、10度の防衛に成功していました。 2010年4月30日の世界戦で11度目の防衛に挑みましたが、判定で敗れ王座を失いました。 国内外で高い人気を誇り、日本ボクシング史に残る記録を樹立していただけに、衝撃を与えました。 挑戦者の粘り強い攻防に屈し、長谷川はキャリア初の王座陥落を経験。 その後も複数階級で世界タイトルに挑戦し続け、精力的な活動を続けています。
2010年 WBC バンタム級 長谷川穂積