慶長5年3月16日
ウィリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらが乗船したオランダ船リーフデ号が豊後国臼杵湾に漂着。
1600年、オランダ商船リーフデ号が豊後国臼杵湾に漂着し、ウィリアム・アダムスらが初めて江戸幕府と接触しました。
リーフデ号は貿易のために出航したオランダ商船で、長い航海の末に日本に到達しました。船には航海士ウィリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらが乗船しており、日本側に大きな驚きをもたらしました。漂着した彼らは江戸幕府に召し出され、アダムスは後に徳川家康の外交顧問として重用されました。この事件は日本とヨーロッパの本格的な交流の始まりとされ、鎖国政策の中でも特異な意味を持ちました。以後、長崎を拠点に限定的ながら欧米諸国との対外関係が築かれていきました。
1600年
慶長
3月16日
ウィリアム・アダムス
ヤン・ヨーステン
リーフデ号
豊後国
臼杵湾
寛永20年3月11日
江戸幕府が田畑永代売買禁止令を発布。
1643年、江戸幕府が田畑永代売買禁止令を発布し、農地の私有化を制限しました。
田畑永代売買禁止令は、農地の永続的な売買を禁じることで農民層の安定と領主権益の保護を図った法令です。幕府は農村社会の秩序維持や年貢制度の確立を目的に、土地の私的流通を制限しました。違反者には厳しい罰則が科され、地方の大名や旗本にも影響を与えました。これにより土地の固定化が進み、百姓の経済的基盤が一定の安定を見せる一方で、市場経済の発展は抑制されました。幕府の土地政策は後の財政危機や農民一揆とも関わりを持つことになります。
1643年
寛永
3月11日
田畑永代売買禁止令
1770年
ジェームズ・クック一行が現在のボタニー湾からオーストラリアに上陸し、イギリスによる領有を宣言。
1770年、ジェームズ・クック一行がボタニー湾に上陸し、オーストラリア東海岸をイギリス領と宣言しました。
イギリス海軍提督ジェームズ・クックは第1次航海の一環として、観察と地図作成を行いながら南太平洋を探検しました。1770年4月29日(グレゴリオ暦)に現在のニューサウスウェールズ州ボタニー湾に上陸し、イギリス国王名義で領有宣言を行いました。先住民アボリジニとの遭遇も記録され、この航海報告はヨーロッパにオーストラリアの存在を広く知らしめました。以降、入植地が設立されるきっかけとなり、英国植民地政策の発展に大きく寄与しました。クックの詳細な海図は後世の航海や科学調査に重要な資料を提供しました。
1770年
ジェームズ・クック
ボタニー湾
オーストラリア
イギリス
1873年
明治天皇が千葉・下総大和田原で行われた近衛兵の大演習を観閲。一帯を「習志野原」と命名する。
1873年、明治天皇が千葉・下総大和田原で行われた近衛兵の大演習を観閲し、一帯を『習志野原』と命名しました。
明治政府は西洋式軍制を導入し、近衛兵をはじめとする新編成の軍隊の訓練を強化していました。1873年4月29日、明治天皇は下総国大和田原(現・千葉県習志野市)で開催された大規模な演習を視察しました。天皇による観閲は軍隊の士気高揚と国家統一へのシンボル的意義を持っていました。視察後、天皇はこの地を『習志野原』と命名し、地名として定着しました。この出来事は近代日本の軍事体制確立の一端を示す重要な歴史的瞬間です。
1873年
明治天皇
近衛兵
習志野原
1918年
ウクライナでヘーチマンの政変が起こる。
1918年4月29日、パヴロー・スコロパドスキー率いるクーデターにより中央ラーダ政権が崩壊し、ヘーチマン政権が成立しました。
第一次世界大戦末期、ウクライナでは中央ラーダ(中央会議)の臨時政府が政権を握っていました。
1918年4月29日、ドイツ軍の支援を受けたパヴロー・スコロパドスキー将軍がクーデターを実行。
中央ラーダ政権を打倒し、自らヘーチマン(政府主席)に就任しました。
新政府は保守的な地主・軍人らを重用し、ドイツとの経済的・軍事的結びつきを強化。
この政変によりウクライナ国家の体制は大きく変貌し、後の独立運動や国際関係に影響を与えました。
その後連合諸国の圧力や国内混乱によりヘーチマン政権は崩壊へと向かいます。
1918年
ウクライナ
ヘーチマンの政変
1945年
アドルフ・ヒトラーとエヴァ・ブラウンが結婚。翌日自殺。
1945年4月29日、アドルフ・ヒトラーとエヴァ・ブラウンがベルリンの地下壕で結婚。翌30日に自殺しました。
第二次世界大戦末期、ベルリン総統地下壕(ヴォルフスシャンツェ内)にてヒトラー夫妻は密かに挙式を行いました。
長年の同棲を経ての結婚は、敗色濃厚な状況下での最後の儀式とされています。
結婚翌日の1945年4月30日、両名は連名で自殺し、ナチス・ドイツの終焉を象徴する出来事となりました。
地下壕内の限られた参加者のみで行われた婚礼は、その後の歴史的関心を集め、多くの研究対象となっています。
この婚姻とその直後の自殺は、第三帝国の最期を象徴する劇的な瞬間と位置づけられています。
アドルフ・ヒトラー
エヴァ・ブラウン
1946年
極東国際軍事裁判: A級戦犯28名が起訴。
1946年4月29日、極東国際軍事裁判でA級戦犯28名の起訴が正式に行われました。
東京で開廷中の極東国際軍事裁判(東京裁判)において、1946年4月29日にA級戦犯28名が起訴されました。
起訴状には戦争計画、平和に対する罪、共同謀議などの罪状が列挙され、東条英機ら主要指導者が含まれます。
米英中蘭など極東裁判連合国の検察団が起訴手続きを主導し、戦後の国際法廷制度確立への第一歩となりました。
裁判は1946年5月3日に正式に開廷し、約2年3ヶ月にわたり戦犯の責任追及が行われました。
この起訴は第二次世界大戦後の責任追及と国際的戦争犯罪法廷運用の嚆矢として歴史的意義を持ちます。
1946年
極東国際軍事裁判
A級戦犯
起訴
1951年
沖縄社会大衆党などが日本復帰促進期成会を結成。
1951年4月29日、沖縄社会大衆党などが日本復帰を目指す『日本復帰促進期成会』を結成しました。
1951年4月29日、沖縄社会大衆党などの有志が『日本復帰促進期成会』を結成しました。
当時、沖縄は連合国による施政下に置かれており、日本本土復帰を目指す声が高まっていました。
結成メンバーは各地の政治団体や有識者らで構成され、復帰運動の中心的役割を果たしました。
期成会は署名運動や政府への要請活動など多様な方法で復帰の機運を盛り上げました。
その後、沖縄返還協定締結への道を切り拓く草の根運動として評価されています。
1951年
沖縄社会大衆党
1954年
中華人民共和国とインドが「中華人民共和国とインド共和国の中国チベット地方とインド間の通商・交通に関する協定」に調印。前文で平和五原則を堤唱。
1954年4月29日、中華人民共和国とインドがチベット地方とインド間の通商・交通協定に調印し、平和五原則を掲げました。
1954年4月29日、中華人民共和国とインドがチベット地方とインドの通商・交通協定に調印しました。
本協定の前文では『平和五原則(パンチャシール)』が確認され、両国の友好関係を基礎づけました。
平和五原則は主権尊重、内政不干渉、平和共存、相互利益の追求、平和的紛争解決を定めています。
この調印は冷戦下のアジアにおける非同盟運動の一環とも位置づけられました。
両国間の経済交流と地域の安定を促進する重要な外交文書となりました。
1954年
平和五原則
1983年
ハロルド・ワシントンがシカゴ市長に就任。アメリカ初の黒人市長。
1983年4月29日、ハロルド・ワシントンがシカゴ市長に就任。アメリカ初の黒人市長。
・ハロルド・ワシントンは長年の政治経験を持つ民主党所属の議員。
・シカゴ市長選で人種の壁を越え、多様な支持層を結集して当選。
・就任は全米の都市政治における公共サービスと人権問題への転機となった。
・任期中は汚職撲滅や予算改革、市民参加の推進に取り組んだ。
・亡くなるまで在任し、後の都市政策に大きな影響を与えた功績で称えられている。
1983年
ハロルド・ワシントン
英語版
シカゴ
1997年
化学兵器禁止条約が発効。
1997年4月29日、化学兵器禁止条約が発効し、化学兵器の全廃を目指す国際法が施行された。
化学兵器禁止条約(CWC)は1993年に採択され、化学兵器の開発、製造、使用、保有を全面的に禁止する条約です。
条約は1997年4月29日に発効し、署名・批准国に対し化学兵器の廃棄義務を課しました。
国際化学兵器禁止機関(OPCW)が条約の実施監視を担い、査察や監視活動を行います。
発効時点で65か国が批准し、以後多くの国が参加を表明しました。
この条約により、冷戦後の安全保障環境における大量破壊兵器規制が強化されました。
化学兵器の根絶に向けた国際的な枠組みとして評価されています。
1997年
化学兵器禁止条約
2005年
シリア軍が29年間駐留していたレバノンからの撤退を完了。
2005年4月29日、シリア軍が29年間の駐留を終え、レバノンから完全撤退した。
シリア軍は1976年にレバノン内戦介入のために駐留を開始し、以後約29年間レバノン国内に軍事的影響力を持っていました。
2005年のレバノン反シリアデモ(シダ会議)やラフィク・ハリリ首相暗殺事件後、国際圧力と国内世論が強まりました。
同年4月26日に撤退を開始し、4月29日に最後の部隊がレバノン領土を離れました。
撤退完了はレバノンの主権回復とシリアの地域的立場の変化を象徴しています。
この決定は中東の政治バランスに大きな影響を与え、レバノンの政情不安定化要因も浮上しました。
以降、レバノンはシリアの強い影響から脱し、新たな政治的課題に直面しました。
2005年
シリア
レバノン