1908年

第1回ブラジル移民を乗せた笠戸丸が神戸港を出港。同年6月18日にサントス港に到着。

第1回ブラジル移民を乗せた笠戸丸が神戸港を出港。 日本から海外へ移住した最初の船団の一つとして重要な一歩となった。
1908年4月28日、日本政府が推進した移民政策の一環で、笠戸丸に乗った約781名の日本人が神戸港からブラジルに向け出発。 彼らはブラジル・サントス港へ6月18日に到着し、主にサトウキビ農園などで働き始めた。 この移民船の出港は日本人移民史の中でも画期的な出来事とされ、その後のブラジル移民潮流を決定づけた。 移民たちは新天地で苦労しながらもコミュニティを築き、現在の在伯日本人社会の礎となった。 当時の渡航条件や船内の様子は厳しいものだったが、希望を胸に旅立った彼らの歴史的意義は大きい。
1908年 第1回ブラジル移民 笠戸丸 神戸港 6月18日
1948年

日本で夏時刻法公布。1952年4月11日に廃止。

日本で夏時刻法が公布され、戦後初のサマータイム制度が導入されたが1952年に廃止された。
1948年(昭和23年)4月28日、日本政府は夏季の時計を1時間進める夏時刻法を公布。 戦後の復興期にエネルギー節約を目的として導入された。 翌年から本格運用が始まり、国民の生活リズムに変化をもたらした。 しかし、農作業への支障や国民の理解不足から批判も相次ぎ、 1952年4月11日に廃止が決定された。 日本におけるサマータイム制度の最初で最後の試みとなった。
1948年 日本 夏時刻法
1949年

内閣が当用漢字1,850字の字体を規定する「当用漢字字体表」を発表。

内閣が日常使用漢字1,850字の字体を定める「当用漢字字体表」を発表し、文字表記を合理化した。
1949年(昭和24年)4月28日、内閣は「当用漢字字体表」を発表。 日常的に使用される漢字1,850字の標準字体を定め、表外字を整理し表記の統一を図った。 戦後の混乱期における国語政策の一環として実施され、教育現場や出版界で大きな影響を与えた。 この字体表は学習漢字の基礎となり、日本の文字文化の合理化を促進した。 政府の定めた規範字体として、その後の国語審議会での議論にもつながった。
1949年 当用漢字