1915年

第一次世界大戦: イタリアが連合国側に参戦する代わりに、南チロル・ダルマチアなどの未回収のイタリアを得るロンドン条約(ロンドン密約)が結ばれる。

イタリアが連合国側への参戦条件として南チロルなどの領有を約束されたロンドン条約が締結された日です。
1915年4月26日、第一次世界大戦下でイタリアと連合国がロンドン条約と呼ばれる秘密協定を締結しました。イタリアはこの条約により、戦後に南チロル、トレンティーノ、ダルマチア沿岸などの領土獲得を約束され、オーストリア=ハンガリー帝国に対して参戦を決意しました。条約は秘密裏に交わされたため、世論に大きく報じられることはありませんでした。イタリアはこの後5月23日に連合国側で参戦を宣言し、戦局に新たな勢力を加えました。戦後の領土問題はこの協定を巡る交渉が影響し、ユーゴスラビアとの対立も生まれました。
1915年 第一次世界大戦 イタリア 連合国 チロル ダルマチア 未回収のイタリア ロンドン条約
1918年

第一次世界大戦: フランスのヴィレ=ブルトヌーで、イギリス陸軍のマーク IV 戦車とドイツ帝国陸軍のA7Vが史上初の戦車同士の戦闘を行う。

史上初の戦車同士の戦闘がフランスで行われた歴史的な出来事です。
1918年4月26日、フランス北部のヴィレ=ブルトヌーでイギリス陸軍のマーク IV 戦車とドイツ帝国陸軍のA7Vが初めて直接交戦しました。この遭遇戦は、戦車が実戦で敵戦車と対峙した最初の事例とされています。イギリス側は複数のマーク IV で攻撃を試みましたが、機械的故障などにより戦闘は限定的に終わりました。一方、ドイツのA7Vも従来の戦車戦術を模索しており、両陣営ともに戦車運用の課題を露呈しました。この事例は以後の戦車開発や戦術形成に大きな影響を与えました。
1918年 フランス ヴィレ=ブルトヌー イギリス陸軍 マーク IV 戦車 ドイツ帝国陸軍 A7V 戦車
1937年

スペイン内戦: ドイツ空軍遠征隊「コンドル軍団」がスペインの町ゲルニカを無差別攻撃、非戦闘員2,000人以上が死亡。

スペイン内戦中、ドイツ空軍のコンドル軍団がゲルニカを無差別爆撃しました。
1937年4月26日、スペイン内戦に介入したナチス・ドイツのコンドル軍団はバスク地方の小都市ゲルニカを攻撃。 非戦闘員を標的としたこの爆撃で、市街地は壊滅的な被害を受け、2,000人以上の犠牲者が発生しました。 ゲルニカの悲劇は国際社会に衝撃を与え、パブロ・ピカソの名画『ゲルニカ』として芸術史に残る象徴となりました。 この事件は戦時プロパガンダや無差別攻撃の問題を世界に突きつける転機となりました。
1937年 スペイン内戦 ドイツ空軍 コンドル軍団 ゲルニカ
1954年

インドシナ戦争休戦のためのジュネーヴ和平会議開催。

インドシナ戦争の停戦を目指し、ジュネーヴで和平会議が開かれました。
1954年4月26日、第一次インドシナ戦争を終結させるためのジュネーヴ和平会議が開催。 フランス、ベトミン、イギリス、ソ連、中国など主要勢力が参加し、停戦協定の交渉を開始しました。 会議の結果、ベトナムは北緯17度線で南北に分断され、フランス軍はインドシナ半島から撤退。 この分断が後のベトナム戦争への伏線となり、冷戦構造の一端を示す重要な国際会議として歴史に刻まれました。
1954年 インドシナ戦争 ジュネーヴ和平会議