延徳元年3月26日

足利義尚

(1465 - 1489)

室町幕府9代将軍

室町幕府9代将軍
室町幕府第9代将軍として、政治と軍事の両面で若くして期待された指導者。
1465年に生まれ、1490年に将軍足利義政の後を継いで9代将軍に就任。 細川政元ら有力守護大名と協力しながら幕府の権威維持を図る。 近江六角氏討伐軍を率いて出陣中に急死し、23歳の若さでその生涯を閉じた。 その死は室町幕府の動揺を招き、後の応仁の乱への伏線となった。 軍事的才能と俊英ぶりが惜しまれた将軍である。
1489年 延徳 3月26日 足利義尚 室町幕府 将軍 1465年
文禄4年3月17日

木曾義昌

(1540 - 1595)

戦国武将

戦国武将
木曾谷を治めた戦国大名で、織田信長に従属して勢力を保った武将。
1540年に生まれ、木曾氏当主として領内の統治を担う。 織田信長や上杉氏と外交的均衡を保ちつつ、独立性を維持。 信長の下で甲州征伐などの戦役に参加し、武功を挙げた。 文禄の時代には豊臣政権との関係を模索し、領地の安定を図る。 1595年(文禄4年)3月17日に没し、子孫が木曾家を継承した。
1595年 文禄 3月17日 木曾義昌 戦国武将 1540年
寛永18年3月17日

細川忠利

(1586 - 1641)

初代熊本藩主

初代熊本藩主
関ヶ原の戦い後に豊後から肥後に移り、熊本藩を築いた大名。
1586年に細川忠興の子として生まれる。 関ヶ原の戦いで父と共に西軍に属しながらも、後に徳川方に帰服。 戦後、徳川家康より54万石の領地を与えられ、初代熊本藩主に就任。 藩政改革を進め、財政基盤の確立や城下町の整備に尽力。 文化人や学者を保護し、熊本藩独自の文化発展を促した。 1641年(寛永18年)3月17日に没した。
1641年 寛永 細川忠利 熊本藩主 1586年
承応4年3月20日

有馬忠頼

(1603 - 1655)

第2代久留米藩主

第2代久留米藩主
久留米藩初代の子として藩政を継ぎ、領地の安定に努めた藩主。
1603年に有馬直純の長男として生まれる。 兄の死去により藩主となり、検地や税制改革を推進。 藩財政の健全化に取り組み、領民の生活向上を図った。 学問や技術導入にも関心を示し、藩校設立の礎を築いた。 1655年(承応4年)3月20日に没し、跡を子孫が継承した。
1655年 承応 3月20日 有馬忠頼 久留米藩主 1603年
1941年

石黒忠悳

(1845 - 1941)

陸軍軍医総監、日本赤十字社第4代社長

陸軍軍医総監 日本赤十字社第4代社長
日本陸軍の軍医総監および日本赤十字社第4代社長。医療制度の整備と赤十字活動を推進した。
1845年に生まれ、陸軍軍医として隊医制度や衛生環境の改善に尽力。 軍医総監として軍医制度の近代化を推進し、戦場医療の整備を行った。 退役後は日本赤十字社第4代社長に就任し、国内外の救護活動を統括。 日清戦争・日露戦争時には医療支援を指揮し、多くの負傷兵の救護に貢献。 1941年に96歳で逝去し、その奉仕精神は医療史に刻まれている。
1941年 石黒忠悳 陸軍 軍医総監 日本赤十字社 1845年
1976年

アンドレイ・グレチコ

(1903 - 1976)

ソビエト連邦国防相

ソビエト連邦国防相
ソビエト連邦の軍人・政治家。第二次世界大戦で活躍し、のちに国防相としてソ連軍を指揮した。
アンドレイ・イワノヴィチ・グレチコは1903年に生まれ、ロシア帝国、のちのソビエト連邦で軍人としてキャリアを積んだ。 第二次世界大戦中は複数の方面軍を指揮し、戦略的勝利に貢献したことで知られる。 戦後は防衛産業や軍事組織の近代化を推進し、1967年から1976年までソ連国防相を務めた。 冷戦期におけるソビエト軍の拡充・訓練に大きな影響を与え、軍事理論の発展にも寄与した。 1976年4月26日に没し、その功績はロシア国内外で評価され続けている。
1976年 アンドレイ・グレチコ ソビエト連邦国防相 1903年