紀元前404年

アテネがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争が終結。

紀元前431年から続いたペロポネソス戦争でアテネがスパルタに降伏し、長年の抗争が終わりました。
紀元前431年から続いたギリシアの代表的な都市国家アテネとスパルタの戦いがようやく終結しました。 ペロポネソス戦争は古代ギリシア世界の勢力図を一変させ、文化・経済・政治に大きな影響を与えました。 アテネは長期戦と財政難に苦しみ、最終的にスパルタに降伏を余儀なくされました。 この結果、スパルタが一時的に覇権を握りましたが、その後の混乱期を招く一因ともなりました。 戦争の影響は地中海世界全体に及び、後のマケドニア台頭への道を開くことになりました。
紀元前404年 アテネ スパルタ ペロポネソス戦争
元暦2年3月24日

壇ノ浦の戦い。平氏一門が滅亡。

壇ノ浦の戦いで平氏一門が敗れ、源氏が日本の覇権を確立しました。
源平合戦の最終決戦として、瀬戸内海の壇ノ浦で行われました。 平氏の安徳天皇が海中に入水し、平家は滅亡しました。 一方、源氏の義経・頼朝らが勝利し、鎌倉幕府成立への道を開きます。 この戦いは軍事・政治の両面で源氏の優位を確立し、日本の中世政治体制を決定づけました。 戦場となった壇ノ浦は後世まで物語や伝説として語り継がれています。
1185年 元暦 3月24日 壇ノ浦の戦い 平氏
天正10年4月3日

甲州征伐: 織田信忠が武田家残党を匿った恵林寺を焼き討ち。快川紹喜らが焼死。

織田信忠が甲州征伐中に恵林寺を焼き討ちし、快川紹喜らが犠牲になりました。
1582年、織田信長の息子・信忠は武田家残党の討伐を命じられました。 武田家を保護していた甲斐の恵林寺を攻撃し、多くの僧侶が焼死しました。 禅僧の快川紹喜は「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」の言葉で知られ、その殉教は後世に語り継がれます。 この事件は戦国末期の残虐さを象徴し、織田家の勢力拡大を物語ります。 同時に宗教施設が戦争の犠牲となった例として歴史に刻まれています。
1582年 天正 4月3日 甲州征伐 織田信忠 武田家 恵林寺 快川紹喜
崇禎17年/永昌元年3月19日

李自成が率いる叛乱軍が北京を占領。崇禎帝が自害して明が滅亡。

李自成の乱で北京が陥落し、崇禎帝が自害して明が滅亡しました。
清朝建国前の混乱期に、農民反乱の指導者・李自成が北京城を攻略しました。 明の最後の皇帝・崇禎帝は景山で自刃し、長く続いた明朝は終焉を迎えます。 李自成は短期間ながら大順政権を樹立しましたが、各地で清朝軍の進撃に直面しました。 その後、清朝が中国大陸を完全に掌握し、新たな政権が成立します。 中国の歴史が大きく転換した重要な節目として知られています。
1644年 崇禎 永昌 3月19日 李自成 崇禎帝
1846年

米墨戦争勃発。

米墨戦争が勃発し、アメリカとメキシコの戦端が開かれました。
アメリカ合衆国とメキシコ合衆国の領土問題を巡る武力衝突です。 テキサス併合後、両国の国境線をめぐる争いが激化しました。 アメリカ軍は優勢な兵力と物資で攻勢に転じ、メキシコ領内へ侵攻しました。 戦争の結果、1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約でアメリカが広大な領土を獲得しました。 この紛争はアメリカ西部開拓とメキシコの政治的混乱に大きな影響を与えました。
1846年 米墨戦争
1898年

スペイン領キューバの独立を機に、アメリカがスペインに宣戦布告。米西戦争が勃発。

アメリカがスペインに宣戦布告し、米西戦争が1898年に勃発しました。
1898年4月25日、アメリカはスペイン領キューバの独立支援を名目にスペインへ宣戦布告し、米西戦争が始まりました。 背景にはキューバ独立運動をめぐる報道やUSSメイン号爆沈事件があり、アメリカ世論の対スペイン感情が高まっていました。 戦争は短期間で終結し、パリ条約(1898年12月)によりスペインはキューバの独立を承認、プエルトリコ、グアム、フィリピンをアメリカに割譲しました。 この紛争はアメリカの海外進出と帝国主義時代の幕開けを象徴する出来事となりました。
1898年 スペイン キューバ アメリカ 米西戦争
1915年

第一次世界大戦・ガリポリの戦い: 連合軍がガリポリ半島に上陸。

1915年に連合軍がガリポリ半島に上陸し、戦局を打開しようと試みた大規模上陸作戦です。
1915年4月25日、イギリス・フランス・オーストラリアなど連合軍はガリポリ半島南岸に上陸しました。 この上陸作戦はオスマン帝国を打倒し、ダーダネルス海峡の制海権を確保することを目的としていました。 しかし地形やオスマン軍の強固な守備、補給路の困難から甚大な損害を被り、1916年1月に撤退を余儀なくされました。 この敗北は戦争の泥沼化を象徴し、ANZAC部隊の奮闘はオーストラリアとニュージーランドの国民意識形成にも影響を与えました。
1915年 第一次世界大戦 ガリポリの戦い ガリポリ半島
1932年

朝鮮人民軍が創設される。

抗日ゲリラ組織として満州で結成された朝鮮人民軍が、その後北朝鮮軍の前身となりました。
1932年4月25日、金日成率いる抗日武装勢力が満州地域で朝鮮人民軍を結成しました。 この組織は日本の植民地支配に抵抗するゲリラ部隊として活動し、のちに北朝鮮成立後の正式な国軍へと発展しました。 北朝鮮では4月25日が「軍創建記念日」として祝われ、現在も重要な記念日となっています。
1932年 朝鮮人民軍
1945年

第二次世界大戦: ドイツに進撃した米ソ両軍がエルベ川で遭遇。(エルベの誓い)

1945年、連合軍の米軍とソ連軍がドイツ中部のエルベ川で邂逅し、戦勝を確実にしました。
1945年4月25日、米第69歩兵師団とソ連第58軍がドイツ中部エルベ川のテッテン堡で遭遇しました。 両軍の司令官は固い握手を交わし、共同でナチス・ドイツとの戦闘を継続しないことを誓い合いました。 これが「エルベの誓い」と呼ばれ、ヨーロッパ戦線における連携の象徴となりました。 この邂逅はナチス・ドイツの崩壊を決定的にし、まもなく欧州の戦争は終結しました。
1945年 第二次世界大戦 エルベの誓い
1974年

カーネーション革命: ポルトガルで国軍運動(MFA)が軍事クーデターを起こし、市内の要所を占拠。マルセロ・カエターノ首相が国軍運動に政権を移譲しエスタド・ノヴォが終焉。

1974年4月25日、ポルトガルで無血クーデター『カーネーション革命』が勃発し、長期独裁政権が崩壊しました。
カーネーション革命はポルトガル軍内部の若手将校らが率いる無血クーデターで、1974年4月25日に首都リスボンをはじめとする各地で要所を占拠しました。マルセロ・カエターノ首相は抵抗せず政権を移譲し、国家保安評議会が権力を掌握。長年続いたエスタド・ノヴォ(新国家体制)が終焉し、民主化プロセスが始まりました。革命の象徴として市民は赤いカーネーションを武器に見せ、平和的な色彩で国を一変させました。この出来事はポルトガルのEU加盟への道を開き、冷戦期のヨーロッパ政治にも影響を与えました。
1974年 カーネーション革命 ポルトガル マルセロ・カエターノ エスタド・ノヴォ