1911年

清華学堂(現在の清華大学)設立。

北京に清華学堂が設立され、後に清華大学へと発展する教育機関の前身が誕生しました。
1911年、清朝末期の北京に学士育成を目的とした清華学堂が設立されました。 この学校は米国の返還金を資金源とし、近代的な教育制度を導入しました。 清華学堂は工学、科学、建築などを中心に教育を行い、卒業生は中国の近代化に貢献しました。 1912年の中華民国成立後も発展を続け、1928年に清華大学と改称されます。 現在では世界有数の研究大学として知られ、中国の学術界を牽引する存在です。
1911年 清華大学
1922年

日本で健康保険法公布。

日本で健康保険法が公布され、労働者を対象とした公的医療保険制度が始まりました。
1922年4月22日、日本政府は健康保険法を公布し、労働者を対象とした公的医療保険制度が始まりました。 これにより、業種別組合が保険料を負担し、被保険者は医療費の一部を軽減される仕組みが構築されました。 当初は工場労働者など都市部の一部に限られましたが、後に適用範囲が全国に拡大されました。 健康保険法は社会保障制度の礎となり、戦後の国民皆保険制度への道を開く重要な一歩でした。
1922年 日本 健康保険法
1950年

日本戦没学生記念会(わだつみ会)が結成大会。

1950年4月22日、日本戦没学生記念会(わだつみ会)の結成大会が開かれました。
日本戦没学生記念会は太平洋戦争で戦死した学生たちを追悼し、その遺徳を顕彰する目的で設立されました。 1950年の結成大会では遺族や関係者が参集し、戦争の記憶を継承する誓いが交わされました。 会は戦後日本の平和教育や戦争記憶の伝承活動に重要な役割を果たしてきました。 詩歌や文学作品の発表、慰霊祭など多様な文化行事を通じ、平和への思いを広めています。 戦後の日本社会における戦争体験の継承に寄与した団体です。
1950年 日本戦没学生記念会
1950年

第1回ミス日本コンテスト開催。山本富士子が選ばれる。

1950年4月22日、第1回ミス日本コンテストで山本富士子が選ばれました。
ミス日本コンテストは戦後の国民的行事として1950年に初開催されました。 第一回では俳優の山本富士子が栄冠に輝き、その後の芸能界での活躍へとつながりました。 このコンテストは女性の社会進出や美容文化の普及にも影響を与えました。 当時の日本の風俗や女性像を映し出す一大イベントとして注目を集めました。 以降も毎年開催され、国民的な美の祭典として定着しています。
ミス日本 山本富士子
1968年

横浜市の人口が名古屋市を抜いて日本第2位となる。

1968年4月22日、横浜市の人口が名古屋市を抜き日本第2位となりました。
1968年、横浜市は急速な都市化と工業化により人口を増加させました。 同年4月22日には名古屋市を上回り全国第2位の人口都市となりました。 高度経済成長期の都市間競争を象徴する出来事として注目されました。 港湾都市としての地理的利点や工場誘致が背景にありました。 この記録はその後も横浜の都市ブランド構築に寄与しています。
1968年 横浜市 名古屋市
1981年

マザー・テレサが世界宗教者平和会議に出席するために初来日。

マザー・テレサが平和会議出席のため初めて日本を訪問。
1981年4月22日、カトリック修道女でありノーベル平和賞受賞者のマザー・テレサが世界宗教者平和会議のゲストとして初来日。 東京をはじめ複数都市で講演や祈りの集いを行い、貧困や社会的弱者への支援の重要性を訴えた。 訪日中は皇族や宗教指導者とも会談し、日本の宗教界や市民に大きな感銘を与えた。 彼女の慈善活動は現在も多くの人々に影響を与え続けている。
1981年 マザー・テレサ 世界宗教者平和会議
1990年

スペースワールドが開園。

宇宙をテーマにした遊園地スペースワールドが開園。
1990年4月22日、福岡県北九州市に日本初の宇宙テーマパーク「スペースワールド」がオープン。 実物大ロケットモデルや宇宙飛行士体験アトラクションなど、多彩な展示とアトラクションを備えた。 家族連れや観光客に人気を博し、地域のレジャー産業に新たな風を吹き込んだ。 開園以来、多くの来場者に宇宙への夢とロマンを提供し続けた。
1990年 スペースワールド
1995年

日本全国の公立学校でこれまでの毎月第2土曜日に加え第4土曜日も休業日となる。(学校週5日制)

日本の公立学校で週5日制が導入され、第4土曜日が休業日に。
1995年4月22日から、日本全国の公立小中学校で従来の第2土曜日に加え、第4土曜日も休業日となり、完全な週休2日制(学校週5日制)が導入された。 この制度は児童生徒の心身の健康増進や余暇活動の充実を目的とし、保護者や地域社会にも新たな教育環境を提案。 導入初年度は授業時数確保や家庭の対応など課題もあったが、その後教育現場に定着した。
1995年 学校週5日制
1999年

コロンビアで子供200人殺害のルイス・ガラビートが逮捕される。

コロンビアで約200人の子供を殺害したとされる連続殺人犯ルイス・ガラビートが逮捕された。
ルイス・ガラビートは1990年代に幼児を標的にした連続殺人を繰り返した。 被害者数は約200人に上り、国内外で大きな衝撃をもたらした。 長年にわたる捜査の末、1999年4月22日、コロンビア警察はついにガラビート容疑者を逮捕。 凶悪犯罪者として裁判にかけられ、被害者家族や社会に一定の区切りをもたらした。 この事件はコロンビアの治安対策強化の契機となった。
1999年 コロンビア ルイス・ガラビート
2008年

超党派野党、参議院に選択的夫婦別姓制度を盛り込んだ民法改正案を提出。

参議院に選択的夫婦別姓を認める民法改正案が超党派の野党によって提出された。
日本の民法は従来、婚姻後の同一姓使用を義務付けてきた。 2008年4月22日、超党派野党は選択的夫婦別姓制度を導入する改正案を参議院に提出した。 改正案は個人の自由と多様性を尊重し、結婚後も希望者に別姓を認める内容だった。 提出を契機に家族法やジェンダー平等に関する社会的議論が活発化した。 この改正案はその後、国会での審議や世論の反応を呼び、制度導入は課題として継続して議論された。
2008年 夫婦別姓