永和9年3月3日

王羲之が名士41名を別荘に招いて宴を開き、詩集の序文として『蘭亭序』を書く。

中国の東晋時代の書家・王羲之が詩宴の序文として『蘭亭序』を書き上げた歴史的な出来事です。
353年、中国東晋の書家王羲之は名士を蘭亭に招き宴を開催し、詩集の序文として『蘭亭序』を執筆しました。 蘭亭序は行書の傑作と評され、後世の書道に多大な影響を与えました。 書かれた墨跡は現存しませんが、真跡を写した多くの臨書が伝わります。 宴会では詩を詠み合う曲水の宴が行われ、風雅な雰囲気が漂いました。 『蘭亭序』は「天下第一行書」と称され、中国文化史上の重要遺産となりました。
353年 永和 3月3日 王羲之 蘭亭序
建暦2年3月30日

鴨長明が『方丈記』を書き上げる。

鎌倉時代の随筆家・鴨長明が無常観を綴った随筆『方丈記』を完成させました。
1212年、鎌倉時代初期の随筆家鴨長明は『方丈記』を完成させました。 『方丈記』は地震や飢饉などの災害を背景に無常観を綴った随筆です。 自らの庵を「方丈」とし、簡素な暮らしを理想とした思想が反映されています。 自然災害や社会の不安定さを見つめ、無常を受け入れる姿勢が多くの読者に共感を呼びました。 文学史上、随筆文学の先駆けとして高く評価されています。
1212年 建暦 3月30日 鴨長明 方丈記
1500年

ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化: ポルトガルのペドロ・アルヴァレス・カブラルの船団が、ヨーロッパ人では初めてブラジルに到達。

ポルトガルの探検家カブラル率いる艦隊がヨーロッパ人として初めてブラジルに到達しました。
1500年、ポルトガル王の命を受けたペドロ・アルヴァレス・カブラルの艦隊がブラジルに到達しました。 ヨーロッパ人として初のアメリカ大陸到達とされ、ポルトガルの植民地統治の口実となりました。 現地で水や食料を補給し、聖クルスの旗を立てて領有を宣言しました。 その後、ブラジルは砂糖プランテーションや金鉱開発を通じてポルトガル帝国の重要な植民地として発展します。 この到達は大航海時代の新たな局面を象徴する歴史的事件です。 ※先住民との文化的衝突や奴隷貿易の始まりにもつながりました。
1500年 ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化 ポルトガル ペドロ・アルヴァレス・カブラル ブラジル
文化3年3月4日

江戸で文化の大火。

江戸時代、文化3年に市中で大規模な火災が発生しました。
1806年(文化3年3月4日)、江戸市中で大規模な火災が発生しました。 延焼は膨大な範囲に及び、多数の家屋が焼失しました。 火元や被害状況の詳細は史料によって異なりますが、幕府は復興のために諸役人を動員しました。 市民の生活は一時混乱し、仮設住居が設けられました。 江戸では定期的な火災対策が課題となり、以後火消し組の整備が進みました。
1806年 文化 3月4日 文化の大火
1891年

大槻文彦著の国語辞典『言海』全4巻が完結。

日本初の総合国語辞典『言海』が大槻文彦により全4巻で完成しました。
大槻文彦は日本初の総合国語辞典『言海』を編纂し、1891年に全4巻を完成させました。 膨大な語彙を収録し、発音や意味、訓読などを詳述した画期的な辞書です。 近代日本の言語学研究や教育に大きな影響を与えました。 辞書には漢語や和語、外来語まで幅広く取り入れられ、その後の辞書編纂の基礎となりました。 現在もその価値は高く評価され、日本の辞書史に残る名著です。
1891年 大槻文彦 言海
1906年

アテネオリンピック(中間大会)が開幕。

近代オリンピックの中間大会がアテネで開催され、多くの選手が競技に参加しました。
1906年、近代オリンピックの発展を図るために中間オリンピック(Intercalated Games)がアテネで開催されました。 正式なオリンピックとは区別されますが、国際的な競技大会として多くの選手が参加しました。 競技種目は水泳や陸上競技、体操など多岐にわたり、観客を熱狂させました。 国際オリンピック委員会(IOC)は後にこの大会を公式記録から除外しましたが、近代オリンピック史の一幕を彩りました。 アテネのゼウス神殿近くなど古代遺跡を背景に行われた競技は特に印象的です。
1906年 アテネオリンピック
1911年

清華学堂(現在の清華大学)設立。

北京に清華学堂が設立され、後に清華大学へと発展する教育機関の前身が誕生しました。
1911年、清朝末期の北京に学士育成を目的とした清華学堂が設立されました。 この学校は米国の返還金を資金源とし、近代的な教育制度を導入しました。 清華学堂は工学、科学、建築などを中心に教育を行い、卒業生は中国の近代化に貢献しました。 1912年の中華民国成立後も発展を続け、1928年に清華大学と改称されます。 現在では世界有数の研究大学として知られ、中国の学術界を牽引する存在です。
1911年 清華大学
1912年

長野県松本市内で大規模火災が発生。1464戸が焼失。

松本市中心部で発生した大規模火災により約1464戸が焼失し、市街地は大きな被害を受けました。
1912年、長野県松本市中心部で大規模な火災が発生しました。 強風の影響で火勢が急速に拡大し、民家や商店など約1464戸が焼失しました。 市街地は甚大な被害を受け、多数の住民が避難を余儀なくされました。 消火活動は困難を極め、被災者支援や復興には時間と資金が必要でした。 この火災は都市防火の重要性を再認識させ、建築規制や消防体制の整備が進む契機となりました。
1912年 長野県 松本市
1915年

第一次世界大戦: 第二次イーペル会戦でドイツ軍がフランス軍に対し史上初の大規模毒ガス攻撃を行う。

第一次世界大戦中、第二次イーペル会戦でドイツ軍が史上初の大規模毒ガス攻撃を実施しました。
1915年4月22日、第一次世界大戦中の第二次イーペル会戦においてドイツ軍が初めて大規模な塩素ガス攻撃を行いました。 約6000本のガスボンベが使用され、風向きも味方を襲うほどの被害を生じさせました。 フランス軍を中心に多くの犠牲者が出、化学兵器の恐怖が戦争の新たな側面を示しました。 この攻撃は化学兵器戦の先駆けとなり、以後の戦術や戦争規範に大きな議論を呼びました。 戦後、化学兵器禁止条約の成立へとつながる重要な契機となりました。
1915年 第一次世界大戦 第二次イーペル会戦 ドイツ フランス 毒ガス
1922年

日本で健康保険法公布。

日本で健康保険法が公布され、労働者を対象とした公的医療保険制度が始まりました。
1922年4月22日、日本政府は健康保険法を公布し、労働者を対象とした公的医療保険制度が始まりました。 これにより、業種別組合が保険料を負担し、被保険者は医療費の一部を軽減される仕組みが構築されました。 当初は工場労働者など都市部の一部に限られましたが、後に適用範囲が全国に拡大されました。 健康保険法は社会保障制度の礎となり、戦後の国民皆保険制度への道を開く重要な一歩でした。
1922年 日本 健康保険法
1925年

日本で治安維持法公布。

1925年4月22日、治安維持法が公布され、国家による思想統制が強化されました。
治安維持法は大正末からの社会主義運動や共産主義の拡大を背景に制定されました。 政府はこの法律により、治安維持を名目に政治犯や思想犯を取り締まりました。 特に共産党員や労働運動家が標的とされ、言論・集会の自由が制限されました。 翌年から厳しい適用が始まり、多くの弾圧事例が発生しました。 戦後の1945年に廃止されるまで、日本の近代政治史に大きな影響を与えました。
1925年 治安維持法
1927年

昭和金融恐慌対策として金銭債務の3週間の支払い猶予(モラトリアム)を緊急実施。

1927年4月22日、昭和金融恐慌への対策として被債務者に支払い猶予が緊急実施されました。
昭和金融恐慌は昭和2年の株価急落を契機に発生した信用収縮の危機でした。 政府は金融機関の連鎖倒産を防ぐため、モラトリアムを導入し3週間の債務支払い猶予を認めました。 この措置は地方銀行から大企業まで幅広く適用され、一時的に資金繰りの悪化を緩和しました。 しかし根本的な景気回復には至らず、後に追加的な金融政策が必要となりました。 この経験は後の金融危機対策の先例として注目されています。
1927年 昭和金融恐慌 モラトリアム