元慶2年3月15日

元慶の乱が始まる。

平安時代後期、藤原氏の支配に反発した武士が立ち上がった元慶の乱が勃発。
878年(元慶2年3月15日)、伴などの武士が藤原良房政権に反旗を翻して乱を起こした。 乱は京阪や地方にも波及し政治不安を招いた。 朝廷は基経らを討伐軍に任命し鎮圧に動いた。 この事件は武士による貴族政権への初期の反乱とされる。 以後、武士勢力の台頭に繋がり日本の政治構造を変化させた。
878年 元慶 3月15日 元慶の乱
1519年

エルナン・コルテスがメキシコ本土(現在のベラクルス)に上陸。

1519年4月21日、コルテス率いるスペイン艦隊がベラクルスに上陸し侵攻の嚆矢となった出来事。
1519年4月21日、エルナン・コルテス率いるスペイン艦隊が現在のベラクルスに上陸した。 この上陸はアステカ帝国侵攻の出発点となった。 コルテスは先住民部族と同盟を結びながら勢力を拡大した。 1521年にはテノチティトラン征服に成功しメキシコ支配を確立した。 新大陸植民地化の象徴的な出来事として位置づけられている。
1519年 エルナン・コルテス メキシコ ベラクルス
1526年

第一次パーニーパットの戦い。バーブルの軍がローディー朝の軍を破る。ローディー朝スルターン・イブラーヒーム・ローディーが戦死してローディー朝が終焉。ムガル帝国建国の契機となる。

1526年4月21日、バーブルがローディー朝を破りムガル帝国建国の足がかりを築いた戦い。
1526年4月21日、ムガル帝国建国のきっかけとなる第一次パーニーパットの戦いが起きた。 バーブルは火器を駆使してローディー朝スルターン軍を破った。 イブラーヒーム・ローディーは戦死しローディー朝は終焉を迎えた。 この勝利によりバーブルは北インド制覇への足がかりを得た。 以後、ムガル帝国は南アジアに数世紀の支配体制を敷いた。
1526年 第一次パーニーパットの戦い バーブル ローディー朝 スルターン イブラーヒーム・ローディー ムガル帝国
1796年

フランス革命戦争: モンドヴィの戦い。ナポレオン率いるフランス軍がサルデーニャ王国に勝利。

1796年4月21日、モンドヴィの戦いでナポレオンがサルデーニャ王国に勝利した海上戦。
1796年4月21日、フランス革命戦争中のモンドヴィの戦いが行われた。 ナポレオン率いるフランス軍はサルデーニャ王国軍に勝利した。 迅速な機動と砲兵の活用が勝利を決定づけた。 この勝利はイタリア北部制圧の足がかりとなった。 ナポレオンの軍事的名声が一気に高まった出来事である。
1796年 フランス革命戦争 モンドヴィの戦い 英語版 ナポレオン サルデーニャ王国
1798年

フランス革命戦争: ラ・ド・サンの海戦でイギリスが勝利。

1798年4月21日、ラ・ド・サンの海戦でイギリス艦隊がフランス艦隊を破った戦い。
1798年4月21日、ラ・ド・サンの海戦でイギリス艦隊がフランス艦隊を破った。 海戦はフランス革命戦争期の海上戦略に影響を与えた。 イギリスの海上優勢を示し、フランスの補給線を脅かした。 英海軍の戦術的優位が際立った一戦とされる。 両国の海上戦力バランスに変化をもたらした。
1798年 ラ・ド・サンの海戦 イギリス
1836年

テキサス革命: サンジャシントの戦い

1836年4月21日に行われたサンジャシントの戦いは、テキサス革命の最重要会戦の一つです。テキサス軍がメキシコ軍を破り、独立への道を決定づけました。
テキサス革命はメキシコからの独立を目指した武装蜂起でした。サンジャシントの戦いは戦いの決定打となった重要な戦闘です。テキサス指導者サム・ヒューストン率いる軍はメキシコ軍を奇襲し大勝利を収めました。戦闘は短時間で終結し、メキシコ大将サンタアナを捕虜としました。これによりテキサス共和国樹立への機運が高まりました。
1836年 テキサス革命 サンジャシントの戦い
1918年

第一次世界大戦: 「レッドバロン」ことドイツ陸軍の航空士官マンフレート・フォン・リヒトホーフェンが撃墜され戦死。

第一次世界大戦の著名な飛行士「レッドバロン」が戦闘機で撃墜され戦死しました。
マンフレート・フォン・リヒトホーフェンはドイツ帝国陸軍航空士官で優れたエースパイロットでした。1918年4月21日、フランス北部で枢軸国軍の戦闘機がイギリス空軍によって撃墜されました。彼は戦果80機以上を記録し「レッドバロン」の愛称で知られていました。撃墜直後に負傷し、まもなく戦死が確認されました。リヒトホーフェンの死はドイツ軍の士気に大きな衝撃を与えました。
1918年 第一次世界大戦 マンフレート・フォン・リヒトホーフェン
1967年

ギリシャで陸軍によるクーデター。ギリシャ軍事政権が発足。

1967年、ギリシャ軍がクーデターを起こし、軍事政権が発足した日。
1967年4月21日、ギリシャ軍の将校団がアテネでクーデターを起こし、文民政府を打倒した。 この軍事政権は「列型政権(Regime of the Colonels)」とも呼ばれ、民主主義を停止して独裁体制を敷いた。 戒厳令の下で言論や集会の自由が制限され、多くの反対派が投獄や追放の対象となった。 政権は1974年まで続き、その間ギリシャ社会は監視と抑圧の時代を経験した。 1974年の市民蜂起とトルコとの紛争を経て民主化が回復されたが、当時の記憶は強く残っている。
1967年 ギリシャ クーデター ギリシャ軍事政権
2019年

スリランカのコロンボのホテルと復活祭の祭典中の教会を中心にスリランカ連続爆破テロ事件が発生する。

スリランカで連続爆破テロ事件が発生した日。復活祭に痛ましい襲撃が行われました。
2019年4月21日、スリランカのコロンボやネゴンボ、バティカロアなどでホテルや教会を狙った連続爆破テロ事件が発生しました。復活祭の礼拝中に爆発が相次ぎ、死者250人以上、負傷者500人以上という大惨事となりました。地元キリスト教コミュニティや観光客も犠牲となり、国際社会から非難が集まりました。イスラム過激派組織による犯行が示唆され、スリランカ政府は非常事態宣言を発出しました。テロ対策や宗教間対話の必要性が改めて浮き彫りとなった悲劇的な事件です。
2019年 コロンボ 復活祭 教会 スリランカ連続爆破テロ事件