1919年
堺利彦・山川均らが『社会主義研究』を創刊。
堺利彦と山川均らが社会主義理論を謳った雑誌『社会主義研究』を創刊しました。
1919年4月21日に発行が始まった『社会主義研究』は、日本初の社会主義理論専門誌の一つです。主筆の堺利彦と山川均らが執筆し、資本主義批判や労働運動の意義を論じました。労働者階級の権利擁護や社会改革を掲げ、多くの社会主義者に影響を与えました。発行部数は限られていたものの、知識人の間で大きな議論を巻き起こしました。誌面は政治的主張に加え、社会運動の現状報告も行い、戦後日本の思想界に一石を投じました。
1919年
堺利彦
山川均
1951年
日本で民間放送16社に予備免許。(民放の日の由来)
1951年、日本で16社の民間放送局に予備免許が交付され、のちの「民放の日」の由来となった日。
第二次世界大戦後、占領下の日本で放送法に基づき民間放送局の設立が進められた。
1949年以降の審査を経て、1951年4月21日に16社の予備免許が交付された。
この日を起点として日本のテレビ・ラジオ放送の多様化が始まり、地域密着の番組制作が活発化した。
以来、4月21日は「民放の日」として知られるようになり、放送業界の発展を振り返る機会とされた。
1951年
日本
民間放送
1952年
日本民間放送連盟(民放連)発足。
1952年、日本の民間放送各社が加盟する日本民間放送連盟(民放連)が設立された。
民間放送局の統一組織として、日本民間放送連盟は1952年4月21日に設立された。
テレビやラジオ放送の技術標準や番組基準の策定、行政への意見具申などを行うプラットフォームとして機能した。
加盟社は全国16局からスタートし、後に地方局や衛星放送局も加わり影響力を拡大した。
放送事業者間の連携を強化することで番組ネットワークを構築し、視聴者サービスの向上に寄与した。
現在も業界の要として放送業界全体の調整役を担い続けている。
日本民間放送連盟
1966年
エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世がジャマイカを訪問。(ラスタファリ運動の記念日グラウネーション・デー)
1966年、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世がジャマイカを訪問し、ラスタファリ運動の重要な契機となった日。
1966年4月21日、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世がジャマイカを訪問した。
この歴史的訪問は、黒人解放と尊厳を唱えるラスタファリ運動の信者にとって聖なる出来事とされた。
皇帝の到着を祝うセレモニーはグラウネーション・デー(Groundation Day)として現在もラスタファリ運動の記念日となっている。
訪問を契機にジャマイカ国内でのラスタ信者の結束が一層強まり、音楽や文化を通じた国際的な広がりを見せた。
今日も多くの支持者がこの日を歴史的転機として称えている。
1966年
エチオピア
ハイレ・セラシエ1世
ジャマイカ
ラスタファリ運動
グラウネーション・デー
英語版
2018年
田島ナビ(1900年生まれ)が死去し、確実な証拠のある19世紀生まれの人間は全員この世を去った。
田島ナビさんが死去し、19世紀生まれの人物が全員世を去った日。時代の区切りを感じさせます。
1900年生まれの田島ナビさんが2018年4月21日に亡くなり、確実な記録がある19世紀生まれの最後の人物がこの世を去りました。19世紀の歴史に直接つながる生存者がいなくなったことで、遠い過去がさらに歴史として定着した感があります。田島さんは福岡県出身で、長寿の象徴としてメディアにも取り上げられていました。人間の寿命と時間の流れを改めて実感させる出来事です。同時に高齢者医療や介護の重要性についても議論が高まりました。
2018年
田島ナビ
1900年
19世紀