紀元前753年

ロームルスが都市国家ローマを建国。

伝説的な人物ロームルスが紀元前753年にローマを建国した歴史的な始まりを示す出来事。
紀元前753年4月21日、ロームルスがティベリウス川岸にローマ市を設立。 この出来事は古代ローマの起源を示す伝説として語り継がれている。 ロームルスは双子の兄弟レムスを殺したとも伝えられる。 建国神話は後世のローマ人に強い国家意識を与えた。 ローマはその後、共和制、帝政を経て西洋文明の基盤となった。
紀元前753年 ロームルス ローマ
1509年

イングランド王ヘンリー7世が死去。ヘンリー8世が即位。

1509年4月21日、ヘンリー7世の死去に伴いヘンリー8世が王位を継承した日。
1509年4月21日、イングランド王ヘンリー7世が逝去し、18歳のヘンリー8世が王位を継承した。 ヘンリー7世はボズワースの戦い後にテューダー朝を創始した人物である。 即位したヘンリー8世は後に離婚問題や宗教改革で歴史に名を刻む。 王権強化と宗教政策の転換がこの即位を境に本格化した。 テューダー朝の次代を担うヘンリー8世の治世が始まった。
1509年 イングランド ヘンリー7世 ヘンリー8世
1519年

エルナン・コルテスがメキシコ本土(現在のベラクルス)に上陸。

1519年4月21日、コルテス率いるスペイン艦隊がベラクルスに上陸し侵攻の嚆矢となった出来事。
1519年4月21日、エルナン・コルテス率いるスペイン艦隊が現在のベラクルスに上陸した。 この上陸はアステカ帝国侵攻の出発点となった。 コルテスは先住民部族と同盟を結びながら勢力を拡大した。 1521年にはテノチティトラン征服に成功しメキシコ支配を確立した。 新大陸植民地化の象徴的な出来事として位置づけられている。
1519年 エルナン・コルテス メキシコ ベラクルス
慶長17年3月21日

江戸幕府がキリスト教禁教令を発布。幕府の直轄地に対して教会の破壊と布教の禁止を命じる。

1612年4月21日、幕府がキリスト教を全面禁止し弾圧を強化した日。
1612年(慶長17年3月21日)、江戸幕府がキリスト教禁教令を発布した。 幕府直轄地の教会破壊と布教活動を全面禁止する内容だった。 これにより宣教師や信徒は厳しい弾圧下に置かれた。 隠れキリシタンの発生や迫害が一層激化した。 禁教政策は鎖国体制の一環として維持された。
1612年 慶長 3月21日 江戸幕府 禁教令
元禄14年3月14日

京都から下向した赤穂藩主浅野長矩が、江戸城松之大廊下で吉良義央を斬りつける。取り押さえられた浅野長矩は即日切腹処分になり、浅野家は断絶した。

1701年4月21日、浅野長矩が江戸城で刃傷事件を起こし切腹処分となった出来事。
1701年(元禄14年3月14日)、浅野長矩が江戸城松之大廊下で吉良義央を斬り付けた。 城内での刃傷は重大な礼法違反とされる事件だった。 長矩は即日切腹、浅野家は断絶し改易された。 家臣たちは主君の仇討ちを誓い赤穂浪士の討ち入りへと繋がる。 忠義と武士道の象徴として後世に語り継がれている。
1701年 元禄 3月14日 赤穂藩主 浅野長矩 江戸城 松之大廊下 吉良義央 切腹
明治5年3月14日

神祇省を廃止し教部省を設置。

明治政府が国家の宗教統制機関を再編し神祇省を廃止、教部省を設置しました。
1872年(明治5年)4月21日、神祇省が廃止され教部省が新設されました。神祇省は天皇の祭祀や神道の統括機関でしたが、近代国家建設に伴い制度を見直す必要が生じました。教部省は神道のみならず仏教やキリスト教など諸宗教への定義と教育を担当しました。この改革は国家と宗教の関係を明文化し、近代日本の宗教政策の基礎を築きました。教部省は後の教育制度や宗教行政に大きな影響を与えました。
1872年 明治 3月14日 神祇省 教部省
1952年

日本で公職追放令廃止。最後まで追放解除にならなかった5,700人の公職追放が解除。

1952年、公職追放令が完全に廃止され、約5700人の追放者が職務復帰を果たした日。
第二次世界大戦後の連合国軍総司令部(GHQ)の指令により、戦争責任者の公職追放が実施された。 追放令は1946年に公布され、合計約20万人以上が対象となったが、1950年以降解除が進行した。 1952年4月21日、最後に解除されていなかった約5700人の追放が一斉解除され、公職復帰が可能となった。 この措置は独立回復と民主政治の再建を象徴するものと位置づけられる。 以降、日本の政治・行政機構は国民選出の代表によって再構築されていった。
1952年 公職追放令
1954年

造船疑獄で犬養健法務大臣が指揮権を発動、佐藤栄作自由党幹事長の逮捕を含めた強制捜査に対し逮捕中止と任意捜査への切り替えを検事総長に指示。

1954年、犬養健法務大臣が造船疑獄事件で指揮権を行使し、強制捜査から任意捜査への切り替えを命じた日。
1954年に発覚した造船疑獄は、造船業界への賄賂供与を巡る政治汚職事件である。 同年4月、犬養健法務大臣は佐藤栄作自由党幹事長らの逮捕を指揮検事総長に命じるが、突如指揮権を発動し逮捕中止と任意捜査への切り替えを指示した。 この指揮権行使は法務大臣としての権限を巡る議論を呼び、行政と司法の関係性に対する国民の注目を集めた。 事件自体は最終的に大きな裁判闘争へと発展し、政界の体質改善を求める声が高まる契機となった。 日本の戦後政治における権力の監視・牽制機能の重要性を再認識させる出来事だった。
1954年 造船疑獄 犬養健 法務大臣 指揮権 佐藤栄作 検事総長
1960年

ブラジルの首都がブラジリアに遷都。

1960年、ブラジルの首都がリオデジャネイロから新都市ブラジリアへ正式に移転された日。
ブラジルの第21代大統領フランシスコ・クビチェック(通称ジュセリーノ・クビチェック)は、内陸部開発を掲げ新首都ブラジリアの建設を推進した。 1960年4月21日、リオデジャネイロから新設計都市ブラジリアへ正式に遷都が行われた。 建築家ルシオ・コスタとオスカー・ニーマイヤーによる近代的都市計画は世界的に注目を集めた。 遷都は地方開発と人口集中の緩和を目的とし、ブラジルの国土均衡発展を象徴するプロジェクトとなった。 今日もブラジリアは世界有数の近代都市計画の先駆例として評価されている。
1960年 ブラジル ブラジリア 遷都
1961年

東南アジア視察でラオスに滞在していた辻政信がこの日を最後に消息を絶つ(1968年7月20日付で死亡宣告)。

1961年、政治視察でラオスを訪問していた辻政信がこの日を最後に消息を絶った日。
元陸軍少佐で政治家の辻政信は、1961年に東南アジア視察のためラオスを訪問していた。 同年4月21日、同行者との連絡が途絶えたまま消息を絶ち、以降所在不明となった。 日本政府や各方面で捜索活動が続けられたが有力な手がかりは得られず、1968年7月20日に死亡宣告が行われた。 辻はかつて太平洋戦争中に活躍し、戦後も政治活動を行っていた人物であり、その突然の失踪は大きな衝撃を与えた。 未解決のミステリーとして現在も一部で注目され続けている。
1961年 東南アジア ラオス 辻政信 1968年 7月20日
1967年

ギリシャで陸軍によるクーデター。ギリシャ軍事政権が発足。

1967年、ギリシャ軍がクーデターを起こし、軍事政権が発足した日。
1967年4月21日、ギリシャ軍の将校団がアテネでクーデターを起こし、文民政府を打倒した。 この軍事政権は「列型政権(Regime of the Colonels)」とも呼ばれ、民主主義を停止して独裁体制を敷いた。 戒厳令の下で言論や集会の自由が制限され、多くの反対派が投獄や追放の対象となった。 政権は1974年まで続き、その間ギリシャ社会は監視と抑圧の時代を経験した。 1974年の市民蜂起とトルコとの紛争を経て民主化が回復されたが、当時の記憶は強く残っている。
1967年 ギリシャ クーデター ギリシャ軍事政権