1109年

アンセルムス

(1033 - 1109)

カンタベリー大司教、神学者、哲学者

カンタベリー大司教 神学者 哲学者
11世紀に活躍したイングランドの宗教指導者で、カンタベリー大司教を務めました。 神学と哲学を融合させた思索で知られ、『プロスロギオン』などの著作で信仰と理性の調和を説いた人物です。
1033年にイタリア北部で生まれ、幼少期にイングランドへ移住。 教会教育を受けた後、修道士としての修行を経て1093年にカンタベリー大司教に就任。 聖職者の改革に努め、教会の独立性を守るために王権と対立することもあった。 著作『プロスロギオン(説理論)』では神の存在証明を論じ、後世のスコラ哲学に大きな影響を与えた。 信仰と理性の調和を追求したその思想は、学問史と教会史の両面で重要な位置を占めています。
1109年 アンセルムス カンタベリー大司教 神学者 哲学者 1033年
1142年

ピエール・アベラール

(1079 - 1142)

神学者

神学者
12世紀フランスの神学者・哲学者。論理的思考を神学に応用し、対話集『はいといいえ』で知られる。 エロイーズとの恋愛関係も後世に語り継がれた人物です。
1079年にフランスで生まれ、若くしてパリ大学で教鞭を執る。 代表作『はいといいえ(Sic et Non)』では聖書の命題を対立する視点から検証し、批判的思考を神学に導入した。 個人的な劇的なエロイーズとの恋愛と修道院への転落は、中世の学問界に波紋を広げた。 理性の重要性を説いた彼の手法は、スコラ哲学の発展に不可欠な礎を築いた。 1142年に没後も、その論理的アプローチは後世の思想家や神学者に影響を与え続けています。
1142年 ピエール・アベラール 1079年
正平15年/延文5年4月6日

洞院公賢

(1291 - 1360)

太政大臣・有職故実学者

太政大臣・有職故実学者
鎌倉時代末から南北朝時代にかけて太政大臣を務め、有職故実の研究で知られた学者・公卿です。
1291年に公卿の家に生まれ、若くして朝廷に仕える。 1336年に成立した室町幕府下で太政大臣に任命され、国家儀礼の整備に尽力。 有職故実の大家として『公家儀式』などの著作を残し、宮廷文化の体系化を推進。 南北朝の動乱期にも伝統儀礼の継承を重視し、朝廷の権威維持に貢献した。 1360年に没するまで、公家社会の知的基盤を築いた重要人物です。
1360年 正平 延文 4月6日 洞院公賢 太政大臣 有職故実 1291年
1509年

ヘンリー7世

(1457 - 1509)

イングランド王

イングランド王
1485年にヨーク朝を終焉させチューダー朝を開いたイングランド王。国家再建と安定統治を図った評判の君主です。
1457年にランカスター家の貴族として生まれる。 1485年のボズワースの戦いでリチャード3世を破り、イングランド王に即位。 財政再建と法整備に力を注ぎ、内乱で疲弊した国を安定させた。 婚姻政策で外交関係を強化し、チューダー朝の基礎を築いた。 1509年に没後、その統治は「穏健で賢明」と称され、息子ヘンリー8世の時代へと繋がりました。
1509年 ヘンリー7世 イングランド 1457年
1552年

ペトルス・アピアヌス

(1495 - 1552)

数学者、天文学者

数学者 天文学者
16世紀のドイツの数学者・天文学者。天体観測と暦法の研究で知られ、印刷業にも携わりました。
1495年にドイツのレーゲンスブルク近郊で生まれる。 数学と天文学に精通し、1524年から天文学の講義を担当。 1550年に出版した『Astronomicum Caesareum』は精巧な天文図を含み、高く評価された。 惑星周期や天体観測データは当時の科学界へ大きな影響を与えた。 1552年に没するまで、多彩な学問分野で技術と知識の発展に貢献しました。
1552年 ペトルス・アピアヌス 1495年
1574年

コジモ1世

(1519 - 1574)

初代トスカーナ大公

初代トスカーナ大公
メディチ家出身で初代トスカーナ大公に即位し、フィレンツェを統一したルネサンス期の支配者。
1519年にフィレンツェで生まれ、メディチ家の後継者として育つ。 1537年にフィレンツェ共和国の実質的支配者となり、1559年に神聖ローマ皇帝から大公号を授与。 行政・財政制度を整備し、ウフィツィ宮殿やピッティ宮殿の建設を推進。 芸術家や学者のパトロンとなり、ルネサンス文化の黄金期を支えた。 1574年に没し、トスカーナの安定と芸術振興に大きな足跡を残しました。
1574年 コジモ1世 トスカーナ大公 1519年
天正15年3月14日

久松俊勝

(1526 - 1587)

戦国武将

戦国武将
戦国時代に活躍した周防国の武将で、地域勢力の維持と防衛に努めた人物です。
1526年に周防国(現在の山口県)で生まれたとされる。 戦国乱世の中で久松氏の当主として領地を治め、防衛や外交に尽力。 毛利氏との同盟関係を維持しつつ、地域勢力の均衡を図った。 1587年に没するまで、小規模ながら周辺勢力との調整を重ね、領地を安定させた。 史料は限られるものの、地方武将の典型例として評価されています。
1587年 天正 3月14日 久松俊勝 戦国武将 1526年
天正19年2月28日

千利休

(1522 - 1591)

商人、茶人

商人 茶人
茶道の大成者として知られる戦国・安土桃山時代の茶人。わび茶の精神を確立し、日本文化に大きな影響を与えました。
1522年に堺で生まれ、商人としての経験を積みながら茶の湯を学ぶ。 武将たちとの交流を通じて茶道を広め、道具や茶室設計に独自の美意識を反映。 わび茶の簡素で静謐な美学を追求し、その思想は今日の茶道における基本となった。 豊臣秀吉の茶頭として権力者とも深く関わりつつ、1591年に謎めいた最期を迎える。 千利休が確立した礼法や道具の配置は、現代にも引き継がれています。
1591年 2月28日 千利休 商人 茶人 1522年
慶長17年3月21日

岡本大八

武将

武将
戦国時代末期から安土桃山時代にかけて活動した武将。地域の合戦に参加した記録が残ります。
具体的な出生年は不詳だが、戦国末期から安土桃山時代に活動。 領主や同盟者として小規模な合戦に参戦し、地元勢力の維持に努めた。 慶長17年(1612年)3月21日に戦いの最中に討死したと伝えられる。 詳細な伝記はほとんど残っていないものの、地方武将の一例として研究対象となっている。 地域史料を通じて当時の地方武士団の実状を知る手がかりを提供します。
1612年 慶長 3月21日 岡本大八 武将
慶安3年3月21日

柳生三厳

(1607 - 1650)

剣術家、江戸幕府旗本

剣術家 江戸幕府旗本
江戸時代初期の剣術家で、柳生流兵法の継承者として幕府旗本に仕えた剣豪です。
1607年に柳生家の分家に生まれる。 江戸幕府の旗本として召し抱えられ、将軍家の警護や剣術指南を担当。 柳生流の兵法を体系化し、後進の育成に尽力した。 武士としての礼法や儀礼にも精通し、規律を重んじる教育を行った。 慶安3年(1650年)3月21日に没し、その剣法は道場で広く伝承されました。
1650年 慶安 柳生三厳 剣術家 江戸幕府 旗本 1607年
天和2年3月14日

津田越前守助広

(1637 - 1682)

刀工

刀工
江戸時代前期に活躍した名刀工。越前守の称号を持ち、精巧な作風で知られる。
1637年に生まれ、江戸時代前期に活躍した刀工です。越前守の称号を受け、多くの名刀を鍛刀しました。鍛錬と研磨を重ねた刀身は精巧かつ美麗で、今日でも高く評価されています。藩侯からの注文を受け、武士たちの信頼を集めました。1682年に没した。
1682年 天和 3月14日 津田越前守助広 刀工 1637年
1699年

ジャン・ラシーヌ

(1639 - 1699)

劇作家

劇作家
17世紀フランスを代表する悲劇劇作家。古典主義劇の確立に貢献した。
1639年に生まれ、ルイ14世の宮廷を拠点に劇作家として活躍しました。『アンドロマック』『フェードル』『ベルクトゥール』などの悲劇作品で知られ、古典主義文学の頂点を築きました。簡潔で洗練された言葉遣いと深い心理描写が特徴です。同時代のコルネイユやモリエールと並び、フランス演劇に大きな影響を与えました。1699年に没したが、その作品は現在も上演され続けている。
1699年 ジャン・ラシーヌ 劇作家 1639年