天正8年閏3月7日

石山合戦: 織田信長と石山本願寺が和議。顕如が石山を退去し、戦闘行為を停止。

織田信長と石山本願寺の長年にわたる戦いが和議で終結した重要局面です。
石山合戦は、1570年から続いた織田信長と本願寺勢力の間の大規模な攻防戦です。 1580年4月20日に両者は和議を結び、本願寺門主・顕如は石山を退去して戦闘を停止しました。 10年にわたった合戦の終結は、織田政権の勢力拡大と本願寺の大きな転機となりました。 和議成立後、顕如は他地へ拠点を移し、本願寺勢力は新たな布教拠点の構築を模索しました。 戦国時代の宗教勢力と武将との力関係を象徴する一大事件として知られています。
1580年 天正 3月7日 石山合戦 織田信長 石山本願寺 顕如
1775年

アメリカ独立戦争: ボストン包囲戦が始まる。

アメリカ独立戦争における最初期の大規模包囲戦が始まった日です。
1775年4月20日、アメリカ植民地側の民兵とイギリス軍との間でボストン包囲戦が開幕しました。 開戦のきっかけはレキシントン・コンコードの衝突後、植民地側がボストンから英国軍を締め出そうとしたことです。 約14か月にわたり市街や周辺の丘陵地が戦場となり、民兵側は食糧不足や厳しい冬季にも耐え忍びました。 包囲戦を通じて大陸軍の結束が強まり、ワシントン将軍の指揮下で独立戦争が本格化する契機となりました。 最終的に1776年にイギリス軍は撤退し、包囲戦は植民地側の勝利で終結しました。
1775年 アメリカ独立戦争 ボストン包囲戦
1775年

アメリカ独立戦争: 火薬事件発生。

アメリカ独立戦争の緊張が高まった火薬事件の一つです。
詳細な記録が乏しく、具体的な経緯は明らかではありません。 植民地側と英国軍の間で火薬を巡る小規模な衝突が発生し、対立が深まりました。 後のレキシントン・コンコードの戦闘に繋がる予兆とも言われます。 この事件は独立戦争前夜の緊張感を象徴する出来事です。 民兵たちは結束を固め、英国軍に対する抵抗意識を強める契機となりました。
火薬事件
1792年

フランスがオーストリアに宣戦し、フランス革命戦争が始まる。

フランス革命期、オーストリアとの戦端が開かれたヨーロッパ大戦の始まりです。
1792年4月20日、革命政府を掲げるフランス第一共和政がオーストリアに宣戦布告しました。 この宣戦により第一回対仏大同盟戦争(フランス革命戦争)が始まり、欧州各国が次々に参戦。 革命思想の拡散と封建体制崩壊を巡る大規模な軍事衝突が展開されました。 フランス軍は国民義勇兵を動員し、戦争遂行のための統制と動員体制を整備。 終結には十数年を要し、その過程でナポレオン・ボナパルトの台頭を招く重要な契機となりました。
1792年 フランス オーストリア フランス革命戦争
1928年

朱徳率いる国民革命軍の蜂起部隊(鉄軍)と毛沢東の農民武装部隊とが井崗山で合流し、中国工農革命軍第四軍(紅軍)を結成。

1928年、井崗山で朱徳と毛沢東の部隊が合流し、中国工農革命軍第四軍(紅軍)が結成されました。
中国共産党の朱徳率いる蜂起部隊と毛沢東の農民武装部隊が1928年4月20日に江西省井崗山で合流しました。 両部隊は中国工農革命軍第四軍、通称『紅軍』を結成し、後の長征へとつながる基盤を築きました。 井崗山は共産党ゲリラ戦の発祥地として知られ、農村を拠点にした人民戦争のモデルともなりました。 紅軍の結成は国共内戦における転機となり、中国共産党の軍事的地位を大きく高めました。 その後、紅軍は様々な戦闘を経て全国規模の運動へと発展し、中華人民共和国建国へと道を開きました。
1928年 朱徳 毛沢東 井崗山 紅軍
1978年

大韓航空機銃撃事件。

ソ連空軍が大韓航空機を撃墜し、乗員乗客に犠牲が出た事件。
1978年4月20日、大韓航空のジャンボ機がソ連軍の戦闘機によって銃撃され、緊急着水を余儀なくされました。 ソ連軍は領空侵犯を疑い攻撃を実施し、乗員乗客に複数の死傷者が出る悲劇となりました。 乗客の多くは過酷な環境の中で救助を待ち、国際的な非難が集中しました。 事件後、ソ連側は誤射を認めて賠償を行うと表明し、冷戦期の緊張を象徴するものとなりました。 この出来事は民間航空機の過剰防衛リスクを浮き彫りにしました。
1978年 大韓航空機銃撃事件