1910年
パウル・エールリヒと秦佐八郎が梅毒の治療薬サルバルサン(606号)を発見。
エールリヒと秦佐八郎が梅毒に対する初の有効治療薬サルバルサンを発見しました。
1910年4月19日、ドイツの細菌学者パウル・エールリヒと日本人医師秦佐八郎が共同研究の末にサルバルサン(606号)を発見しました。
サルバルサンは当時致命的だった梅毒に対して初めて有効な化学療法薬として大きな注目を集めました。
これはエールリヒの「魔弾の概念」に基づき、病原体選択的に作用する初期の人工合成薬です。
番号の「606号」は多くの候補化合物の中から選択されたプロジェクト番号に由来します。
この発見は抗生物質時代の先駆けとなり、エールリヒは後にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
サルバルサンの開発は化学療法研究における画期的な進展として医学史に刻まれています。
1910年
パウル・エールリヒ
秦佐八郎
梅毒
サルバルサン
1943年
アルバート・ホフマンがLSDの幻覚作用を発見。
スイスの化学者アルバート・ホフマンがLSDの幻覚作用を発見しました。
後のサイケデリック研究の幕開けです。
1938年に合成されたLSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)は当初薬理活性が未知でした。
1943年4月19日、ホフマンは再合成したLSDを誤って摂取し、強烈な幻覚体験を記録しました。
この日を記念して『バイシクル・デイ』とも呼ばれ、サイクリスト研究者の集いが行われています。
その後、LSDは精神医学や神経科学の研究に利用され、1960年代のカウンターカルチャーでも注目を集めました。
現在は規制物質とされていますが、近年は治療利用の再評価も進められています。
アルバート・ホフマン
LSD
幻覚
1971年
ソビエト連邦が世界初の宇宙ステーション「サリュート1号」を打ち上げる。
1971年4月19日、世界初の宇宙ステーション「サリュート1号」をソ連が打ち上げた。
ソビエト連邦は1971年4月19日に史上初の宇宙ステーション「サリュート1号」を打ち上げ、有人飛行による長期滞在実験を開始しました。全長約20メートル、質量約18トンで、ドッキング可能なモジュールを備えていました。乗員のソユーズ10号が接続を試みましたがシール不良により滞在は叶わず、その後の改良が進められました。サリュート計画は後のミールや国際宇宙ステーションへの礎となり、宇宙滞在技術の発展に大きく貢献しました。
1971年
ソビエト連邦
宇宙ステーション
サリュート1号
1975年
インド初の人工衛星「アリヤバータ」をソ連で打ち上げ。
1975年4月19日、インド初の人工衛星「アリヤバータ」がソ連で打ち上げられた。
アリヤバータはインド初の人工衛星で、1975年4月19日にソビエト連邦のコスモス3Mロケットによって打ち上げられました。重量約360キログラムの衛星にはX線天文観測や大気測定のための科学実験装置が搭載されており、インド宇宙研究機関(ISRO)の設立後初の成果物として注目を集めました。アリヤバータの成功はISROの技術力向上と国際協力の重要性を示し、その後のインドの宇宙開発路線に大きな影響を与えました。
1975年
インド
人工衛星
アリヤバータ
1988年
NTTが東京・大阪・名古屋でISDNのサービスを開始。
1988年4月19日、NTTが東京・大阪・名古屋でISDNサービスを開始し、次世代通信時代の幕開けを告げた。
1988年4月19日、日本電信電話公社(現NTT)は東京、大阪、名古屋の三大都市圏で初めてISDN(統合サービスデジタル網)の商用サービスを開始した。ISDNは音声とデータを同一回線でデジタル伝送できる技術であり、従来のアナログ回線に比べ通信品質と速度が飛躍的に向上した。企業や官公庁、研究機関を中心に高速データ通信需要が高まり、インターネット接続の基盤としても利用が広がった。その後、NTTは全国へサービスエリアを拡大し、国内の通信インフラ整備に大きく寄与した。今日のブロードバンド社会の礎を築いた歴史的な一歩といえる。
1988年
NTT
東京
大阪
名古屋
ISDN
2012年
前年に事故が発生した東京電力福島第一原子力発電所の1号機から4号機が、電気事業法に基づき廃止。
2012年4月19日、東京電力福島第一原発の1号機から4号機が電気事業法に基づき廃止された。
2011年3月の東日本大震災と津波により事故を起こした福島第一原発1~4号機は、長期にわたる廃炉手続きが検討されていた。2012年4月19日、電気事業法に基づく正式な廃止決定が下され、原子炉建屋や関連設備の解体・除染作業が開始された。廃止措置は数十年規模の工程となり、高レベル放射性廃棄物の処理や作業員の放射線安全管理が大きな課題となっている。政府と東京電力は廃炉技術の研究開発を進め、事故調査報告に基づく再発防止策を強化している。この決定は日本のエネルギー政策と地域復興に深い影響を与えた。
2012年
事故
福島第一原子力発電所
電気事業法