1054年

レオ9世

(1002 - 1054)

第152代ローマ教皇

第152代ローマ教皇
第152代ローマ教皇。教会改革を推進し、後の東西教会分裂の遠因を作った。
1002年に生まれたレオ9世は、1049年に教皇に選出され、第152代ローマ教皇としてグレゴリオ改革を推進しました。 彼は聖職者の結婚禁止やシモニー(聖職売買)の根絶を目指し、1054年にローマで総主教マイケリウスを破門しました。 この措置が西方教会と東方正教会の大シスマ(大分裂)の契機となったとされます。 在位期間は短く、同じ年の4月19日に亡くなりました。 しかし、その改革は後の教皇たちやカトリック教会の運営に大きな影響を与え続けています。
1054年 レオ9世 ローマ教皇 1002年
1390年

ロバート2世

(1316 - 1390)

スコットランド王

スコットランド王
ステュアート朝を開いたスコットランド王。王権を強化し王国の基盤を築いた。
1316年に生まれたロバート2世は、1371年にスコットランド王位に就き、ステュアート朝を開きました。 ブルース朝最後の女王マルグリットの息子として生まれ、王権強化と貴族統制に努めました。 在位中には国内の統一を図り、法整備や教会政策の安定化を推進しました。 複数回の結婚を通じて他国との同盟関係を築き、王室の影響力を高めました。 1390年4月19日に亡くなり、その治世は約19年にわたりスコットランドの中世王権確立に貢献しました。
1390年 ロバート2世 スコットランド 1316年
1560年

フィリップ・メランヒトン

(1497 - 1560)

人文主義者、キリスト教神学者

人文主義者 キリスト教神学者
ルターと共にプロテスタント改革を推進したドイツの人文学者・神学者。
1497年に生まれたフィリップ・メランヒトンは、ヴィッテンベルク大学でルターと出会い、神学と人文学を融合させた教育者として活躍しました。 1521年以降、ローマ教皇領からの独立を求める改革運動に参画し、『コロキウム神学要綱』やアウクスブルク信仰告白の起草者として知られています。 彼の学問は古典古代の復興を目指す人文主義の影響を受け、教育体系の整備にも尽力しました。 また、交渉や対話を通じて宗教対立の平和的解決を模索し、カトリックとの協調を試みた点も特筆されます。 1560年4月19日に亡くなりましたが、その思想と教育活動は後世のプロテスタント世界に大きな影響を与えました。
1560年 フィリップ・メランヒトン 1497年
天正6年3月13日

上杉謙信

(1530 - 1578)

戦国武将、関東管領

戦国武将 関東管領
越後の戦国大名として活躍し、『軍神』と称された武将。義を重んじた名将として知られる。
1530年に越後国で生まれた上杉謙信は、関東管領職を継承し、北条氏や武田氏と幾度も合戦を繰り広げました。 川中島の戦いでは武田信玄との激闘が有名で、敵味方を問わず戦場での義を重んじたエピソードが多く残ります。 法華宗の信徒として信仰心が篤く、自ら毘沙門天を奉じて戦いに臨んだと伝えられます。 領国経営にも優れ、治水や産業振興を通じて越後国の繁栄を支えました。 1578年3月13日に病没しましたが、後世に『軍神上杉謙信』として尊敬され続けています。
1578年 天正 3月13日 上杉謙信 戦国武将 関東管領 1530年
天正7年3月24日

上杉景虎

(1554 - 1579)

戦国武将

戦国武将
上杉謙信の養子となり、家督を巡る争いで知られる戦国武将。
1554年に生まれた上杉景虎は、越後の大名上杉謙信の養子として迎えられました。 謙信の跡継ぎ問題で上杉景勝と対立し、御館の乱と呼ばれる内乱を引き起こしました。 景虎は織田信長や徳川家康と関係を結び、一時的に織田氏の支援を受けました。 しかし勢力を盛り返せず、1579年3月24日に自害して生涯を閉じました。 彼の死は上杉家の統一をもたらし、景勝の時代へと移行させました。
1579年 3月24日 上杉景虎 1554年
1588年

パオロ・ヴェロネーゼ

(1528 - 1588)

画家

画家
ヴェネツィア派の巨匠ルネサンス画家。豪華絢爛な色彩と壮大な構図で知られる。
1528年にヴェローナ近郊で生まれたパオロ・ヴェロネーゼは、ヴェネツィアで画家として活躍しました。 『カナの婚礼』やドージェ宮殿の天井画など、宗教画や宮廷装飾で豪華な色彩と壮麗なシーンを描いたことで名声を得ました。 光と色彩の表現に優れ、バロック絵画への橋渡し的役割を果たしたと評価されています。 当初はパオロ・カリタに師事し、後に独自の様式を確立しました。 1588年に亡くなりましたが、その作品は現在も世界中の美術館で高く評価されています。
1588年 パオロ・ヴェロネーゼ 画家 1528年
慶長3年3月14日

六角義賢

(1521 - 1598)

戦国武将

戦国武将
近江国を拠点とした戦国大名・六角氏の当主。織田信長らとの抗争を経験した。
1521年に近江国で生まれた六角義賢は、六角氏の血を引き、守護大名として勢力を誇りました。 室町幕府の衰退とともに戦国大名として台頭し、朝倉氏や浅井氏らと同盟・対立を繰り返しました。 1568年には織田信長の進攻を受け、遂に京を追われる結果となりました。 その後は隠居して出家し、1598年3月14日に亡くなりました。 戦国時代の権力抗争を象徴する大名の一人です。
1598年 慶長 3月14日 六角義賢 1521年
慶長9年3月20日

黒田孝高

(1546 - 1604)

戦国武将

戦国武将
豊臣秀吉に仕えた名軍師。戦略眼と調略に優れた戦国武将。
1546年に播磨国で生まれた黒田孝高(如水)は、当初は明智光秀に仕えましたが、後に羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕えて頭角を現しました。 四国征伐や九州征伐で軍師として活躍し、巧みな戦略と和議交渉で主君を支えました。 キリシタン大名としても知られ、文化・教育にも関心を持ちました。 関ヶ原の戦い後は、子の長政が筑前福岡藩主として栄誉を受け、孝高は隠居しました。 1604年に没し、その知略は後世の戦国武将にも多大な影響を与えました。
1604年 3月20日 黒田孝高 1546年
元和9年3月20日

上杉景勝

(1556 - 1623)

大名

大名
上杉家の家督を継ぎ、関ヶ原後に会津から米沢へ転封された大名。
1556年に生まれた上杉景勝は、上杉謙信の娘婿となり、1578年に家督を継ぎました。 関ヶ原の戦いでは西軍に属し、敗戦後は当初会津120万石から米沢30万石へと大幅に減封されました。 領内では藩政改革を行い、財政再建や産業振興に努めました。 学問を重んじて漢学や軍学の奨励にも務めました。 1623年3月20日に亡くなり、米沢藩の礎を築いた人物として知られています。
1623年 元和 3月20日 上杉景勝 大名 1556年
1629年

シジズモンド・ディンディア

(1582 - 1629)

作曲家

作曲家
イタリア・バロック期の作曲家。独創的な声楽作品で評価される。
1582年にナポリで生まれたシジズモンド・ディンディアは、イタリア・バロック音楽の先駆者として知られています。 17世紀初頭に活躍し、モノディーやマドリガーレを革新的に発展させました。 ローマやヴェネツィアなど各地で作品を発表し、宮廷や教会で演奏されました。 作風は豊かな装飾音と劇的な表現が特徴で、後のオペラ音楽に影響を与えました。 1629年に亡くなりましたが、その作品は現在も研究・演奏され続けています。
1629年 シジズモンド・ディンディア 作曲家 1582年
1645年

アントニオ・ヴァン・ディーメン

(1593 - 1645)

オランダ領東インド総督

オランダ領東インド総督
オランダ東インド会社の総督を務め、東南アジアで植民地統治を推進した。 タスマニアの旧名「ヴァン・ディーメンランド」は彼に因む。
1593年にオランダで生まれ、1636年にオランダ東インド会社に入社。 1645年に総督に就任し、ジャカルタを拠点に行政改革と教育機関の創設を推進。 貿易の拡大や現地との交渉を指揮し、植民地経営の基盤を確立。 タスマニア島は当初「ヴァン・ディーメンズランド」と命名され、その名が後世に残る。 1645年4月19日に没し、東南アジアにおけるオランダの影響力拡大に寄与した。
1645年 アントニオ・ヴァン・ディーメン オランダ領東インド 1593年
1689年

クリスティーナ

(1626 - 1689)

スウェーデン女王

スウェーデン女王
17世紀のスウェーデン女王として即位し、文化振興と宗教改革に尽力した。 退位後はローマに移住し、芸術と学問の庇護者として知られる。
1626年にスウェーデン王カール10世の姪として生まれる。 1644年に女王に即位し、国教会とカトリックの対立に苦悩しつつ宮廷改革を試みる。 優れた学識と詩作の才能を持ち、哲学や美術に深い関心を示した。 1654年に退位して改宗し、ローマへ移住。バチカン図書館への寄贈など文化交流を促進。 1689年4月19日にローマで没し、自由思想と文化のパトロンとして評価される。
1689年 クリスティーナ 1626年