1910年

京阪電気鉄道本線の天満橋駅 五条駅(現:清水五条駅)間が開業。

京阪電気鉄道本線の天満橋駅~五条駅間が開業し、両都市間のアクセスが拡大しました。
1910年4月15日、京阪電気鉄道本線の天満橋駅から現在の清水五条駅(当時の五条駅)までの区間が開業しました。これにより大阪市内中心部と京都市中心部の鉄道路線が初めて直結し、両都市間の交通利便性が飛躍的に向上しました。路線開業に伴い、通勤や観光客の流動が活発化し、沿線地域の都市開発と商業活動が促進されました。建設には最新の電気鉄道技術が採用され、安全性と快適性が両立された運行が実現しました。開業初日は多くの乗客が訪れ、電気列車が走る新時代の鉄道として注目を集めました。
京阪電気鉄道 本線 天満橋駅 清水五条駅
1913年

京王電気軌道が笹塚駅 調布駅間の鉄道路線(現在の京王電鉄京王線)及び同線に接続する新宿駅 笹塚駅、調布駅 府中町 国分寺駅間のバス路線(現在の東京都内初のバス路線)の運行を開始。

京王電気軌道が京王線の笹塚~調布間を開業し、同時に都内初のバス路線の運行も開始しました。
1913年4月15日、京王電気軌道が笹塚駅と調布駅を結ぶ鉄道路線(現在の京王電鉄京王線)を開業しました。これにより東京西部の交通網が拡充され、沿線地域の人口増加と都市開発が促進されました。同日に新宿駅~笹塚駅間および調布駅~府中町・国分寺駅間のバス路線も運行を開始し、東京都内初の路線バスが誕生しました。電車とバスの相互接続により通勤通学の利便性が大幅に向上し、モダンな都市交通システムとして注目を集めました。開業当初から多くの利用者を集め、京王グループの基礎を築く重要な一歩となりました。
1913年 笹塚駅 調布駅 京王電鉄 京王線 新宿駅 笹塚駅 調布駅 府中町 国分寺駅 バス 東京都
1915年

武蔵野鉄道・池袋駅 飯能駅間(現在の西武池袋線)が開業。

武蔵野鉄道の池袋~飯能間が開業し、西武池袋線の前身路線が誕生しました。
1915年4月15日、武蔵野鉄道は池袋駅から飯能駅間の区間を開業しました。これが現在の西武池袋線の前身路線となり、埼玉県と東京都を結ぶ鉄道路線網が拡大しました。電化された路線であり、沿線地域住民の通勤通学を支える重要な役割を果たしました。開業により、郊外の住宅地開発が進展し、東京西部の都市化が加速しました。運行開始初日には多くの利用者が電気列車の快適な乗り心地を体験し、新路線への期待が高まりました。
武蔵野鉄道 池袋駅 飯能駅 西武池袋線
1929年

房総線(現在の外房線・内房線)が全通。房総半島一周の列車が運行開始。

房総線(現・外房線・内房線)が全線開通し、房総半島一周の列車運行が開始されました。
鉄道省(現・JR東日本)が建設を進めてきた房総線が全通を迎えました。 東京から外房線・内房線でつながるルートにより、房総半島を一周する列車が初めて実現しました。 地域の漁業・林業地帯を結び、物資輸送や観光開発を促進しました。 夏休みや行楽シーズンには海水浴客や観光客が列車を利用し、沿線の観光地が賑わいを見せました。 路線は後に外房線・内房線と名称変更され、現在まで利用され続けています。
外房線 内房線 房総半島
1960年

三崎港と城ヶ島を結ぶ城ヶ島大橋が開通。開通時は、東洋一を誇った鋼床版箱桁形式の海橋。

城ヶ島大橋が開通し、三崎港と城ヶ島が陸路で結ばれました。
1960年4月15日、神奈川県三浦市の三崎港と城ヶ島を結ぶ城ヶ島大橋が正式に開通しました。 鋼床版箱桁形式を採用した海上橋としては当時東洋一の規模を誇り、全長は約575メートルです。 建設により島民の交通利便性が大幅に向上し、観光や漁業の振興に寄与しました。 橋は潮風にさらされる過酷な環境に耐える構造で、定期的な点検と補修が行われています。 現在も地域住民と観光客にとって重要な交通路として活用されています。
1960年 城ヶ島 城ヶ島大橋
1961年

東急バスが路線バスにワンマンカーを導入。以降、他社にも広がりを見せた。

東急バスが乗務員一人で運行可能なワンマンバスを導入しました。
1961年4月15日、東急バスは路線バスにワンマンカーを初めて導入しました。 運転手が乗降整理から運賃収受まで一貫して担当する方式で、運行コストの削減と効率化を図りました。 乗客には後部乗降口を閉鎖し、前から乗降する新しいスタイルが新鮮に映りました。 この方式は他社にも波及し、日本全国で一般的なバス運行形態となりました。 地域公共交通の近代化に貢献した画期的な取り組みとされています。
1961年 東急バス 路線バス