1920年
明大、法大、中大、日大、皇典講究所、同志社の大学令による私立大学設立が認可される。
大正9年、大学令により私立大学6校の設立が認可され、日本の高等教育に新たな風が吹き込まれました。
大正時代の教育改革の一環として、明治大学、法政大学、中央大学、日本大学、皇典講究所、同志社の6校が大学令に基づき正式に認可されました。
官立大学に加えて、多様な私立高等教育機関が制度的に整備されたことで、学びの選択肢が飛躍的に拡大しました。
各校はそれぞれ独自の教育理念や専門分野を掲げ、法学、経済学、文学など幅広い分野で優れた人材を輩出しました。
新設大学は地域社会や産業界と密接に連携し、実践的な研究や人材育成に注力しました。
この動きは戦後の高等教育制度確立にも大きな影響を与え、日本の学術・産業発展の基盤を築きました。
1920年
明大
法大
中大
日大
皇典講究所
同志社
大学令
私立大学
1921年
羽仁もと子が自由学園を創立。
羽仁もと子が新しい教育理念のもと、女子教育を主軸とした自由学園を創立しました。
明治以来の女性解放運動家である羽仁もと子が、東京・小平に自由学園を設立しました。
「自発・協同・調和」を教育理念に掲げ、性別や身分にとらわれない共学社会を目指しました。
家庭科や実践的学習を重視し、生活全般を教育の場と位置づけた革新的なカリキュラムを導入しました。
生徒の主体性を養う教育方針は後のリベラルアーツ教育の先駆けとなりました。
現在も中等科・高等科を中心に、独自の教育スタイルを継承し続けています。
1921年
羽仁もと子
自由学園
1950年
旧皇族・元首相の東久邇稔彦が「ひがしくに教」を開教。
旧皇族で元首相の東久邇稔彦が宗教団体「ひがしくに教」を創設しました。
東久邇稔彦(ひがしくに としひこ)は戦後の1945年から1946年にかけて日本の内閣総理大臣を務めた後、1950年4月15日に「ひがしくに教」を開教しました。
この教義は東久邇氏の国家再建や国民精神の向上を目的としており、皇族出身者ならではの影響力を背景に支持を集めました。
宗教法人として正式に認可を受け、全国に布教活動を展開したとされています。
信者には精神修養や社会奉仕を重視する教えが中心で、終戦直後の混乱期に一定の支持を獲得しました。
現在も礼拝施設が一部地域に残り、歴史的に興味深い宗教運動の一例とされています。
東久邇稔彦
1971年
朝鮮中央放送の開城テレビジョン放送が放送開始。
朝鮮中央放送が開城でテレビ放送を開始しました。
1971年4月15日、北朝鮮の朝鮮中央放送が開城テレビジョン放送を開始しました。
地方都市でのテレビ中継網拡大を目的とし、プロパガンダや政府広報の場として活用されました。
開城局は平壌以外で運営される初のテレビ放送局であり、映像配信技術の地域展開を象徴する存在でした。
視聴者は政府制作のニュースや文化番組を受信し、情報統制下におけるメディア運用の一端が窺えます。
現在も北朝鮮国内で数少ない放送拠点の一つとして稼働しています。
1971年
朝鮮中央放送
開城
1983年
東京ディズニーランド開園。
千葉県浦安市の舞浜に日本初のディズニーテーマパーク、東京ディズニーランドが開園。
1983年4月15日、東京ディズニーランドが開園し国内外から多くの来場者を集めました。ウォルト・ディズニー・イマジニアリングが手がけたパークは、シンデレラ城を中心にした幻想的な空間を再現しています。開園当初から人気アトラクションには長い行列ができ、観光産業や周辺地域の発展に大きな影響を与えました。初年度は開園から数ヶ月で年間来場者数が予定を大きく上回り、レジャー産業に新たな潮流を生み出しました。この成功を受け、日本国内におけるテーマパーク文化の拡大が進みました。
1983年
東京ディズニーランド
1985年
主人を守ろうとして自動車に轢かれた盲導犬・サーブに「盲導犬は視覚障害者の身体の一部」として対人保険金の支払いが認められる。
盲導犬サーブが主人を守ろうとして轢かれた事故で、盲導犬を視覚障害者の身体の一部と認める判断が初めて下された。
1985年4月15日、盲導犬サーブが主人を守ろうとして自動車に轢かれた事故を巡り東京地方裁判所で訴訟が起こされました。裁判所は盲導犬を視覚障害者の身体の一部と認定し、対人保険金の支払いを初めて認めました。この判例は障害者福祉と動物福祉の両面で大きな意義を持ちます。以降、盲導犬に関する法整備や社会の理解が深まり、支援体制の強化につながりました。
1985年
盲導犬
サーブ
視覚障害者
2008年
そごう主要店舗に設置されていた「世界の人形時計」が同日閉店時刻を最後にからくり機能の使用を中止。
そごう主要店舗に設置されていた「世界の人形時計」のからくり機能が同日をもって停止されました。長年来店客に親しまれてきた設備がひとつの節目を迎えました。
2008年4月15日、そごう百貨店の主要店舗に設置されていた「世界の人形時計」が閉店時刻を最後にからくり機能の使用を終了しました。人形が時刻を告げる独特の仕掛けは多くの来店客の目を引き、買い物の合間の観光名所にもなっていました。動作停止後は時計としての展示のみが残され、店内の風景が一変しました。運営側はメンテナンスや安全性を理由に機能停止を決定し、来場者からは惜しむ声も上がりました。これを機にデパートの演出装置に対する注目が集まりました。
2008年
そごう