1970年

03:07:53(UTC)、地球から321,860km上空にて、アメリカ航空宇宙局(NASA)のアポロ13号で酸素タンク爆発事故が発生。月着陸中止も奇跡的に帰還。

1970年、アポロ13号飛行中に酸素タンクが爆発し月着陸を断念したものの、乗組員は無事に地球へ帰還した。
1970年4月14日03時07分53秒(UTC)、アポロ13号のサービスモジュール内で酸素タンクが爆発した。主要な生命維持装置が損傷したため、月着陸計画は中止となった。乗員は月着陸モジュールを「命のボート」として電力や酸素を節約しながら帰還軌道を維持した。地上管制との綿密な連携と技術的創意工夫により、4月17日に地球への安全な再突入と着水を果たした。NASAの危機管理能力と宇宙技術への信頼を象徴するエピソードとして語り継がれている。
1970年 UTC アメリカ航空宇宙局 アポロ13号
1981年

東京大学宇宙研究所を文部省宇宙科学研究所に改組。

1981年、東京大学宇宙研究所が文部省の宇宙科学研究所として改組され、国家的宇宙研究機関の一部となった。
1981年4月14日、東京大学宇宙研究所は文部省直轄の宇宙科学研究所に改組された。これにより大学附属研究所から政府系研究機関へと移行し、予算や人員体制が大幅に強化された。改組後は人工衛星や探査ロケットの開発・運用を主導し、宇宙開発政策の中核を担う組織となった。後の宇宙航空研究開発機構(JAXA)設立に向けた基盤整備を進め、日本の宇宙科学技術の発展に寄与した。研究所は多くの国際共同プロジェクトにも参画し、その信頼性を高めた。
1981年 宇宙科学研究所
2003年

国際ヒトゲノム計画によってヒトゲノム解読の全作業を完了。

2003年4月14日、国際ヒトゲノム計画がヒトゲノム配列解読作業を完了した。
国際ヒトゲノム計画は1990年に開始され、2003年4月14日にヒトの全ゲノム配列解読作業を完了したと発表された。約30億塩基対からなるゲノム地図が初めて公表され、遺伝子の構造や機能解明への道を切り開いた。この成果は医学・生物学分野に革命をもたらし、個別化医療や疾病予防研究の基盤となった。米国、英国、日本など世界各国の研究機関が協力し、巨大な国際共同プロジェクトの成功例として知られている。
2003年 ヒトゲノム計画 ヒトゲノム