1093年

フセヴォロド1世

(1030 - 1093)

キエフ大公

キエフ大公
フセヴォロド1世(1030-1093)はキエフ大公国の大公として東スラヴ地域を統治し、勢力を拡大した君主。
フセヴォロド1世はヤロスラフ賢公の三男として1030年頃に生まれました。在位中の1078年から1093年にかけてキエフ大公国を統治し、東スラヴ諸公国の統一を図りました。ポロフツィ族(クマン人)との戦いで勝利を重ね、防衛力を強化しました。ビザンティン帝国との外交関係を維持し、正教会の発展にも寄与しました。1093年の戦役中に病に倒れ、その後没しました。
1093年 フセヴォロド1世 キエフ大公 1030年
建仁2年3月19日

藤原成経

平安時代の公卿

平安時代の公卿
生年不詳ながら平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて政務に携わった公卿。
藤原成経は生年不詳ですが、藤原北家に連なる公卿として朝廷で要職を歴任しました。平安時代末期から鎌倉時代初期の政治的混乱期にあって、皇室と武家政権の調整に努めました。建仁2年(1202年)3月19日に没し、その後の宮廷政治にも影響を残しました。没年以外の詳しい事績は限られていますが、摂関家の一角として知られています。
1202年 建仁 3月19日 藤原成経 平安時代 公卿
延元元年/建武3年3月2日

阿蘇惟直

南北朝時代の武将

南北朝時代の武将
南北朝時代に肥後国を拠点に勢力を誇った武将・阿蘇氏当主。
阿蘇惟直は南北朝時代の肥後国を拠点とする武将で、阿蘇氏当主として地域防衛と統治に尽力しました。南朝方に与して複数の合戦に参加し、武力による領地維持を図りました。阿蘇神社との深い結びつきを背景に社領維持にも影響力を行使しました。地方豪族の中でも独自の勢力基盤を築き、地域政治に存在感を示しました。延元元年/建武3年(1336年)3月2日に没しました。
1336年 延元 建武 3月2日 阿蘇惟直 南北朝時代 武将
1605年

ボリス・ゴドゥノフ

(1552 - 1605)

ロシアのツァーリ

ロシアのツァーリ
ロシア皇帝(ツァーリ)として中央集権化を推進し、動乱時代の礎を築いた君主。
ボリス・ゴドゥノフ(1552-1605)はロシアの有力貴族出身で、1584年から実権を握り1598年にツァーリに即位しました。在位中は行政改革と中央集権化を推進し、飢饉や反乱への対応に尽力しました。東方への領土拡大を試みつつ、外交面ではスウェーデンやポーランドとの緩衝を図りました。子嗣がなく、その死後に王位継承問題が「動乱時代(タイムロスチ)」を招く遠因となりました。
1605年 ボリス・ゴドゥノフ ロシア ツァーリ 1552年
1695年

ラ・フォンテーヌ

(1621 - 1695)

詩人

詩人
フランスの詩人・寓話作家。『寓話詩集』で古典主義文学に大きな影響を与えた。
ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ(1621-1695)はフランス古典主義期を代表する詩人・寓話作家です。古代ギリシャ・ローマの寓話を基にした物語詩『寓話詩集』を執筆し、その簡潔で風刺に富む文体が多くの読者を魅了しました。ルイ14世の庇護を受け、宮廷文化にも深く関わりました。動物を擬人化した寓話は道徳的教訓として広く読まれ、美術や音楽など多方面に刺激を与えました。晩年は官職にも就き、法制や図書館管理にも携わりました。
1695年 ラ・フォンテーヌ 詩人 1621年
1728年

サミュエル・モリノー

(1689 - 1728)

イギリス海相、天文学者

イギリス海相 天文学者
18世紀のイギリス海相兼天文学者。科学と政府の両面で活躍した人物。
サミュエル・モリノー(1689-1728)はイギリスの政治家・天文学者として知られ、First Lord of the Admiralty(海相)を務めました。王立協会の会員として星表の作成や測深技術の改良に取り組み、航海術の発展に貢献しました。政府要職と学術活動を両立させ、英海軍の強化と天文学研究の振興に寄与しました。学際的な視点で科学と政策の橋渡しを果たし、18世紀イギリスの海洋研究を支えました。
1728年 サミュエル・モリノー イギリス 天文学者 1689年
寛保元年2月28日

近衛熙子

(1666 - 1741)

江戸幕府第6代将軍徳川家宣の正室

江戸幕府第6代将軍徳川家宣の正室
江戸幕府第6代将軍徳川家宣の正室として内廷を支えた公家出身の女性。
近衛熙子(1666-1741)は公家・近衛家の出身で、徳川家宣(第6代将軍)の正室となりました。幕府と公家社会の結びつきを深める役割を担い、諸儀式や宮中との調整に貢献しました。将軍家の内廷を統率し、権威維持に寄与しました。家宣の死後も、将軍家の後継や内廷運営に影響を与えた存在です。寛保元年(1741年)2月28日に没しました。
1741年 寛保 2月28日 近衛熙子 江戸幕府 徳川家宣 1666年
1794年

リュシル・デュプレシ

(1770 - 1794)

カミーユ・デムーランの妻

カミーユ・デムーランの妻
フランス革命期の政治家カミーユ・デムーランの妻として革命の動乱に寄り添った女性。
リュシル・デュプレシ(1770-1794)はフランス革命期に活動した政治家カミーユ・デムーランの妻です。夫婦は革命の理想を掲げ、政治的論争の中で連携して行動しました。恐怖政治下で夫が処刑された後、リュシルも逮捕され1794年に処刑されました。若年期の詳細は不明ですが、夫との共同活動を通じて女性ながら革命史に名を刻みました。
1794年 リュシル・デュプレシ カミーユ・デムーラン 1770年
1826年

フランツ・ダンツィ

(1763 - 1826)

作曲家

作曲家
ドイツの作曲家・チェロ奏者。古典派から初期ロマン派への橋渡しを担った。
フランツ・ダンツィ(1763-1826)はドイツ出身の作曲家・チェロ奏者で、古典派音楽の伝統を継承しながら初期ロマン派への過渡期を形作りました。宮廷楽団に所属し、オペラ、交響曲、室内楽など幅広い作品を生み出しました。特に木管五重奏曲は後世に大きな影響を与え、現在も演奏されるレパートリーとなっています。演奏家としても評価が高く、ウィーン音楽界で重用されました。晩年はミュンヘンで活動し、1826年に没しました。
1826年 フランツ・ダンツィ 作曲家 1763年
弘化元年2月26日

間宮林蔵

(1775 - 1844)

探検家

探検家
江戸時代後期の探検家・測量家。樺太沿岸や千島列島の測量を行った。
間宮林蔵(1775-1844)は江戸時代後期の探検家・測量家で、幕府の命を受けて樺太(サハリン)沿岸の調査を行いました。間宮海峡(現在の樺太海峡)を発見し、江戸幕府の北方領域認識に大きく貢献しました。千島列島の測量や地図作成も担当し、日本の地理学史に重要な足跡を残しました。帰国後は測量成果を幕府に報告し、地理的知識向上に寄与しました。弘化元年(1844年)2月26日に没しました。
1844年 弘化 2月26日 間宮林蔵 探検家 1775年
1853年

レオポルト・グメリン

(1788 - 1853)

化学者

化学者
ドイツの化学者。無機化学の研究と化学情報の体系化に貢献した。
1788年にドイツのハイデルベルクで生まれた。医学と化学を学び、各地の大学で教鞭を執った。無機化学の分野で多くの研究成果を挙げた。特に金属化合物の研究や鉱物の分析で知られる。1828年からマールブルク大学で教授を務めた後、ハイデルベルク大学に移った。化学知識を体系化した「ゲムリンハンドブック」を編纂し、現代化学データベースの先駆けとなった。1853年に66歳で没した。
1853年 レオポルト・グメリン 化学者 1788年
1874年

江藤新平

(1834 - 1874)

政治家

政治家
明治期の政治家。司法制度の整備に尽力し、のちに佐賀の乱で処刑された。
1834年に肥前国佐賀藩に生まれた。長崎で洋学を修め、旧幕府と明治政府の両方で要職を歴任した。明治維新後は司法卿として日本初の近代的裁判制度の整備に取り組んだ。大審院長や内務卿なども務め、法律制度の基礎を築いた。1874年に佐賀の乱を指導したとして捕らえられ、同年処刑された。
1874年 江藤新平 政治家 1834年