1512年

ガストン・ド・フォワ

(1489 - 1512)

フランスの軍人

フランスの軍人
イタリア戦争で活躍し、史上最年少の総司令官を務めたフランスの若き軍人。
ガストン・ド・フォワ(1489-1512)は、フランス王ルイ12世の甥にあたる軍人で、イタリア戦争において22歳にして総司令官に任命されました。迅速な行軍と大胆な戦術で敵軍を圧倒し、1503年のフォルノヴォの戦いや1512年のラヴェンナの戦いで顕著な戦果を挙げました。特にラヴェンナの戦いでは戦死し、その若さにもかかわらず戦術的才能を遺憾なく発揮しました。わずか23歳で迎えた最期は、ルネサンス期の軍事史における伝説として語り継がれています。その勇猛さと指揮力は同時代の文学や絵画にも描かれ、後世の軍人にも影響を与えました。
1512年 ガストン・ド・フォワ フランス 1489年
永正9年3月25日

朝倉貞景

(1473 - 1512)

戦国大名

戦国大名
越前国を治めた戦国大名。
朝倉貞景(1473-1512)は、越前国の戦国大名朝倉氏の当主として領国統治を行いました。家臣団の結束を図り、城郭の整備や農業振興に努めて地域社会の安定化を推進しました。周辺勢力との抗争にも積極的に関与し、越前の防衛体制強化に尽力しました。1512年、戦乱の中で戦死し、その統治の多くは後継者に引き継がれました。地域を支えた手腕と壮絶な最期は、越前の戦国史に名を刻んでいます。
永正 3月25日 朝倉貞景 戦国大名 1473年
慶長20年3月14日

奥平信昌

(1555 - 1615)

戦国武将、加納藩主

戦国武将 加納藩主
徳川氏に仕え、加納藩主として藩政改革に取り組んだ戦国武将。
奥平信昌(1555-1615)は、徳川家康に仕えた戦国武将で、関ヶ原の戦いや大坂夏の陣で活躍しました。戦功により美濃加納藩初代藩主に任じられ、藩政改革や城下町整備を推進しました。農業振興や商工業の発展に注力し、領民の暮らし向上に取り組みました。江戸幕府成立期には幕府の重臣としても重用され、政治・軍事両面で重要な役割を果たしました。1615年に隠居し、その年に没しました。
1615年 慶長 奥平信昌 戦国武将 加納藩主 1555年
元和3年3月6日

最上家親

(1582 - 1617)

山形藩主

山形藩主
江戸初期に山形藩を治めた大名。
最上家親(1582-1617)は、最上氏第15代当主として羽州山形藩を統治しました。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後に領地を安堵されて藩政基盤を固めます。家臣団の再編や年貢制度の見直しで財政再建に努め、城下町の整備も推進しました。学問や芸能の保護に力を入れ、山形藩の文化的発展に寄与しました。1617年に死去し、その功績は後世に受け継がれています。
1617年 元和 3月6日 最上家親 山形藩主 1582年
万治2年2月20日

松平忠国

(1597 - 1659)

播磨国明石藩大名

播磨国明石藩大名
明石藩初代藩主として藩政改革を進めた江戸時代前期の大名。
松平忠国(1597-1659)は、播磨国明石藩の初代藩主として藩政基盤の確立に努めました。幕府の重臣として海運政策や朱印船貿易に貢献し、藩財政の安定を図りました。城下町の復興や教育振興を推進して領民の生活向上に尽力しました。学問や文化事業を支援し、播磨明石地域の学術・芸能の発展に貢献しました。1659年に死去し、明石藩の礎を築いた人物として知られています。
1659年 万治 2月20日 松平忠国 播磨国明石藩 大名 1597年
1945年

フレデリック・ルガード

(1858 - 1945)

軍人、探検家、香港総督、ナイジェリア総督

軍人 探検家 香港総督 ナイジェリア総督
イギリスの軍人・探検家、香港総督やナイジェリア総督を務めた植民地行政官。
フレデリック・ジョン・ディールトリー・ルガードは1858年生まれ。ケニアや西アフリカで探検隊に参加した後、植民地行政の道を歩みました。1907年から1912年まで香港総督を務め、インフラ整備や教育改革に取り組みました。1912年から1919年はナイジェリア総督(後の総督総監)を務め、「間接統治」の政策を推進しました。植民地統治論の理論的枠組みを著作にまとめ、多方面で知られました。1945年4月11日にロンドンで逝去しました。
1945年 フレデリック・ルガード 軍人 探検家 香港総督 ナイジェリア 1858年
2004年

斎藤高順

(1924 - 2004)

自衛官、作曲家、指揮者

自衛官 作曲家 指揮者
日本の自衛官・作曲家・指揮者。陸上自衛隊音楽隊で活躍した。
1924年生まれ。陸上自衛隊音楽隊に所属し、自衛隊行進曲などを作曲。 指揮者としても数々の演奏会を率い、軍楽隊の水準向上に貢献。 自衛官としての経験を生かし、儀礼音楽や式典用楽曲の編曲にも携わった。 また音楽教育にも力を入れ、多くの隊員音楽家を指導。 2004年に逝去。その作品は現在も自衛隊行事で演奏され続けている。
2004年 斎藤高順 1924年