1858年

イギリス国会議事堂の時計塔に重さ13.5トンの大時鐘が完成。工事責任者ベンジャミン・ホール卿にちなみビッグ・ベンと命名。

1858年4月10日、イギリス国会議事堂の時計塔に13.5トンの大時鐘が設置され、『ビッグ・ベン』と名付けられました。
ロンドンのウェストミンスター宮殿にある時計塔は、大規模な再建計画の一環として建設されていました。1858年4月10日、中央の大きな時鐘が完成し、工事監督のベンジャミン・ホール卿にちなみ『ビッグ・ベン』と呼ばれるようになりました。ベルの重量は約13.5トンに上り、当時としては最大級の塔時計用の鐘でした。時計機構はエドワード・ジョン・ダントなどの技術者が手がけ、その正確さは高く評価されました。ビッグ・ベンはイギリス時計技術の象徴となり、現在でもロンドンの代表的なランドマークとして親しまれています。
1858年 イギリス国会議事堂 ビッグ・ベン
1912年

タイタニック号がイギリスのサウサンプトン港からアメリカのニューヨーク港に向けての最初で最後の航海に出航。

1912年4月10日、豪華客船タイタニック号がイギリス・サウサンプトン港を出航し、ニューヨークへの初航海を開始しました。
タイタニック号は当時世界最大級の客船としてホワイト・スター・ライン社が建造しました。4月10日午後12時頃、約2200人の乗客・乗員を乗せた船はサウサンプトンを出港しました。乗客には富裕層や移民、船舶関係者など多彩な顔触れが含まれていました。船内には豪華な客室やダイニングルーム、プールなど最新設備が備えられていました。この航海は悲劇的な氷山衝突事故を伴う最初で最後の航海となりました。タイタニック号は4月14日に氷山と衝突し、4月15日に沈没しました。
1912年 タイタニック号 ニューヨーク
1919年

地方鉄道法公布。

日本で地方鉄道の整備と運営基準を定める地方鉄道法が公布された。
1919年4月10日、地域の交通網拡充を目的として地方鉄道法が公布されました。この法律は地方鉄道の事業許可制や運賃基準、技術基準などを明確に定め、民間資本による鉄道建設を促進する仕組みを導入しました。地方経済の発展や住民の移動利便性向上に寄与し、多くの中小私鉄路線の設立につながります。法の整備は後の鉄道網拡大に重要な役割を果たし、日本の交通インフラ発展の基盤となりました。
地方鉄道法
1942年

広島電鉄設立。

1942年4月10日、広島市内の路面電車を運営する広島電鉄が設立されました。
広島電鉄は市街地と郊外を結ぶ路面電車網の整備を目的に設立されました。広島市電の前身路線を引き継ぎ、第二次世界大戦中の混乱期においても市民の重要な交通手段となりました。設立後は路線網の拡大や最新車両の導入を進め、戦後復興期には市民の足として機能しました。現在まで続く広電の路面電車は、広島市の象徴的な交通インフラとして観光客にも親しまれています。環境に優しい交通手段としての役割も注目されています。
1942年 広島電鉄
1988年

瀬戸大橋(下津井瀬戸大橋、櫃石島橋、岩黒島橋、与島橋、北備讃大橋、南備讃大橋の6橋)が開通。瀬戸大橋線(児島 坂出・宇多津間)開通によりJR7社の線路が全てつながった。

1988年4月10日、瀬戸大橋6橋が開通し、本州と四国が鉄道・道路で直結しました。
瀬戸大橋は岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ6橋で構成される連絡橋です。 1988年4月10日に開通し、瀬戸大橋線(児島-坂出・宇多津間)の鉄道と自動車道が同時に運行を開始しました。 下津井瀬戸大橋、櫃石島橋、岩黒島橋、与島橋、北備讃大橋、南備讃大橋の6つの橋梁が連続して架橋されています。 これによりJR7社の路線が初めて一続きに結ばれ、本州四国間のアクセスが飛躍的に向上しました。 橋の建設には先端技術が投入され、景観美と機能性を両立させた構造として評価されています。
1988年 瀬戸大橋 下津井瀬戸大橋 櫃石島橋 岩黒島橋 与島橋 瀬戸大橋線 児島 坂出 宇多津 JR
2000年

東京都交通局が都の増収策の一環としてラッピングバス(車体全面広告バス)の運行を開始。

2000年4月10日、東京都交通局が車体全面広告を施したラッピングバスの運行を開始しました。
東京都交通局は2000年4月10日、公共交通の収益確保策としてラッピングバス(車体全面広告バス)を導入しました。 従来の側面広告に比べ、全車体を広告面として活用することで広告効果を高めました。 地域企業やイベントのプロモーションに活用され、都営バスの新たな収益源となりました。 これを機に全国の地方交通事業者でもラッピングバスの導入が広がりました。 ラッピングデザインは路線ごとに多彩に展開され、街中の風景としても話題を集めました。
2000年 東京都交通局 ラッピングバス(車体全面広告バス)
2009年

広島東洋カープの新本拠地MAZDA Zoom Zoom スタジアム広島がオープン。

広島東洋カープの新しい本拠地スタジアムが開場した日。球団史に新たな歴史の幕開けとなりました。
2009年4月10日、広島市南区にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島が開場しました。 従来の広島市民球場に替わる新本拠地は、観客席とグラウンドが近接し、臨場感を追求した設計が特徴です。 収容人員約33,000人を誇り、初年度からファンで満員となる盛況ぶりを見せました。 『未来へズーム!ズーム!』をテーマにした命名権で、球場名には自動車メーカーMAZDAの社名が冠されました。 球場周辺の再開発も進み、地域活性化に大きく貢献しています。 プロ野球界に新しい観戦スタイルを提案した象徴的な施設として、多くの野球ファンから支持を集めています。
広島東洋カープ MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島