1815年

インドネシアのタンボラ山で過去最大規模の噴火が始まる。この影響により翌年は世界各地で夏のない年と呼ばれる異常気象となる。

タンボラ山の史上最大級の噴火が始まり、翌年の『夏のない年』を招いた異常気象を引き起こしました。
1815年4月10日、インドネシアのスマトラ島とジャワ島の間に位置するタンボラ山で史上最大級(VEI7)の大噴火が発生しました。火山灰や火山弾は数十キロメートルにわたり飛散し、津波や地震による被害も甚大でした。噴煙は成層圏まで達し、地球規模で気候変動を引き起こしました。噴火の影響で1816年には世界各地で異常低温が続き、『夏のない年』と呼ばれる飢饉や農作物の不作が発生しました。ヨーロッパや北米では霜害や飢饉が社会不安を招き、文学や文化にも影響を与えました。
1815年 インドネシア タンボラ山 過去最大規模の噴火 夏のない年
1963年

アメリカの原子力潜水艦スレッシャーが沈没。初の原潜事故。

1963年4月10日、米海軍原子力潜水艦スレッシャーが沈没し、初の原潜事故が発生しました。
1963年4月10日、原子力潜水艦スレッシャーは海底で沈没し、乗組員129名が犠牲になりました。 事故調査では配管破損やバラスト制御システムの故障が原因とされ、海軍の運用手順や設計基準が見直されました。 この悲劇は潜水艦の安全性強化を促し、その後の原潜開発と訓練プログラムに大きな影響を与えました。 同様の事故を防ぐため、米海軍は新たな緊急浮上手順と監視システムを導入しました。 スレッシャー沈没は冷戦期の海軍史に残る教訓的な事件となりました。
1963年 原子力潜水艦 スレッシャー
2010年

ポーランドの政府専用機がロシア・スモレンスクで墜落、レフ・カチンスキ大統領夫妻を含め96人全員が死亡。(ポーランド空軍Tu 154墜落事故)

ポーランド大統領夫妻を含む政府専用機乗員乗客96名がスモレンスク近郊で墜落し、全員が死亡した痛ましい事故です。
2010年4月10日、ポーランド空軍Tu-154政府専用機がロシア・スモレンスク近郊で墜落し、搭乗していたレフ・カチンスキ大統領夫妻ら96名全員が犠牲となりました。 濃霧の中で滑走路を逸脱したとされる事故は、ポーランド国内に大きな衝撃を与えました。 大統領らはカティンの森追悼式典出席のため移動中で、国家的悲劇として記憶されています。 事故後は国際的な調査が行われ、安全対策や原因究明への関心が高まりました。 今日でもその背景や責任論について議論が続く、歴史に残る航空事故です。
2010年 ポーランド 政府専用機 ロシア スモレンスク レフ・カチンスキ ポーランド空軍Tu-154墜落事故