1830年

末日聖徒イエス・キリスト教会が組織される。

アメリカで末日聖徒イエス・キリスト教会が正式に組織されました。 モルモン教としても知られる宗教団体の歴史的な始まりです。
1830年4月6日、ジョセフ・スミスを指導者とし、末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS教会)が正式に設立されました。 この団体は後に「モルモン教」とも呼ばれ、独自の聖典『モルモン書』を持つことが特徴です。 初期の信者は迫害を受けつつも、後にユタ州などへ移住し共同体を築きました。 現在では世界中に数百万人の信者を抱える国際的な宗教組織に成長しています。 アメリカ宗教史において重要な位置を占める出来事です。
1830年 末日聖徒イエス・キリスト教会
1882年

自由党党首の板垣退助が遊説中に暴漢に襲われる。(岐阜事件)

自由党党首・板垣退助が岐阜で演説中に襲撃される岐阜事件が発生。 初期民権運動に衝撃を与えた政治事件です。
1882年4月6日、岐阜市で自由党党首の板垣退助が遊説中に暴漢に襲撃され負傷しました。 政府による言論弾圧や民権運動への圧力を象徴する事件として大きな議論を呼び起こします。 板垣は後に公職追放となりましたが、民権運動への支持はむしろ強まりました。 岐阜事件は明治期の政治的緊張を示す一例として歴史に刻まれ、言論・集会の自由の重要性が浮き彫りに。 事件後の憲法論議や政党政治の発展に影響を与えました。
1882年 自由党 板垣退助 岐阜事件
1919年

インドでマハトマ・ガンディーにより第1次サティヤーグラハ(非暴力・不服従)運動が開始される。

マハトマ・ガンディーがインドで第1次サティヤーグラハ運動を開始しました。 非暴力抵抗運動の歴史的幕開けです。
1919年4月6日、イギリス領インドにおいてガンディーが第1次サティヤーグラハを始動。 非暴力・不服従を掲げた市民的抵抗運動は、税金拒否やボイコットを中心に展開されました。 数千人の市民が参加し、イギリス当局との対立が徐々に深まっていきます。 サティヤーグラハは後の独立運動や世界各地の公民権運動にも大きな影響を与えました。 ガンディーはこの運動を通じて精神的リーダーとしての地位を確固たるものにしました。
1919年 インド マハトマ・ガンディー
1931年

東京放送局(現在のNHK放送センター)がラジオ第2放送を開始。

1931年4月6日、東京放送局(現NHK)がラジオ第2放送を開始し、番組多様化の扉を開いた。
1931年4月6日、東京放送局(現在のNHK放送センター)がラジオ第2放送を開始しました。 第1放送に続き、新たな音楽、演芸、教養番組を提供しました。 放送周波数は782kHzで、夜間番組を中心に編成されました。 当時の受信機普及と相まって、全国の家庭に多彩なラジオ番組が届くようになりました。 これによりラジオの役割は娯楽から情報伝達へと拡大しました。 放送コンテンツの多様化は日本のマスメディア史における重要な一歩となりました。
1931年 東京放送局 NHK放送センター ラジオ第2放送