1199年

リチャード1世

(1157 - 1199)

イングランド国王

イングランド国王
イングランド国王として十字軍を指揮し、『獅子心王』の異名で知られる。
リチャード1世(1157–1199)はプランタジネット朝のイングランド国王。1189年に即位し、第三回十字軍で勇猛に戦ったことで名声を博した。聖地奪回を目指しながらも捕虜となるなど激動の生涯を送り、『獅子心王(Lionheart)』と称された。帰国途上の1199年に戦傷がもとで没し、その勇名は後世に語り継がれている。父ヘンリー2世との緊張関係にもかかわらず、独自の統治手腕を発揮した点も評価される。
1199年 リチャード1世 イングランド 1157年
1490年

マーチャーシュ1世

(1443 - 1490)

ハンガリー王

ハンガリー王
ハンガリー王国を統治し、文化・軍事改革を進めた『コルヴィヌス王』と称される人物。
マーチャーシュ1世(1443–1490)はハンガリー王として1458年に即位し、強力な中央集権体制を確立した。ルネサンス文化を保護し、ブラックアーミーと呼ばれる私設軍隊を組織して軍事力を強化した点が特徴である。近隣諸国との戦いを通じて国境を拡大し、中央ヨーロッパで影響力を高めた。学術・芸術分野にも関心を寄せ、『コルヴィヌス王』の名を冠した王宮図書館を創設して文化発展に貢献した。1490年に逝去し、その治世は後世に讃えられた。
1490年 マーチャーシュ1世 ハンガリー 1443年
1520年

ラファエロ・サンティ

(1483 - 1520)

画家

画家
ルネサンス期イタリアを代表する画家で、建築家としても活躍した。
ラファエロ・サンティ(1483–1520)はイタリア・ウルビーノ公国で生まれ、ペルジーノの工房で修業した。1504年にはフィレンツェに移り、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと交流しながら画風を発展させた。1508年からはローマ教皇ユリウス2世の庇護を受け、バチカン宮殿のフレスコ画『アテネの学堂』など壮麗な作品を手がけた。絵画のみならず建築にも意欲を示し、サン・ピエトロ大聖堂の設計に携わった。享年37で逝去したが、その融合された美の理念は永く美術史に影響を与え続けている。
1520年 ラファエロ・サンティ 画家 1483年
1528年

アルブレヒト・デューラー

(1471 - 1528)

画家

画家
ドイツ・ルネサンスの巨匠で、版画家・理論家としても名高い。
アルブレヒト・デューラー(1471–1528)はニュルンベルク生まれのドイツ人芸術家。木版画や銅版画で『黙示録』シリーズや『騎士・死・悪魔』等の名作を生み出した。イタリアを旅してルネサンス美術に触れ、遠近法や人体表現の理論書を著すなど、芸術理論の発展にも寄与した。版画技術を通じて幅広い層に美術を普及させ、『西洋版画の父』とも称される。没後もその高度な技術と知識は後代の芸術家に大きな影響を与え続けている。
1528年 アルブレヒト・デューラー 1471年
永禄13年3月1日

三淵晴員

(1500 - 1570)

戦国武将

戦国武将
毛利氏に仕えた戦国時代の武将で、政務と軍事の両面で活躍した。
三淵晴員(1500–1570)は戦国時代の武将で、安芸国の毛利氏に仕えた。毛利元就の家臣として大内氏や陶氏との戦いに参与し、領内統治や外交交渉を担った。特に厳格な財政運営と軍制改革に貢献し、毛利氏の勢力拡大を支えた。永禄年間には国内の反乱鎮圧にも手腕を発揮した。1570年に没し、その行政・軍事両面での功績は戦国期の有能な家臣として評価されている。
1570年 永禄 3月1日 三淵晴員 戦国武将 1500年
天正8年3月22日

木脇祐守

(1526 - 1580)

戦国武将

戦国武将
戦国時代に活動した武将で、地域防衛に努めた。
木脇祐守(1526–1580)は戦国時代の武将。詳細な伝承は少ないが、領国の防衛や周辺諸勢力との抗争に従事したとされる。天正期には領内の治安維持と城塞の管理を担い、地域社会の安定化に貢献した。1580年3月22日に没し、その名は主君の側近武将として歴史に刻まれている。
1580年 天正 3月22日 木脇祐守 1526年
1590年

フランシス・ウォルシンガム

(1532 - 1590)

イングランドの政治家

イングランドの政治家
エリザベス1世に仕え、国家情報網を構築したスパイマスター。
フランシス・ウォルシンガム(1532–1590)はエリザベス1世の宰相代理として国家安全保障を担った。ケンブリッジ大学で学んだ後、議員を経て1573年に宰相補佐官に就任し、スペインやカトリックの陰謀から王政を守るための情報網を整備した。暗号解読や密偵組織の運用に長け、ロンドン塔を拠点に諜報活動を主導した。私掠船を利用した海上作戦も支援し、イングランドの国際的地位向上に寄与した。1590年4月6日に死去し、その功績は英国諜報機関の歴史に刻まれている。
1590年 フランシス・ウォルシンガム イングランド 政治家 1532年
寛永11年3月9日

大橋宗桂 (初代)

(1555 - 1634)

将棋指し

将棋指し
江戸時代初期に活躍した将棋棋士で、大橋派の基礎を築いた。
大橋宗桂(1555–1634)は江戸時代初期の将棋棋士で、大橋将棋の祖とされる。江戸において将棋を職業とし、家元制を確立して棋士の社会的地位向上に尽力した。初代家元として駒組や定跡を体系化し、『将棋図式』などの書物を通じて技術の伝承を行った。将棋界における職業化の礎を築き、後世の棋士たちに多大な影響を与えた。寛永11年3月9日に亡くなった。
1634年 寛永 3月9日 大橋宗桂 (初代) 将棋指し 1555年
1660年

ジョヴァンニ・バッティスタ・オディエルナ

(1597 - 1660)

天文学者

天文学者
イタリアの天文学者・博物学者。彗星や星雲の観測で先駆的役割を果たした。
ジョヴァンニ・バッティスタ・オディエルナ(1597–1660)はシチリア出身の天文学者・博物学者。パレルモ大学で学んだ後、望遠鏡を用いて彗星や星雲の観測を行い、多くの天体を記録した。生物学にも関心を持ち、昆虫や貝類の標本収集を行ったとされる。代表作『宇宙構造論』では天体の分類や宇宙観を展開し、同時代の学術界に影響を与えた。1660年に没し、その広範な研究は後世の科学者に引き継がれた。
1660年 ジョヴァンニ・バッティスタ・オディエルナ 1597年
1660年

ミケランジェロ・チェルクォッツィ

(1602 - 1660)

画家

画家
バロック期ローマで活躍したイタリアの画家。風俗画や戦闘画で名高い。
ミケランジェロ・チェルクォッツィ(1602–1660)はローマを拠点に活動したイタリアのバロック期画家。カラヴァッジョの写実主義を継承しつつ、動的な構図で戦闘場面や風俗画を得意とした。ガヴァッサーニ美術アカデミーの設立に関与し、後進の育成にも尽力した。装飾画や天井画などの大規模作にも手腕を発揮し、教会や邸宅の壁面装飾を手がけた。1660年に逝去し、その多彩な作品群はバロック美術の一翼を担った。
ミケランジェロ・チェルクォッツィ 1602年
1684年

ドメニコ・マリア・カヌーティ

(1625 - 1684)

画家

画家
イタリアのバロック期の画家。主にフレスコ画で知られ、ボローニャやローマで活躍した。
1625年にボローニャで生まれ、バロック様式のフレスコ画を数多く手掛けた。 主に宗教画や宮殿装飾に秀で、サン・ペトロニオ聖堂などで華麗な作品を残した。 その躍動感あふれる表現と豊かな色彩は同時代の画家にも影響を与えた。 ローマでも活動し、教会や宮廷からの依頼を受けて装飾画を制作。 弟子を通じて技法が継承され、後世のフレスコ画壇に多大な足跡を残した。 1684年に没し、イタリア・バロック美術の代表的人物の一人として知られる。
1684年 ドメニコ・マリア・カヌーティ 1625年
1759年

ヨハン・ゴットフリート・ツィン

(1727 - 1759)

解剖学者、植物学者、ゲッティンゲン大学植物園長

解剖学者 植物学者 ゲッティンゲン大学植物園長
ドイツの解剖学者・植物学者で、ゲッティンゲン大学植物園の初代園長を務めた。
1727年に生まれ、ハレとゲッティンゲン大学で医学と自然科学を学んだ。 独自に植物の系統分類を進め、後に命名されたキク科の花「ジニア(Zinnia)」にその名を残す。 1749年にゲッティンゲン大学の植物園長に就任し、園内の整備と標本収集を推進。 解剖学者としての研究も行い、人体構造の詳細な記述を行った論文を発表。 31歳の若さで急逝したが、その研究成果は後の植物学・解剖学の発展に寄与した。
1759年 ヨハン・ゴットフリート・ツィン 英語版 ゲッティンゲン大学 1727年