1081年

アレクシオス1世コムネノスが東ローマ帝国皇帝に即位。コムネノス王朝が始まる。

アレクシオス1世コムネノスが即位し、東ローマ帝国の再建とコムネノス王朝の成立をもたらした。
1081年アレクシオス1世コムネノスは東ローマ帝国皇帝に即位した。 即位後、帝国の軍事・財政改革を断行し、セルジューク朝との戦闘で勝利を収め、帝国領土と権威を回復した。 この即位によってコムネノス王朝が成立し、約2世紀にわたり東ローマ帝国は繁栄を取り戻した。 アレクシオス1世の改革は国内安定と防衛力強化に寄与し、帝国を支える基盤となった。 彼の統治は中世ビザンティウム史の転機として高く評価されている。
1081年 アレクシオス1世コムネノス 東ローマ帝国 コムネノス王朝
1573年

織田信長が、室町幕府の将軍・足利義昭の二条御所を取り囲む。7日に勅命により、和睦。

織田信長が足利義昭の拠点を包囲し、室町幕府を揺るがす圧力をかけた。
1573年、織田信長は足利義昭の居城・二条御所を包囲し、室町幕府に対して強硬な姿勢を示した。 幕府側は7日の勅命を受け入れ和睦し、信長の勢力拡大が確実となった。 この出来事により室町幕府の実権は名目的なものとなり、信長は事実上の全国支配に向けて大きく前進した。 日本の戦国時代は信長の台頭を契機に新たな局面を迎え、中央集権化への道を開いた。 以後の政治情勢にも大きな影響を与えた歴史的転機である。
1573年 織田信長 室町幕府 将軍 足利義昭 二条御所 勅命 和睦
1581年

海賊フランシス・ドレークがエリザベス女王からナイトの爵位を受ける。

フランシス・ドレークがナイトの爵位を授与され、英国の海軍英雄として名声を得た。
1581年、イギリス女王エリザベス1世は海賊で探検家のフランシス・ドレークにナイトの爵位を授与した。 ドレークはスペイン船を襲撃し巨額の戦利品をロンドンにもたらした実績が評価された。 爵位授与は海軍力の象徴となり、国威高揚の一助となった。 この出来事によりドレークは正式に国家の英雄とみなされるようになり、英国海軍の発展にも寄与した。 後世においても彼の海上探検と戦功は伝説的な名声を博している。
1581年 海賊 フランシス・ドレーク エリザベス女王 ナイト
1660年

清教徒革命: オランダに亡命中の元スコットランド王チャールズ2世がブレダ宣言を発布。

チャールズ2世がブレダ宣言を発布し、王政復古への道を開く。
1660年、亡命中のチャールズ2世がオランダのブレダで宣言を発布し、和平と宗教的寛容を約束した。 このブレダ宣言は王政復古を支持する世論を形成し、清教徒革命による混乱からの回復を示唆した。 イギリス国内では王党派と議会派の交渉が活発化し、チャールズ2世の帰国環境が整った。 後の王政復古では彼がイングランド王として即位し、クロムウェル時代の清教徒共和制に決定的な終止符が打たれた。 政治的・宗教的に大きな転換点となった重要な宣言である。
1660年 清教徒革命 チャールズ2世 ブレダ宣言
1814年

フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが将軍連の反乱により退位させられる。

ナポレオン・ボナパルトが将軍連の反乱により退位し、帝政の終焉を迎えた。
1814年、連合軍の圧力とフランス内の将軍らの反乱により、ナポレオン・ボナパルトは退位を余儀なくされた。 彼はエルバ島への流刑に処され、第一帝政は一時終焉を迎えた。 退位後、フランスではブルボン復古王政が成立し、ヨーロッパ列強による再編が進められた。 この出来事はナポレオン戦争の一区切りとなり、ウィーン会議へとつながる。 ナポレオンの退位はヨーロッパの勢力均衡に影響を与えた。
1814年 ナポレオン・ボナパルト 退位
天保11年3月2日

水野忠邦の抜擢により勘定奉行・遠山景元が呉服橋の北町奉行に着任。

水野忠邦の抜擢で遠山景元が江戸幕府の北町奉行に就任した。
1840年、老中・水野忠邦の推挙により、勘定奉行遠山景元が呉服橋から北町奉行に任命された。 北町奉行は江戸市中の治安維持と司法を担当する重要職であった。 景元は後に天保の改革に関わり、幕政刷新の中心人物として知られるようになる。 この人事は水野忠邦の幕政改革の一環であり、行政効率化を図る狙いがあった。 幕府の職員登用に一石を投じるできごとであった。
1840年 天保 3月2日 水野忠邦 遠山景元 北町奉行
1841年

アメリカ大統領ウィリアム・ハリソンが就任1か月で死去。副大統領ジョン・タイラーが大統領に就任。

ウィリアム・ハリソン大統領が急逝し、ジョン・タイラーが第10代大統領に昇格した。
1841年、就任後わずか1か月のウィリアム・ハリソン大統領が病没し、アメリカ史上最短在任の記録を残した。 副大統領ジョン・タイラーが第10代大統領に昇格し、初の大統領継承の前例を作った。 この出来事は継承権や憲法解釈に重要な影響を与え、後の政権移行手続きの基礎となった。 政権交代の安定性を確保する観点から大きな意味を持つ歴史的事件である。 以降、大統領不在時の対応が制度的に整備されていく契機となった。
1841年 ウィリアム・ハリソン ジョン・タイラー
1917年

日本がロシアの臨時政府を承認。

日本がロシア革命後の臨時政府を公式に承認し、第一次世界大戦下の外交体制に変化をもたらした。
1917年4月4日、日本政府はロシア革命後に成立した臨時政府を公式に承認。これにより日露関係の修復を図るとともに、連合国間の協力体制を強化した。帝政崩壊直後の外交判断は、後のシベリア出兵など日本の対ロ政策に大きな影響を与えた。
1917年
1939年

イラク国王ガージーが交通事故死。3歳のファイサル2世が即位。

イラク国王ガージー1世が交通事故で死去し、3歳のファイサル2世が王位を継承した。
1939年4月4日、イラク国王ガージー1世がベイルート近郊で自動車事故により急死。3歳の子息ファイサル2世が即位し、母イリシャと政治家ヌーリ・アル=サーイードを中心とする摂政政府が権力を掌握した。王朝交代はイラクの政情不安と後の中東情勢に影響を及ぼす序章となった。
1939年 イラク ガージー ファイサル2世
1949年

ワシントンで西側12か国が北大西洋条約に調印。8月24日に北大西洋条約機構(NATO)が発足。

西側12カ国がワシントンで北大西洋条約に調印し、NATO設立への道を開いた。
1949年4月4日、アメリカ・ワシントンD.C.でアメリカ、イギリス、フランスなど西側12カ国が北大西洋条約に署名。条約は集団的自衛を基盤とし、ソ連の影響拡大に対抗する目的で8月24日に北大西洋条約機構(NATO)が正式発足した。冷戦期の西側同盟の枠組みを形成した歴史的な一歩とされる。
1949年 北大西洋条約 8月24日 北大西洋条約機構
1960年

セネガルがフランスから独立。

セネガルがフランスから独立し、西アフリカに新たな国家が誕生した。
1960年4月4日、セネガルがフランスの植民地支配から独立を果たし、首都ダカールで独立宣言が行われた。レオポルド・セダール・サンゴールが初代大統領に就任し、旧仏連合を通じた経済関係を維持しつつ、アフリカ統一運動の一翼を担った。独立記念日は国の祝日となっている。
1960年 セネガル フランス
1972年

西山事件: 沖縄返還交渉の機密を漏洩した容疑で、毎日新聞社の西山太吉記者らを逮捕。

沖縄返還交渉の機密を漏洩したとして、毎日新聞社の西山太吉記者らが逮捕された事件。
西山事件は1972年4月4日、日本の外交上極秘とされていた沖縄返還交渉に関わる機密文書が毎日新聞社の西山太吉記者の手元にあったとして捜査が開始されたことに端を発します。 同日、報道によって政府の交渉戦略や譲歩案などが明るみに出たことを受け、西山記者ら数名が国家機密保護法違反の疑いで逮捕されました。 事件は報道の自由と国家秘密の境界を巡る大きな議論を呼び、ジャーナリズムの在り方や報道機関への圧力について社会的な関心が高まりました。 その後の裁判では、取材活動の正当性や報道の公共性が問われ、最終的には逮捕された記者の処遇にも影響を与えました。
1972年 西山事件 沖縄返還交渉 西山太吉