397年

アンブロジウス

(340 - 397)

キリスト教のラテン教父、ミラノ司教

キリスト教のラテン教父 ミラノ司教
4世紀のキリスト教司教。後世に大きな影響を与えたラテン教父の一人。ミラノ教会の基礎を築いた人物。
340年にローマ帝国貴族の家系に生まれる。官僚としてキャリアを積んだ後、374年にミラノ司教に選出される。教義形成や教会組織の整備に尽力し、聖歌(アンブロジアン聖歌)の発展に寄与。アウグスティヌスの改宗に大きな影響を与え、『教父』四博士の一人に数えられる。397年4月4日に没し、偉大な教会指導者として記憶される。
397年 アンブロジウス ラテン教父 ミラノ 司教 340年
636年

イシドールス

(560 - 636)

神学者

神学者
6世紀の神学者・大司教。百科全書『エティモロギア』を著し、中世の学問体系に大きな影響を残した人物。
560年頃にイベリア半島に生まれる。セビリア大司教として教会改革と教育振興に尽力。著作『エティモロギア』は古典文献から神学、自然学までを網羅する百科全書として知られる。聖書学や古典研究を基に中世の学問を体系化し、多くの学校設立に影響を与えた。636年4月4日に逝去し、後に聖人として列せられる。
636年 イシドールス 神学者 560年
896年

フォルモスス

第111代ローマ教皇

第111代ローマ教皇
9世紀末に在位したローマ教皇。在位中は激しい権力闘争に巻き込まれ、死後の『死体会議』で歴史に名を残した。
在位は891年から896年までとされるが、生年や出自には諸説ある。教皇として中央集権化を志し、東フランク王国との対立が続く。896年4月4日に没し、後任ステファヌス6世によってCadaver Synod(死体会議)が強行され、遺体が裁かれる異例の裁判が行われた。結果的に教会の名誉回復が図られ、この事件は中世教会史の象徴的な出来事として語り継がれる。
896年 フォルモスス ローマ教皇
1284年

アルフォンソ10世

(1221 - 1284)

カスティーリャ王

カスティーリャ王
『賢王アルフォンソ』の名で知られるカスティーリャ王。学問と文化の振興に生涯を捧げた君主。
1221年にカスティーリャ王室に生まれる。1252年に王位を継承し、法典編纂や公文書のカスティーリャ語への翻訳を推進。天文学では『アルフォンソ天体表』を編纂し、ヨーロッパ科学に影響を与えた。宮廷文化の発展にも力を注ぎ、詩や音楽、演劇を保護。中央集権化を進める一方で、法学書の整備に取り組み、1284年4月4日に没する。後世、「賢王」と称賛される。
1284年 アルフォンソ10世 カスティーリャ王 1221年
1292年

ニコラウス4世

(1227 - 1292)

第191代ローマ教皇

第191代ローマ教皇
初のフランシスコ会出身教皇として知られるローマ教皇。修道院改革と教会行政の整備に尽力した。
1227年頃にイタリアで生まれ、フランシスコ会に入会。教皇に選出された初のフランシスコ会出身者として、清貧と規律回復を重視。ヨーロッパ各地の紛争調停や教皇領の行政整備を推進し、聖母崇敬を奨励。教会改革の一環として修道院生活の規則を厳格化した。1292年4月4日に死去し、その質素な姿勢は後世に語り継がれる。
1292年 ニコラウス4世 1227年
1305年

フアナ1世

(1271 - 1305)

ナバラ女王、シャンパーニュ女伯

ナバラ女王 シャンパーニュ女伯
ナバラ女王かつシャンパーニュ女伯。フランス王フィリップ4世の王妃として国際的同盟を強化した女性君主。
1271年にナバラ王家に生まれ、父ヘンリー1世の死により女王と女伯を継承。1284年にフランス王フィリップ4世と結婚し、政治的同盟を深める。二人の息子ルイ10世はフランス王に即位し、ナバラとの関係が密接に。宮廷文化の交流や法律整備に貢献し、国際的な影響力を発揮。1305年4月4日に没し、ヨーロッパ王室史に名を残す。
1305年 フアナ1世 ナバラ女王 シャンパーニュ女伯 1271年
1536年

フリードリヒ5世

(1460 - 1536)

ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯

ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯
フランケン地方を統治したホーエンツォレルン家出身の辺境伯。領地経営と文化振興に貢献した君主。
1460年にプロイセン貴族ホーエンツォレルン家に生まれる。1486年にアンスバッハ辺境伯領を相続し、領地統治を開始。都市の特権拡充や教会保護者としての役割を果たし、建築事業を通じて宮廷文化を発展させた。宗教改革初期の動向にも敏感に対応し、騎士団への影響力を維持。1536年4月4日に没し、後継者に平穏な統治を引き継いだ。
1536年 フリードリヒ5世 ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯 1460年
1566年

ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ

(1509 - 1566)

画家、彫刻家

画家 彫刻家
マニエリスム期のイタリア人画家・彫刻家。ミケランジェロ作『最後の審判』の修復で『イル・ブラゲットーネ』の異名を持つ。
1509年にイタリア・ヴォルテッラ近郊で生まれる。若くしてミケランジェロに師事し、ローマで活躍。『最後の審判』の裸体部分に衣服を付け加えた修復作業で『イル・ブラゲットーネ(下着男)』と呼ばれる。宗教絵画や神話画を通じてマニエリスム様式を発展させ、彫刻作品でも非凡な造形力を示す。1566年4月4日に没し、その独自の審美眼は後世に評価される。
1566年 ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ 画家 彫刻家 1509年
1588年

フレゼリク2世

(1534 - 1588)

デンマーク王

デンマーク王
16世紀のデンマーク・ノルウェー王。海軍力強化と天文学研究の支援で知られるルネサンス君主。
1534年にデンマーク王家ヴィッテンベルク朝に生まれる。1559年にデンマークとノルウェーの統治を開始し、王立造船所の設立や海軍拡充で国家防衛力を強化。宮廷に天文学者ティコ・ブラーエを迎え入れ、学術研究を奨励。宮廷音楽や美術の保護者としても活躍し、文化振興策を推進。1588年4月4日に逝去し、近代国家建設と学問振興に功績を残す。
1588年 フレゼリク2世 デンマーク王 1534年
1617年

ジョン・ネイピア

(1550 - 1617)

数学者

数学者
対数を発見し『ネイピアの骨』を考案したスコットランドの数学者。計算方法革新者として知られる。
1550年にスコットランド・エディンバラ近郊で生まれる。数学や天文学に深い興味を抱き、1614年に対数の概念を発表して計算を飛躍的に簡素化。『ネイピアの骨』と呼ばれる計算具を考案し、商業や天文学で実用化を実証。錬金術や宗教哲学にも造詣が深く、多才な学者として著名。1617年4月4日に没し、近代数学の発展に多大な影響を与えた。
1617年 ジョン・ネイピア 数学者 1550年
1643年

シモン・エピスコピウス

(1583 - 1643)

神学者

神学者
オランダのプロテスタント神学者で、レモントラント派の主要指導者。宗教改革後の神学的論争に影響を与えた。
1583年、オランダ共和国のアメルスフォールトで生まれる。 ライデン大学で神学を学び、ヤーコブス・アーミニウスに師事。 レモントラント派の中心人物として寛容主義を唱え、1618–19年のドルト会議で講演。 ドルト会議での敗北後は一時追放され、フラーフェンボッシュやロッテルダムで活動。 1634年にライデンでレモントラント神学校を設立し、後進の教育に尽力。 主要著作に『神学および論争作品集(Opera Theologica et Polemica)』がある。 1643年4月4日にライデンで没し、寛容神学に大きな影響を残した。
1643年 シモン・エピスコピウス 英語版 1583年
安永2年3月13日

瀬川菊之丞 (2代目)

(1741 - 1773)

歌舞伎役者

歌舞伎役者
江戸時代中期の歌舞伎役者。若衆役や二枚目を得意とし、華やかな舞台で人気を博した。
1741年、江戸で歌舞伎役者の家に生まれる。 二代目瀬川菊之丞として幼少より舞台に立ち、家業を受け継ぐ。 若衆役や二枚目役を得意とし、華やかな所作で観客を魅了。 歌舞伎座や中村座など江戸の主要劇場で活躍した。 1773年3月13日(安永2年3月13日)に没し、享年33を数える。 その優雅な演技は後進に大きな影響を与え続けた。
1773年 安永 3月13日 瀬川菊之丞 (2代目) 歌舞伎 1741年