1918年
北海道帝国大学(現在の北海道大学)設立。
北海道帝国大学(現在の北海道大学)が設立され、北海道における高等教育と研究の拠点が誕生しました。
1918年4月1日、日本の6番目の帝国大学として北海道帝国大学が札幌市に創立されました。創立当初は理農学部を中心に、寒冷地農業や自然科学の研究を目的としていました。設立は北海道開拓と資源開発の背景のもとで行われ、地域社会の発展に寄与しました。1922年には医学部、さらに他の学部が順次設置され、総合大学へと規模を拡大しました。戦後の学制改革に伴い、1947年に国立大学法人北海道大学へ改組され、1963年に現名称の北海道大学となりました。今日では国内外で高い評価を受け、多くの研究成果を社会に還元し続けています。
北海道大学
1925年
ヘブライ大学開校。
エルサレムにヘブライ大学が開校し、中東初の大学として学術研究が始まりました。
1925年4月1日、エルサレムにユダヤ人の高等教育機関であるヘブライ大学が正式に開校しました。創設者にはアインシュタインなど著名な学者も名を連ね、研究と教育の拠点を築くことを目指しました。キャンパスはモリヤの岩を望む丘に位置し、ユダヤ文化の復興と科学研究の発展に貢献しました。設立当初は文学、哲学、社会科学、自然科学の学部が設置され、多くの留学生を受け入れました。現在では世界有数の研究大学として知られ、ノーベル賞受賞者を輩出するなど国際的に高い評価を受けています。
1925年
ヘブライ大学
1941年
国民学校令施行。小学校を国民学校に改称。
1941年4月1日、国民学校令が施行され、小学校が国民学校に改称されました。
国民学校令は1941年4月1日に施行され、これまでの小学校を国民学校と改称するとともに教育内容の統一化や軍国主義的教育の強化を図りました。戦時体制を支える人材育成を目的に国家主義的な思想教育が重視され、女子も含めた児童教育の一元管理が行われました。この制度は1947年の学校教育法施行まで続き、終戦後の教育改革によって廃止されました。当時の教育現場や教材にも大きな影響を与えた日本の教育史における重要な転換点です。
1941年
国民学校令
小学校
国民学校
1947年
教育基本法・学校教育法施行。6・3制の新学制を実施。
1947年4月1日、日本で教育基本法と学校教育法が施行され、6・3制の新学制が開始されました。
戦後の教育改革を目的として制定された教育基本法と学校教育法が、1947年4月1日に施行されました。この法律改革により、従来の旧制学校制度から、小学校6年、中学校3年の6・3制新学制が導入されました。新学制は義務教育期間の明確化や男女共学の促進を目指し、現代日本の教育制度の基盤となりました。教育基本法では教育の目的や理念が示され、個人の尊厳や社会貢献などが憲章的に位置づけられました。学校教育法は学校組織や教職員の在り方を定め、教育の質的向上を図るための枠組みを整備しました。
1947年
教育基本法
学校教育法
1948年
児童福祉法全面施行。
1948年4月1日、児童福祉法が全面施行され、児童の保護や福祉制度が法的に整備されました。
1947年に制定された児童福祉法が翌年全面施行され、児童の権利や福祉向上を目的とした制度が本格的に開始されました。この法律により、児童相談所の設置や保護者への支援、里親制度などが法制化されました。虐待や貧困などから児童を守る仕組みが整い、社会全体で子どもの健全育成を推進する基盤となりました。また、義務教育外の支援策も充実し、保育所や遊び場の整備が進められました。今日の児童福祉制度の礎を築いた重要な一歩と言えます。
児童福祉法
1948年
新制高等学校が発足。
1948年4月1日、新制高等学校が発足し、現代の高等学校制度の基礎が築かれました。
戦後の教育改革の一環として、旧制中学校に代わり新制高等学校が1948年4月1日に設立されました。これにより、学制が6・3制から6・3・3制へと移行し、義務教育終了後の3年間を高等学校で学ぶことが規定されました。学科制の導入や男女共学化が進み、より多様な学びの場が提供されました。新制高等学校は大学進学の道を開くだけでなく、専門教育や実業教育の強化にも寄与しました。地域社会や産業界と連携した教育も展開され、今日の教育システムに大きな影響を与えました。
高等学校
1952年
神戸放送(現・ラジオ関西)開局。
1952年4月1日、神戸放送(現・ラジオ関西)が開局し、兵庫県で初の民間ラジオ局となりました。
戦後復興期のメディア需要の高まりを背景に、神戸市を拠点とする神戸放送が1952年4月1日に放送を開始しました。当初は数キロワットの出力で地域密着のニュースや音楽番組を届けました。放送内容は地元情報や娯楽番組が中心で、住民の日常生活に密着した役割を担いました。1960年代以降、出力増強や番組編成の充実を図り、現在のラジオ関西として親しまれるまでに発展しました。地域文化の発信基地として、地域イベントや災害情報の提供など多岐にわたる役割を果たし続けています。
神戸放送(現・ラジオ関西)
1954年
広島平和記念公園完成。
広島平和記念公園が完成し、平和への祈りを象徴する施設が整備されました。
広島平和記念公園は1954年4月1日に完成し、原爆被害者を追悼するために整備されました。
園内には平和記念資料館や原爆ドームを望む平和の鐘、慰霊碑などが設置されています。
被爆の記憶を次世代へ伝える場として、国内外から多くの来訪者が訪れます。
1996年には原爆ドームとともにユネスコの世界遺産に登録され、平和教育の象徴となりました。
毎年8月6日の原爆記念日には追悼式が行われ、世界中から平和へのメッセージが寄せられます。
1954年
広島平和記念公園
1954年
琉球放送ラジオ開局。
琉球放送ラジオが開局し、沖縄県内初の民間ラジオ局となりました。
琉球放送ラジオ(RBC)は1954年4月1日に開局し、沖縄県で初めての民間ラジオ局となりました。
アメリカ統治下の沖縄で放送を開始し、地元住民向けのニュースや音楽番組を提供しました。
語学番組や文化紹介など多彩な編成で地域密着の情報発信を行い、住民生活に欠かせないメディアとなりました。
1972年の沖縄返還以降も自主編成を続け、現在はTBSラジオ系列のネットワークに参加しています。
地域の声を全国へ発信する役割を担い、災害時の情報提供でも重要な役割を果たしています。
琉球放送ラジオ
1955年
ラジオ東京テレビ(KRT、後の東京放送→TBSテレビ)開局。
ラジオ東京テレビ(現TBSテレビ)が開局し、日本の民放テレビ放送が拡大しました。
ラジオ東京テレビ(KRT)は1955年4月1日にテレビ放送を開始し、後にTBSテレビとなりました。
当初は試験放送として東京地区向けに限られた番組を発信しましたが、視聴者の反響を受けて本格的な編成を展開しました。
報道、ドラマ、バラエティ番組など幅広いジャンルを放送し、日本のテレビ文化の発展に寄与しました。
1960年には東京放送へ社名変更し、キー局として全国ネットワークを構築しました。
現在も民放大手の一角として高い視聴率を誇り、多彩なコンテンツを提供し続けています。
1955年
ラジオ東京テレビ
1957年
北海道初の民放テレビ局・北海道放送(HBC)テレビが札幌で開局。
北海道初の民放テレビ局、北海道放送テレビ(HBC)が札幌で開局しました。
北海道放送テレビ(HBCテレビ)は1957年4月1日に札幌市で開局し、道内初の民間テレビ局となりました。
TBS系列に加盟し、ニュースや娯楽番組を中心に放送を開始しました。
道内の地元情報や文化を反映した番組制作に力を入れ、地域住民の支持を得ました。
技術的にも当時最新の送信設備が導入され、夜間でも高画質な映像を届けました。
現在はラジオ部門とともに北海道の主要メディアとして、地域に根ざした情報を発信し続けています。
1957年
北海道放送(HBC)テレビ
札幌
1959年
東北地方初の民放テレビ局・東北放送開局。この他、NHK福島放送局、札幌テレビ放送、北日本放送、NHK大阪教育テレビジョン、ラジオ中国(現・中国放送)、四国放送、ラジオ高知(現・高知放送)、ラジオ熊本(現・熊本放送)、ラジオ南日本(現・南日本放送)の9局のテレビ局、ならびに和歌山放送ラジオ、以上10局が開局。
東北地方をはじめ全国各地で複数のテレビ・ラジオ局が開局し、放送網が拡大しました。
1959年4月1日、東北地方初の民放テレビ局・東北放送(TBC)が開局されました。
同日にはNHK福島放送局、札幌テレビ放送、北日本放送、NHK大阪教育テレビジョン、ラジオ中国(現・中国放送)、四国放送、ラジオ高知(現・高知放送)、ラジオ熊本(現・熊本放送)、ラジオ南日本(現・南日本放送)の計9局のテレビ局と、和歌山放送ラジオの計10局が相次いで開局しました。
この大規模な開局ラッシュにより、全国的なテレビ・ラジオの受信エリアが飛躍的に広がりました。
地域情報の多様化が進み、地方局独自の番組やニュースが地域住民の生活に密着しました。
テレビ普及率の向上とともに、文化交流や情報伝達の手段として放送メディアの重要性が一段と増しました。
1959年
東北放送
NHK福島放送局
札幌テレビ放送
北日本放送
NHK大阪教育テレビジョン
中国放送
四国放送
高知放送
熊本放送
南日本放送
和歌山放送