明和9年/安永元年2月29日

明和の大火。

1772年、江戸で発生した明和の大火により市街地が広範囲に焼失しました。
1772年2月29日に江戸で発生した明和の大火は幕府の記録に残る大規模な都市火災です。市中の木造家屋が延焼し多くの庶民や武家屋敷が被害を受けました。幕府は復興に向けて火防制度の強化や街路拡幅などの都市計画を実施しました。この火災は江戸の防火対策の転換点となり以後の都市政策に大きな影響を与えました。被災地では復興事業が進められ江戸の町並みが再整備されました。
1772年 明和 安永 2月29日 明和の大火
1920年

建設中の丹那トンネル(現東海道本線)で崩落事故。16人が死亡するも同月8日に17人救出。

東海道本線建設中の丹那トンネルで崩落事故が発生し、多くの作業者が巻き込まれました。
1920年4月1日、東海道本線の丹那トンネル(神奈川県熱海市~函南町間)の建設現場で大規模な山崩れが起こり、作業員16人が死亡しました。同月8日にはトンネルに閉じ込められていた17人が救出され、その勇気ある救出劇は全国に報道されました。丹那トンネルは当時最難関の工事とされた寒冷・多雨の地形を貫くトンネルであり、技術的な挑戦とも言われました。事故後は工事安全対策が見直され、トンネル完成に向けた体制が強化されました。1934年に全長7724メートルのトンネルが完成し、列車輸送に大きく貢献する交通インフラとなりました。
丹那トンネル 東海道本線
1946年

アリューシャン地震が発生、アラスカ・ハワイを津波が襲来。初めて「Tsunami」の呼称が国際的に使われる。

1946年4月1日にアリューシャン地震が発生し、アラスカやハワイを大津波が襲いました。
1946年4月1日、マグニチュード8.6のアリューシャン地震が発生し、アラスカ半島およびハワイ諸島など広範囲に津波が襲来しました。津波は数メートルから十数メートルに達し、沿岸地域で甚大な被害をもたらしました。この災害を機に、世界的に「Tsunami」の呼称が初めて用いられるようになり、地震津波研究や警報システムの整備に大きな影響を与えました。観測技術の進展とともに、後の防災体制構築に繋がった歴史的な出来事です。
1946年 アリューシャン地震 アラスカ ハワイ 津波