1814年

ナポレオン戦争: ウェリントン公爵率いる英国軍が、フランスの首都パリを陥落させる。

1814年、ナポレオン戦争中にウェリントン公爵率いる英軍がパリを占領し、フランス帝政の終焉が近づきました。
ナポレオン戦争(1803–1815)での重要な局面。 アーサー・ウェルズリー(初代ウェリントン公爵)はスペイン戦役などで名声を得ていました。 1814年3月31日、英・プロイセン連合軍はパリに突入し、マチェールらの抵抗を排除しました。 これによりナポレオンは退位を余儀なくされ、エルバ島への追放が決定しました。 占領は一時的な混乱を伴いながらも、ヨーロッパの勢力均衡を大きく変えました。
1814年 ナポレオン戦争 ウェリントン公爵
1877年

西南戦争: 大分県中津で西郷軍に呼応した士族が叛乱。

1877年、西南戦争の一環として大分県中津で士族反乱が発生しました。
西郷隆盛率いる薩摩出身の士族らが旧武士階級の特権維持を掲げ蜂起しました。 3月31日、大分県中津において西郷軍に同調した郷士らが反乱を起こしました。 明治政府は政府軍を配置し、反乱鎮圧を試みたものの一時混乱を招きました。 中央集権化と士族処遇を巡る社会的緊張が明らかになりました。 この反乱は西南戦争全体の戦況にも影響を与え、最終的に政府軍の勝利で終結しました。
1877年 西南戦争 大分県 西郷
1941年

イギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズが就役。

1941年3月31日、イギリス海軍の最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズが正式に就役しました。
プリンス・オブ・ウェールズはキング・ジョージ5世級戦艦の2番艦として建造され、1939年12月に進水しました。 正式就役は1941年3月31日で、当初は本国近海での巡航任務に従事しました。 同型艦のフッドと共に戦隊を構成し、海上防空や船団護衛を主目的としました。 就役後まもなく太平洋方面へ展開し、1941年12月には日本軍機の攻撃を受け撃沈されました。 短期間ながら重大な戦歴を残し、戦艦の脆弱性を示す象徴的な存在となりました。
1941年 プリンス・オブ・ウェールズ
1942年

第二次世界大戦: 日本軍がクリスマス島を占領。

1942年3月31日、日本軍がインド洋のクリスマス島を占領し、通信拠点を掌握しました。
クリスマス島は英領インド洋の小島で、無線通信施設が設置されていました。 日本軍は連合国の通信網を撹乱するために3月31日に上陸作戦を実施しました。 島の守備は限定的であり、日本軍は比較的容易に占領に成功しました。 占領後は通信施設を日本軍の連絡線として活用しました。 戦後は英領に復帰しましたが、この占領行動は太平洋戦線の一環として注目されます。
1942年 第二次世界大戦 日本軍がクリスマス島を占領
1944年

第二次世界大戦: 海軍乙事件で古賀峯一日本海軍元帥が殉職。

1944年3月31日、第二次世界大戦中の海軍乙事件で古賀峯一元帥が搭乗機の墜落により殉職しました。
古賀峯一元帥は連合艦隊司令長官などを歴任した日本海軍の重鎮でした。 1944年3月31日、搭乗していた陸上機が海上で悪天候に見舞われ墜落し、消息を絶ちました。 この事故は「海軍乙事件」と呼ばれ、正式な事故原因は特定されていません。 殉職を悼み海軍では追悼式が執り行われ、多くの軍人や国民が弔意を示しました。 古賀元帥の死は指揮官層の空洞化を招き、戦局に暗い影を落としました。
1944年 海軍乙事件 古賀峯一
1970年

よど号ハイジャック事件: 赤軍派が日本航空機よど号をハイジャックする。

1970年3月31日、過激派組織赤軍派が航空機をハイジャックした衝撃的な事件です。日本の航空史に残るテロ事件として知られています。
1970年3月31日、赤軍派は日本航空機756便(よど号)を名古屋発羽田行きの途中でハイジャックしました。操縦士に武装メンバーが侵入し、機内を制圧。乗員乗客を人質に取り、北朝鮮への飛行を要求しました。交渉の末、乗員乗客は解放され、ハイジャック犯は北朝鮮へ亡命。事件は国内外に大きな衝撃を与え、航空機セキュリティ強化の契機となりました。現在もテロ対策と航空安全の歴史的な転換点として語り継がれています。
1970年 よど号ハイジャック事件 日本航空
1991年

東欧民主化、東西冷戦の終結に伴い、ワルシャワ条約機構が軍事機能を完全に停止。

ワルシャワ条約機構が東欧民主化と冷戦終結を受けて軍事機能を完全に停止した。
ワルシャワ条約機構は1955年にソビエト連邦を中心に東欧諸国が加盟して結成された軍事同盟です。冷戦末期の東欧民主化運動とソ連のペレストロイカ政策の影響で組織内部の統制が失われました。1991年3月31日に軍事機能が正式に停止され、冷戦の象徴的軍事同盟は事実上終焉を迎えました。同年7月には正式に解散が宣言され、東西対立の記憶を刻む歴史的転換点となりました。条約機構の解体は欧州における安全保障構造の再編を加速し、その後のNATO東方拡大への道を開きました。
1991年 東西冷戦 ワルシャワ条約機構
1992年

世界最後の現役戦艦だったアメリカ海軍のミズーリが退役。

世界最後の現役戦艦USSミズーリが退役しました。
USSミズーリ(BB-63)は第二次世界大戦において活躍したアイオワ級戦艦です。 1944年に就役し、硫黄島や沖縄戦などで重要な火力支援を行いました。 その後も朝鮮戦争や湾岸戦争に参加し、長期にわたり実戦投入されました。 1992年3月31日に退役し、これをもって世界最後の現役戦艦の時代が終わりました。 現在はハワイ州パールハーバーに博物館船として一般公開されています。
1992年 アメリカ海軍 ミズーリ