1908年

池田亀太郎(出歯亀の由来)を強姦殺人容疑で拘引。

1908年、池田亀太郎(通称出歯亀)が強姦殺人容疑で逮捕されました。
1908年3月31日、京都で起きた凶悪事件の容疑者として池田亀太郎が拘引されました。 彼は出歯が特徴的であったことから通称「出歯亀」と呼ばれていました。 被害者との関係や犯行動機は詳細に報道され、社会に大きな衝撃を与えました。 当時の司法制度や刑事手続きの在り方についても議論を呼びました。 最終的な裁判結果は記録が限られていますが、同事件は戦前犯罪史の一例となっています。
1908年 出歯亀
1918年

アメリカ合衆国で初めてサマータイムを実施。不評のため、2年で廃止。

アメリカ合衆国で初めてサマータイムを導入。不評のため2年後に撤廃。
1918年3月31日、アメリカ合衆国で初めてサマータイム(夏時間)が正式に導入されました。 第一次世界大戦中の石炭節約を目的として、時計を1時間進める制度が採用されました。 当初は国内の交通機関や商業活動で混乱を招き、不評を買ったと伝えられています。 制度は1920年3月31日に廃止され、その後も度々導入と撤廃を繰り返しました。 現在では多くの国で定着していますが、当時は試験的な運用に留まっていました。
1918年 サマータイム
1946年

立命館大学末川博名誉総長によって、立命館土曜講座が開設される。

1946年3月31日、立命館大学の末川博名誉総長が主導し、市民向けの立命館土曜講座を開設しました。
敗戦直後の混乱期に、立命館大学の末川博名誉総長は市民の学び直しを支援する目的で土曜講座を提唱しました。 1946年3月31日に第1回講座が京都キャンパスで開催され、法学・経済学・文学など多彩なテーマが取り上げられました。 講座は週末に一般参加者にも開放され、戦後復興期の新たな学習の場として大きな注目を集めました。 のちにこの取り組みは大学の公開講座や生涯学習の先駆けとされ、全国の大学にも影響を与えました。 現在も続く公開講座の原点として、立命館土曜講座は教育史における重要な一歩とされています。
1946年 立命館大学 末川博 立命館土曜講座
1947年

教育基本法・学校教育法公布。

1947年3月31日、戦後日本の教育制度を規定する教育基本法と学校教育法が正式に公布されました。
新憲法の制定に伴い、旧教育制度を改めるため教育基本法と学校教育法が公布されました。 教育基本法は教育の目的や理念を示し、個人の人格尊重や平等原則を明記しました。 学校教育法では義務教育年限を小学校6年、中学校3年と定める6・3・3・4制が導入されました。 これにより戦前の旧制学校制度から脱却し、民主主義教育を推進する基盤が整えられました。 同法の施行は戦後復興期の教育改革を象徴する出来事として広く評価されています。
1947年 教育基本法 学校教育法
1952年

財団法人日本文化放送協会(現・文化放送)が、東京で2番目のラジオ局として開局。

1952年、文化放送が東京で2番目のAMラジオ局として開局しました。民間放送の多様化に貢献した歴史的な出来事です。
1952年3月31日、財団法人日本文化放送協会が東京で開局し、2番目の民間AMラジオ局として放送を開始しました。民間放送の多様化に寄与し、戦後のメディア復興を支えました。初期は音楽やニュースを中心に編成され、リスナーからのリクエスト番組が好評を博しました。地域密着型の報道で存在感を示し、後の文化放送への成長に繋がりました。放送設備の拡充と技術革新により、広域での安定した聴取環境を実現しました。
1952年 財団法人日本文化放送協会(現・文化放送)
1958年

翌日からの売春防止法の施行に伴い赤線が営業停止。

1958年、売春防止法施行に伴い、赤線地区の営業が停止されました。戦後日本の公娼制度に終止符を打った社会改革の一環です。
売春防止法は1956年に制定され、1958年4月1日から施行されました。これにより公娼制度に基づく赤線と青線は営業禁止となり、全国の娼家や飲食店が営業停止を余儀なくされました。3月31日はその前日にあたり、長らく営まれてきた赤線地区が歴史を閉じました。当時は性風俗産業に深く根ざした地域社会が変化し、多くの従事者が生活の再建を迫られました。この法律施行は戦後社会の風紀改革として賛否両論を呼び、後の社会福祉政策や性犯罪防止策に影響を与えました。
1958年 売春防止法 赤線
1966年

法務省が、日本の総人口が1億人を突破したと発表。

1966年、法務省が日本の人口が1億人を超えたと発表しました。戦後の急激な人口増加を象徴するマイルストーンです。
1966年3月31日、法務省は日本の総人口が公式に1億人を超えたと発表しました。戦後のベビーブームと高度経済成長期が重なり、急速な人口増加が進みました。この節目は社会インフラや都市計画、教育・福祉政策の拡充を促す契機となりました。政府は人口動態調査を強化し、将来推計や少子化対策を検討し始めました。現在も日本の人口問題は重要な社会課題として議論されています。
1966年 法務省 人口
1968年

成田空港問題:第3次成田デモ事件。

1968年、成田空港建設に反対する第3次デモが発生し、激しい衝突が起きました。市民と警察の間で大規模な抗議活動が展開されました。
1968年3月31日に成田空港建設反対派と警察部隊が衝突し、第3次成田デモ事件が勃発しました。主に千葉県三里塚の農家や学生らが参加し、騎馬警官隊との激しい衝突で多くの負傷者を出しました。この運動は成田空港問題の象徴となり、空港アクセス道路建設への反対闘争が長期化しました。国内外で報道され、インフラ整備と住民権利の対立を浮き彫りにしました。最終的な空港開港は1978年でしたが、その後も抗議行動は続き、現代でも議論の対象となっています。
1968年 成田空港問題 第3次成田デモ事件
1975年

毎日放送(MBS)と朝日放送(ABC)の東京キー局がネットチェンジ(「腸捻転」解消)。東京放送(TBS。現・TBSテレビ)系列だったABCが日本教育テレビ(NET。現・テレビ朝日)系列に、NET系列だったMBSがTBS系列に変わる。

1975年3月31日、MBSとABCの東京キー局ネットワークが切り替わりました。「腸捻転」と呼ばれた系列の配置替えが解消されました。
これまでABC(朝日放送)はTBS系列、MBS(毎日放送)はNET(現テレビ朝日)系列に所属していました。視聴者混乱を招く系列配置問題は「腸捻転」と呼ばれ、長年解消が求められてきました。1975年3月31日をもって両局の系列ネットワークが入れ替わり、ABCはテレビ朝日系列、MBSはTBS系列に改められました。これにより全国ネット番組の視聴環境が安定し、各局の番組制作にも新たな体制が整いました。メディア史において放送系列の大規模再編成として注目される出来事です。
1975年 毎日放送 朝日放送 ABC 東京 キー局 ネットチェンジ 腸捻転 東京放送 TBSテレビ テレビ朝日
2001年

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープン。

大阪にテーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープンしました。
2001年3月31日、大阪市此花区にユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が開業。 ハリウッド映画をテーマにしたアトラクションやショーを多数備えています。 NBCユニバーサルとUSJの合弁事業として日本初の常設テーマパーク。 開業初期から大きな話題を呼び、年間数百万人の集客を記録。 地域経済や観光産業に大きな影響を与え、関西の新たなランドマークとなりました。
2001年 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
2002年

向ヶ丘遊園が閉園。

親しまれた向ヶ丘遊園が閉園し、長い歴史に幕を閉じました。
向ヶ丘遊園は1927年に開園した神奈川県川崎市の遊園地です。 ローラーコースターや観覧車など多彩なアトラクションを備え、多くの来場者を集めました。 2002年3月31日に経営上の理由から閉園が決定され、営業を終了。 跡地は再開発され、住宅地や商業施設が整備されました。 長年の思い出を語り継ぐ地元住民も多く、地域文化の一部となっています。
2002年 向ヶ丘遊園
2006年

神戸ポートピアランドが閉園。

2006年3月31日に神戸ポートピアランドが閉園しました。
神戸ポートピアランドは1967年の神戸博覧会に合わせて開園した大型遊園地でした。緑豊かなポートアイランドに立地し、ローラーコースターや観覧車など多彩なアトラクションで親しまれました。しかし入場者数の減少や施設の老朽化により経営が厳しくなり、2006年3月31日をもって閉園となりました。最終日には多くの来園者が思い出を振り返りながら園内を散策しました。閉園後、一部施設はリゾート開発地として再整備され、ポートアイランドの新たな交流拠点へと生まれ変わりつつあります。
2006年 神戸ポートピアランド