1936年

栃木県庁が火災により全焼。

栃木県庁が火災で全焼。県政拠点が一時失われた。
1936年3月31日、栃木県庁舎が火災により全焼する事故が発生しました。 当時の庁舎は木造建築で、出火原因は不明とされており、瞬く間に延焼しました。 この火災により公式文書や行政設備が失われ、県の政務は一時停滞しました。 臨時庁舎を設置して業務を継続し、後に鉄筋コンクリート造の新庁舎が建設されました。 この出来事は県庁舎の耐火構造の重要性を改めて認識させました。
1936年 栃木県庁
1947年

室蘭本線静狩駅(北海道長万部町)付近のトンネル内で列車同士が正面衝突。乗客ら4人死亡、41人重軽傷。

1947年3月31日、北海道長万部町の室蘭本線静狩駅付近トンネル内で列車同士が正面衝突し、4人が死亡、41人が負傷しました。
この衝突事故は、静狩駅を出発した列車と反対方向から来た列車がトンネル内で出会い頭に衝突したものでした。 原因は当時の信号連絡ミスと運転士間の情報伝達不備とされます。 事故現場はトンネル内で視界も悪く、救助活動には時間を要しました。 乗客4名が即死し、乗客・乗員41名が重軽傷を負い、病院へ緊急搬送されました。 事故後、鉄道当局は信号設備の見直しや運転規則の強化を図り、安全対策を大幅に改定しました。
室蘭本線 静狩駅 北海道 長万部町
1948年

近鉄奈良線列車暴走追突事故が起こる。

1948年3月31日、近鉄奈良線で制御を失った列車が追突事故を起こし、乗客に負傷者が発生しました。
事故は列車のブレーキ故障により制御不能となり、前方の列車に追突して発生しました。 車両の一部が脱線し、乗客に負傷者が発生しました。 戦後復興期の混乱した鉄道事情が背景にあり、ブレーキメンテナンスの不備が指摘されました。 この事故を受けて近鉄では車両保守点検体制の見直しや運転員への安全教育が強化されました。 以降、鉄道会社は安全管理を最優先に位置づけるようになりました。
1948年 近鉄奈良線列車暴走追突事故
1977年

木曽駒ケ岳を縦走していた東京都立航空工業高等専門学校の山岳部員7人が雪崩に巻き込まれて死亡。

1977年3月31日、東京都立航空工業高専山岳部員7人が木曽駒ケ岳で雪崩に遭い亡くなりました。登山史に残る痛ましい遭難事故です。
東京都立航空工業高等専門学校の山岳部は1960年代から国内外の山岳遠征を行ってきました。1977年3月下旬、木曽駒ケ岳を縦走中の7人が突然の雪崩に巻き込まれました。隊員は厳冬期の厳しい気象条件の下で装備やルート選定などが課題とされていました。事故発生後、地元山岳救助隊が捜索活動を実施しましたが、全員が死亡。これを契機に登山安全のガイドラインや雪崩対策が見直されるきっかけとなりました。現在も山岳教育や安全研修の重要性を象徴する事故として語り継がれています。
1977年 木曽駒ケ岳 東京都立航空工業高等専門学校 雪崩