1807年

ウィリアム・キャベンディッシュ=ベンティンク ポートランド公爵が2回目の英国首相に就任。

1807年、ウィリアム・キャベンディッシュ=ベンティンク(ポートランド公爵)は英国首相に二度目の就任を果たしました。
ウィリアム・キャベンディッシュ=ベンティンク(1738–1809)は貴族であり政治家。 彼は1763年に初めて首相となり、1807年3月31日に再び首相職に就任しました。 第二次就任はナポレオン戦争期の情勢を背景としており、対仏政策が焦点となりました。 内政では経済安定と財政改革を目指しましたが、諸改革は議会での支持を得にくく、限定的なものに留まりました。 短期間の政権ながら、王党派としての立場を鮮明にし、後の保守主義政治に影響を与えました。
1807年 ウィリアム・キャベンディッシュ=ベンティンク ポートランド公爵
1814年

ナポレオン戦争: ウェリントン公爵率いる英国軍が、フランスの首都パリを陥落させる。

1814年、ナポレオン戦争中にウェリントン公爵率いる英軍がパリを占領し、フランス帝政の終焉が近づきました。
ナポレオン戦争(1803–1815)での重要な局面。 アーサー・ウェルズリー(初代ウェリントン公爵)はスペイン戦役などで名声を得ていました。 1814年3月31日、英・プロイセン連合軍はパリに突入し、マチェールらの抵抗を排除しました。 これによりナポレオンは退位を余儀なくされ、エルバ島への追放が決定しました。 占領は一時的な混乱を伴いながらも、ヨーロッパの勢力均衡を大きく変えました。
1814年 ナポレオン戦争 ウェリントン公爵
嘉永7年3月3日

ペリー提督と江戸幕府の間に全12ヶ条からなる日米和親条約(神奈川条約)が結ばれ、下田・函館が通商港とされる。

1854年、日米和親条約(神奈川条約)が締結され、下田と函館が初の通商港として開港しました。
アメリカ東インド艦隊司令官マシュー・ペリー提督と江戸幕府との交渉により調印されました。 条約は全12か条からなり、捕鯨活動の保証や難破船取り扱いなどを規定しています。 幕府側には井伊直弼らがあたり、開国政策の一環として締結を推進しました。 下田と函館の2港開港により、西洋諸国との本格的な貿易が開始されました。 この条約は後の日米修好通商条約など諸条約締結への礎ともなりました。
1854年 嘉永 3月3日 ペリー提督 江戸幕府 日米和親条約 下田 函館
1877年

西南戦争: 大分県中津で西郷軍に呼応した士族が叛乱。

1877年、西南戦争の一環として大分県中津で士族反乱が発生しました。
西郷隆盛率いる薩摩出身の士族らが旧武士階級の特権維持を掲げ蜂起しました。 3月31日、大分県中津において西郷軍に同調した郷士らが反乱を起こしました。 明治政府は政府軍を配置し、反乱鎮圧を試みたものの一時混乱を招きました。 中央集権化と士族処遇を巡る社会的緊張が明らかになりました。 この反乱は西南戦争全体の戦況にも影響を与え、最終的に政府軍の勝利で終結しました。
1877年 西南戦争 大分県 西郷
1885年

イギリスがボツワナ共和国を保護領とする。

1885年、イギリスがボツワナ(当時ベチュアナランド)を保護領とする宣言を行いました。
アフリカ分割時代における英国の影響力拡大政策の一環です。 ベチュアナランドは南アフリカ北部の内陸地域で、ボーア人との緩衝地帯として重視されていました。 1885年3月31日、ヴィクトリア女王は正式に保護領化を宣言しました。 これにより現地のブツワナ人王国は英国保護下に置かれ、内政自治が許可されました。 保護領化は資源管理や地政学的安定を図る目的がありました。
1885年 イギリス ボツワナ共和国
1889年

エッフェル塔が竣工。

1889年、パリの象徴エッフェル塔が完成し一般公開が開始されました。
ギュスターヴ・エッフェルの設計により建設された鉄塔です。 1887年に着工し、2年をかけて高さ300メートルの建築が実現しました。 万国博覧会の目玉として1889年3月31日に竣工し開放されました。 当初は批判もありましたが、次第にパリを代表するランドマークとなりました。 現在も観光名所として世界中の訪問者を集め続けています。
1889年 エッフェル塔
1905年

タンジール事件: ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコの港であるタンジールを訪問する。

1905年、タンジール事件でヴィルヘルム2世がモロッコ訪問を行い、国際的緊張を高めました。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は鉄道完成祝賀のためモロッコのタンジールを訪問しました。 英仏両国の勢力均衡を揺さぶる外交的挑発と受け止められ、摩擦を生みました。 この訪問はモロッコ問題の火種となり、ロンドン会議やアルジェ協定へとつながりました。 最終的に1906年のアルヘシラス会議で国際協調が図られるまで緊張は続きました。 欧州列強の帝国主義競争を象徴する出来事です。
1905年 タンジール事件 ドイツ ヴィルヘルム2世 モロッコ タンジール
1906年

鉄道国有法公布。

1906年、日本で鉄道国有法が公布され、主要私鉄の国有化が進みました。
明治政府は鉄道網の整備と統一運営を目的に鉄道国有法を制定しました。 同年3月31日に公布され、大手私鉄の買収国有化が正式に決定しました。 これにより政府直轄の鉄道省が創設され、運賃や路線計画の一元管理が可能になりました。 国有化は経済発展と治安維持、軍事輸送など多方面への影響をもたらしました。 戦前日本の交通インフラ基盤を築いた重要法案です。
1906年 鉄道国有法
1908年

池田亀太郎(出歯亀の由来)を強姦殺人容疑で拘引。

1908年、池田亀太郎(通称出歯亀)が強姦殺人容疑で逮捕されました。
1908年3月31日、京都で起きた凶悪事件の容疑者として池田亀太郎が拘引されました。 彼は出歯が特徴的であったことから通称「出歯亀」と呼ばれていました。 被害者との関係や犯行動機は詳細に報道され、社会に大きな衝撃を与えました。 当時の司法制度や刑事手続きの在り方についても議論を呼びました。 最終的な裁判結果は記録が限られていますが、同事件は戦前犯罪史の一例となっています。
1908年 出歯亀
1909年

セルビアがオーストリアによるボスニア・ヘルツェゴヴィナの支配を承認する。

1909年、セルビアがオーストリアによるボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合を承認しました。
1908年、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合すると宣言し緊張が高まりました。 セルビアは同地域のスラブ系住民との結びつきを理由に反対姿勢を示していました。 しかし条約交渉の結果、1909年3月31日に認可文書に調印しました。 これによりバルカン半島の勢力均衡が変化し、後の第一次世界大戦の遠因ともされます。 国際社会ではロシアやドイツなど列強の対応も注目されました。
1909年 セルビア オーストリア ボスニア ヘルツェゴヴィナ
1917年

アメリカ合衆国がデンマーク領西インド諸島を2500万ドルで購入し、ヴァージン諸島と改称。

アメリカ合衆国がデンマーク領西インド諸島を購入し、ヴァージン諸島と改称。20世紀初頭の領土再編の一例。
1917年3月31日、アメリカ合衆国はデンマーク領西インド諸島を約2500万ドルで購入し、同地区を「ヴァージン諸島」と改称しました。 この取引は第一次世界大戦中の戦略的価値や海上補給路の確保を目的として行われたとされます。 購入後はアメリカ海軍が暫定的に統治を行い、1927年に民政へ移管されました。 現在のアメリカ領ヴァージン諸島は美しいビーチリゾート地として知られ、多くの観光客を集めています。 領土再編の一例として、20世紀初頭の地政学的動きを象徴する出来事です。
1917年 デンマーク ヴァージン諸島
1918年

アメリカ合衆国で初めてサマータイムを実施。不評のため、2年で廃止。

アメリカ合衆国で初めてサマータイムを導入。不評のため2年後に撤廃。
1918年3月31日、アメリカ合衆国で初めてサマータイム(夏時間)が正式に導入されました。 第一次世界大戦中の石炭節約を目的として、時計を1時間進める制度が採用されました。 当初は国内の交通機関や商業活動で混乱を招き、不評を買ったと伝えられています。 制度は1920年3月31日に廃止され、その後も度々導入と撤廃を繰り返しました。 現在では多くの国で定着していますが、当時は試験的な運用に留まっていました。
1918年 サマータイム