1461年
薔薇戦争: タウトンの戦い。
イングランドの内戦、薔薇戦争における決定的な大規模戦闘、タウトンの戦いが行われた日。
1455年から続く薔薇戦争の中で行われたタウトンの戦いは、激しい降雪の中で繰り広げられた史上最大級の陸上戦です。ヨーク家軍のエドワード4世率いる軍勢がランカスター家軍を破り、戦局を大きく転換させました。死傷者数は数万人に及び、中世イングランド史上最も血なまぐさい戦闘のひとつとされています。勝利によりエドワード4世の王位継承が確固たるものとなり、その後のイングランド王権と政治情勢を左右する結果となりました。戦術や武器の使用法にも変化をもたらし、後世の軍事史研究においても重要な位置を占めています。
1461年
薔薇戦争
タウトンの戦い
1945年
第二次世界大戦: ドイツのV1飛行爆弾によるイギリス本土への攻撃が終息。
1945年、ドイツ軍のV1飛行爆弾によるイギリス本土への攻撃が終息しました。
ナチス・ドイツは重大な反攻手段としてV1飛行爆弾(通称「ヴィワン」)を開発し、1944年6月からロンドンを中心に攻撃を開始した。
しかし連合軍の迎撃体制強化と発射台の破壊により、攻撃能力は次第に低下していった。
1945年3月29日に最後のV1飛行爆弾がイギリス本土に到達し、これをもって本土へのV1攻撃は事実上終息した。
V1は弾道誘導装置の不安定さから誤爆や自爆も多く、民間人の被害は甚大であった。
この終息によってイギリス国内の戦時生活は一部解放され、連合軍の総攻撃に備える余力が増した。
1945年
第二次世界大戦
V1飛行爆弾
1971年
1968年のソンミ村虐殺事件の軍事法廷で、ウィリアム・カリー中尉に終身刑、他の13人に無罪の判決。
1971年、ソンミ村虐殺事件の軍事法廷でウィリアム・カリー中尉に終身刑、他13名に無罪判決が言い渡されました。
1968年にベトナム中部ソンミ村で起きた虐殺事件(ソンミ村事件)は、民間人多数が犠牲となった戦争犯罪として国際的に問題視された。
1971年3月29日、米軍の軍事法廷が行われ、中尉ウィリアム・カリーに終身刑、他の被告13人には証拠不十分として無罪が言い渡された。
この判決は戦時下の軍規や責任の所在をめぐる議論を呼び起こし、戦争犯罪裁判の在り方に大きな影響を与えた。
米国内でも異議や抗議の声が上がり、人権擁護や反戦運動と連動して報道された。
事件はベトナム戦争の倫理的問題を象徴し、戦後軍事裁判の評価にも大きな影を落とした。
1971年
1968年
ソンミ村虐殺事件
ウィリアム・カリー
1973年
ベトナム戦争: アメリカ軍の最後の兵士が南ベトナムから撤退。
1973年、ベトナム戦争でアメリカ軍の最後の兵士が南ベトナムから撤退しました。
1973年3月29日、ベトナム戦争においてパリ協定に基づき、アメリカ軍最後の部隊が南ベトナムから完全撤退した。
これにより米軍の直接介入は終了し、南ベトナム政府軍と北ベトナム軍との内戦状態へ移行した。
撤退は国内外の反戦運動や政治的圧力の結果であり、米国民の戦争嫌悪感の高まりを反映していた。
パリ協定には捕虜交換や停戦監視なども盛り込まれたが、その後の戦況には大きな影響を及ぼさなかった。
撤退後も南北間の戦闘は続き、最終的には1975年のサイゴン陥落へと至った。
1973年
ベトナム戦争
アメリカ軍
南ベトナム
2010年
モスクワ地下鉄爆破テロが起こる。
モスクワ地下鉄で複数駅を狙った爆破テロが発生しました。
2010年3月29日、モスクワ地下鉄のルビャンカ駅とパーク・クルトゥーリ駅付近で爆破テロが発生した。
爆発は午前9時頃に起こり、乗客を巻き込んで多数の死傷者を出した。
公式発表では死者40人、負傷者100人以上となり、当時ロシア最大級のテロ事件とされた。
チェチェン自治共和国出身の女性による自爆テロとみられ、過激派組織が関与を示唆された。
事件後、モスクワ市内の警備が強化され、テロ警戒態勢が引き上げられた。
ロシア国内外でテロ対策の在り方が改めて議論された。
2010年
モスクワ地下鉄爆破テロ