1461年
薔薇戦争: タウトンの戦い。
イングランドの内戦、薔薇戦争における決定的な大規模戦闘、タウトンの戦いが行われた日。
1455年から続く薔薇戦争の中で行われたタウトンの戦いは、激しい降雪の中で繰り広げられた史上最大級の陸上戦です。ヨーク家軍のエドワード4世率いる軍勢がランカスター家軍を破り、戦局を大きく転換させました。死傷者数は数万人に及び、中世イングランド史上最も血なまぐさい戦闘のひとつとされています。勝利によりエドワード4世の王位継承が確固たるものとなり、その後のイングランド王権と政治情勢を左右する結果となりました。戦術や武器の使用法にも変化をもたらし、後世の軍事史研究においても重要な位置を占めています。
1461年
薔薇戦争
タウトンの戦い
1792年
スウェーデン王グスタフ3世が死去。13歳のグスタフ4世アドルフが即位。
スウェーデン国王グスタフ3世の暗殺死去と13歳の息子グスタフ4世アドルフの即位が行われた日。
宮廷での仮面舞踏会において暗殺されたとされるグスタフ3世は、啓蒙専制君主として国内改革を推進していました。彼の死去により王位を継承した13歳のグスタフ4世アドルフは未成年であったため、摂政体制が敷かれました。新王即位後は貴族や議会の影響力が増大し、政治構造に大きな変化が生じました。国外ではロシアとの対立が深まり、北欧情勢にも波紋を広げました。王暗殺の衝撃はヨーロッパ全土に伝わり、当時の君主制の脆弱性を象徴する事件となりました。
1792年
スウェーデン
グスタフ3世
グスタフ4世アドルフ
1806年
トーマス・ジェファーソン米大統領がカンバーランド道路の建設を承認。
トーマス・ジェファーソン大統領が初の連邦道路建設計画、カンバーランド道路工事を承認した日。
カンバーランド道路(ナショナル・ロード)はアメリカ合衆国初の連邦政府主導による幹線道路として計画されました。東海岸メリーランド州からオハイオ川までを結び、西部開拓地との物流を大幅に改善する狙いがありました。ジェファーソン大統領の承認により、連邦政府が道路建設費用を負担する先例が確立しました。建設は段階的に進められ、最終的にはペンシルベニア、ウエストバージニア、オハイオへと延伸されました。完成後は地域経済の活性化を促し、新興都市の発展に大きく貢献しました。
1806年
トーマス・ジェファーソン
カンバーランド道路
1807年
ドイツのブレーメンでヴィルヘルム・オルバースが4番目の小惑星ベスタを発見。
ヴィルヘルム・オルバースが4番目に位置する小惑星「ベスタ」を発見した日。
ドイツの天文学者ヴィルヘルム・オルバースはブレーメンの自宅観測所で小惑星ベスタを発見しました。ベスタは既知のケレス、パラス、ユノーに次ぐ4番目の小惑星で、直径約525kmを誇ります。当初は惑星の一種と考えられましたが、その後小惑星帯の一員と判明しました。オルバースはこの発見により天文学界での地位を確立し、後に複数の小惑星を報告しました。ベスタは現在も探査ミッションの対象となっており、太陽系形成の研究に重要な手がかりを提供しています。
1807年
ブレーメン
ヴィルヘルム・オルバース
小惑星
ベスタ
1809年
スウェーデンで、クーデターによる臨時政府が国王グスタフ4世アドルフの王位を剥奪し、叔父のカール・ヨハン(後の国王カール13世)を摂政に任命。
スウェーデンでクーデターにより国王グスタフ4世アドルフが廃位され、カール・ヨハンが摂政に就任した日。
ナポレオン戦争後の混乱期に起こった1809年のスウェーデン・クーデターでは、軍部と貴族が中心となりグスタフ4世アドルフを廃位しました。王の外交政策の失敗とフィンランド戦争での敗北がクーデターの背景にあります。翌日には叔父のカール・ヨハン(後のカール13世)が摂政に任命され、政治改革が開始されました。新たな憲法が制定され、議会の権限が強化されるとともに専制君主制に終止符が打たれました。これによりスウェーデンの立憲君主制への移行が加速しました。
1809年
カール13世
1849年
イギリスがパンジャーブ地方を併合。
イギリス東インド会社がパンジャーブ地方を併合した日。
第2次シク戦争に勝利したイギリス東インド会社は、1849年にパンジャーブ王国を併合しました。ラホール条約によりシク王国の主権が剥奪され、地域は英領インドに組み込まれました。併合後は行政区画の再編や鉄道・通信網の整備が進められ、インフラ投資が加速しました。シク文化とイギリス統治が交錯する中で、社会構造にも大きな変化が生じました。北西インドにおけるイギリスの支配強化を象徴する出来事です。
1849年
イギリス
パンジャーブ地方
1867年
イギリスの北米植民地を自治領カナダとする英領北アメリカ法が成立。
英領北アメリカ法が成立し、カナダ自治領が誕生した日。
英国議会で可決された英領北アメリカ法により、オンタリオ、ケベック、ノバスコシア、ニューブランズウィックが統合され、自治領カナダが設立されました。これにより英国植民地は部分的な内政自治を獲得し、初のドミニオン制国家が誕生しました。連邦政府の構造や議会制度、司法制度などの基本が定められ、後の領土拡大の基盤となりました。カナダはこの法の成立日を歴史的意義ある日として位置づけ、国家の起源を記憶しています。
1867年
植民地
自治領
カナダ
英領北アメリカ法
1871年
ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールが開場。
ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールが初めて開場した日。
ヴィクトリア女王の夫アルバート公の記念事業として建設されたロイヤル・アルバート・ホールは、1871年に正式に開場しました。設計はジョゼフ・パクストンらが手がけ、ドーム型の外観と優れた音響設計が特徴です。開場当初からコンサートや展示会、公開演説など多彩なイベントが催され、文化芸術の拠点となりました。現在もロンドン屈指のコンサートホールとして、世界中のアーティストと観客を魅了し続けています。
1871年
ロンドン
ロイヤル・アルバート・ホール
明治5年2月21日
東京日日新聞(現・毎日新聞)創刊。
東京日日新聞(現・毎日新聞)が創刊された日。
明治政府の言論自由化政策の下、1872年に東京日日新聞が創刊されました。当時、日本で数少ない日刊新聞の一つとして発行され、国内外の政治・経済・社会ニュースを幅広く報道しました。近代日本における新聞事業の先駆けとなり、言論空間と公共の形成に大きく貢献しました。1905年に大阪日日新聞と合併し、1911年には毎日新聞社として再編成されました。今日の毎日新聞はその伝統を受け継ぐ存在として国内外に影響を与え続けています。
1872年
明治
2月21日
東京日日新聞
毎日新聞
1897年
日本で金本位制の貨幣法が公布。
日本で金本位制を採用する貨幣法が公布された日。
明治政府は国際取引の信用向上を目指し、1897年に金本位制を正式採用しました。貨幣法の公布により円の価値が金との交換基準に固定され、紙幣発行制度が整備されました。これにより物価の安定と為替相場の信頼性が向上し、外国資本の導入が促進されました。金融制度の近代化が加速し、日本はアジアで初めて金本位制を採用した国となりました。貿易拡大や産業振興にも寄与し、経済発展の基盤を築きました。
1897年
金本位制
貨幣法
1900年
衆議院議員選挙法改正。選挙権がそれまでの直接国税15円以上から10円以上に引き下げられる。
1900年、衆議院議員選挙法が改正され、選挙権の納税要件が直接国税15円以上から10円以上に引き下げられました。
1900年3月29日、衆議院議員選挙法が改正され、選挙権を行使するための納税額要件が従来の直接国税15円以上から10円以上に引き下げられた。
この改正により、有権者数は増加し、庶民の政治参加が拡大する契機となった。
背景には明治期の政治改革や自由民権運動の高まりがあり、国会制度への国民的関心が高まっていた。
しかし、依然として納税要件は高く、真の普遍的参政権には道半ばであった。
政治勢力の競争や政府の対応にも影響を与え、大正デモクラシーへの布石ともなった。
1900年
1911年
日本初の労働法である工場法が公布。
1911年、日本初の労働法「工場法」が公布され、工場労働者の労働条件保護が制度化されました。
同年3月29日、日本初の近代的労働法である工場法が公布された。
工場労働者の労働時間制限や休日規定、児童労働の禁止などが初めて法的に定められた。
それまでの過酷な労働環境を改善しようとする社会的要請に応えたものである。
工場労働者の健康保持や労働災害防止に向けた規定も盛り込まれた。
その後の労働運動や労働組合の発展に影響を与え、日本の労働法制の原点となった。
1911年
労働法
工場法