延元元年2月15日
光厳上皇の新田義貞追討の院宣が備後の鞆の足利尊氏のもとに到着。
1336年、光厳上皇が新田義貞追討の院宣を足利尊氏に下し、南北朝時代の序章を告げた。
1336年(延元元年2月15日)、光厳上皇は反乱軍を鎮圧するため、新田義貞の追討を命じる院宣(公式文書)を発しました。
この院宣は備後国鞆に滞在していた足利尊氏へ届けられ、尊氏は幕府との対立を深めるきっかけとなりました。
尊氏は義貞を討伐する役目を帯びていましたが、最終的に朝廷側と対立し京都奪還へ動くことになります。
こうした動きが南北朝時代の幕開けとなり、日本の政治的分裂を招く一因となりました。
以後、南朝と北朝が並立する時代が始まり、尊氏を中心とする新たな武家政権の基盤が築かれました。
1336年
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