1876年
日本の明治政府が廃刀令を発布。
1876年、明治政府が廃刀令を発布し、武士の帯刀を原則禁止とした。
1876年3月28日、明治政府は廃刀令を発布し、武士階級の特権であった帯刀を原則禁止しました。
廃刀令は近代国家への移行と身分制度の廃止を推進する一環で、武装解除を図る政策でした。
一般庶民だけでなく元武士も対象となり、刀剣文化や武士のアイデンティティが大きく揺らぎました。
これに対し不満を抱いた武士層の一部は反発し、後の西南戦争など武士反乱の遠因ともされます。
廃刀令は日本の近代化と法の下の平等原則を象徴する改革でした。
1876年
明治政府
廃刀令
1920年
平塚らいてう・市川房枝らが新婦人協会の発会式を行う。
平塚らいてうや市川房枝らが新婦人協会を結成し、女性運動の拠点を開設。
1920年3月28日、女性解放運動家の平塚らいてうと市川房枝を中心に新婦人協会の発会式が行われた。新婦人協会は女性の社会参加や権利拡大を目指す団体として設立された。婦人参政権の実現や労働・教育機会の平等を掲げ、多彩な活動を展開した。日本の女性運動史において重要な役割を果たし、多くの女性を鼓舞した。戦前の社会的制約に挑戦した先駆的な市民運動である。
1920年
平塚らいてう
市川房枝
新婦人協会
1940年
敵性語追放: 日本の内務省が藤原釜足やディック・ミネら16人に芸名の改名を指示。
内務省による敵性語追放政策で芸名改名を指示された文化人16名。
1940年3月28日、日本内務省は敵性語追放政策の一環として、藤原釜足やディック・ミネら芸名に外国語を含む16人に改名を命じた。国家総動員法下で国民統制が強化され、欧米や中華圏由来の名称が禁止された。芸能界や報道機関では急遽新しい芸名が創出され、文化面にも大きな影響が及んだ。戦時下のナショナリズムが日常生活の細部にまで及んだ例として知られる。戦後、追放政策は解除され、元の名前を復活させた者も多い。
1940年
敵性語
内務省
藤原釜足
ディック・ミネ
芸名
1959年
千鳥ケ淵戦没者墓苑が竣工。
1959年3月28日、戦没者を追悼する千鳥ケ淵戦没者墓苑が竣工しました。
千鳥ケ淵戦没者墓苑は1959年3月28日に竣工し、太平洋戦争で戦死した遺骨を納める墓苑として開設されました。
東京都千代田区の皇居外濠に面し、静謐な環境が特徴です。
黒御影石の納骨壇や平和の火など、厳かなモニュメントが整備されています。
毎年春と秋に政府主催の追悼式が執り行われ、多くの遺族や一般参列者が訪れます。
戦没者への哀悼と平和の象徴として、広く国民に親しまれる施設です。
千鳥ケ淵戦没者墓苑
1960年
カトリック東京大司教・土井辰雄が日本人初の枢機卿に任命される。
1960年3月28日、土井辰雄大司教が日本人初の枢機卿に任命されました。
土井辰雄は1909年に神父に叙階され、1957年に東京大司教に任命されました。
1960年3月28日、教皇ヨハネ23世によって日本人初の枢機卿に選出されました。
この任命は戦後日本のカトリック教会における重要なマイルストーンとなりました。
枢機卿として第二バチカン公会議に参加し、教会改革などに貢献しました。
彼のリーダーシップは日本の信徒共同体の発展を促進しました。
以降も教会内外で影響力を持ち続けました。
1960年
大司教
土井辰雄
枢機卿
1968年
東京大学の卒業式が、学生による安田講堂占拠のため中止になる。
1968年3月28日、東京大学の卒業式が学生の安田講堂占拠により中止されました。
1968年3月28日、東京大学安田講堂を学生が占拠し、卒業式が急遽中止となりました。
この運動は大学運営への民主化要求やベトナム戦争反対の文脈で発生しました。
多くの学生が講堂内外で抗議活動を繰り広げ、警察との衝突も懸念されました。
大学当局は安全確保を理由に式典の実施を断念しました。
この出来事は1960年代後半の学園紛争の象徴となりました。
1968年
東京大学
卒業式
安田講堂占拠
1995年
東京都初のコミュニティFM放送局、エフエムむさしの(むさしのFM)が開局。
1995年3月28日、東京都初のコミュニティFM局『エフエムむさしの』が開局しました。
1995年3月28日、むさしのエフエム放送株式会社がエフエムむさしのとして開局しました。
東京都内初のコミュニティFM局で、武蔵野市を中心に送信を開始しました。
地域ニュースや音楽番組、防災情報など多彩なローカルコンテンツを提供しています。
住民参加型の番組制作を特徴とし、地域コミュニケーションを促進しています。
地域密着型メディアとして広範な支持を得ています。
1995年
東京都
コミュニティFM放送局
エフエムむさしの
2005年
TBSテレビにてみのもんたの朝ズバッ! → 朝ズバッ! が放送される。(2014年3月28日までの9年間放送。)
TBSで朝の情報番組『朝ズバッ!』の放送がスタート。
2005年3月28日、TBSテレビで『みのもんたの朝ズバッ!』が放送開始。
司会は人気キャスターのみのもんた氏で、ニュースやトーク、生活情報を多彩に扱いました。
放送時間は平日朝の生放送で、視聴者参加型コーナーも人気を集めました。
地域密着の話題から全国ニュースまで幅広くカバーし、視聴率を維持。
番組は後に『朝ズバッ!』に改題され、2014年まで9年間続く長寿番組となりました。
当時の朝の顔として、多くの視聴者に親しまれました。
TBSテレビ
みのもんたの朝ズバッ! → 朝ズバッ!
2014年
9年間放送した朝ズバッ!(みのもんたの朝ズバッ! を含む。)が放送終了する。(放送開始日と放送終了日が奇しくも同日である。)
9年続いた『朝ズバッ!』が放送を終了。
2014年3月28日、TBSの朝情報番組『朝ズバッ!』が最終回を迎え放送終了。
『みのもんたの朝ズバッ!』として始まった番組は、放送開始日と同日の終了が奇しくも一致。
生放送ならではの臨場感と視聴者参加型企画で長年人気を博しました。
最終回ではこれまでの名場面や企画の振り返り、出演者の思い出話が披露されました。
放送継続中に世代交代や番組改編も行われましたが、安定した視聴率を維持。
番組の終了は朝のテレビ市場に大きな変化をもたらしました。
2014年
2022年
新型コロナウィルスの蔓延に伴い、上海でロックダウン(都市封鎖)が開始される。ロックダウンは同年6月1日に解除されたが、封鎖期間中住民生活は大混乱し、食料不足に怒った住民と当局者が衝突が発生した。
上海で3月28日から都市封鎖が始まり、住民生活の混乱と衝突が続きました。
2022年3月28日、世界有数の人口密集都市上海で新型コロナウイルス対策としてロックダウンが開始されました。
封鎖は同年6月1日まで続き、約2ヵ月にわたり都市全域で外出制限や公共交通の停止が実施されました。
住民は食料や生活必需品の調達に苦慮し、配給不足や物流遅延が深刻化しました。
不満を抱えた住民と当局との間で小規模な衝突や抗議活動が発生し、国内外で注目を集めました。
このロックダウンは「ゼロコロナ政策」の象徴的事例となり、パンデミック対応の是非を巡る議論を呼びました。
2022年
上海
6月1日