画家
画家
イタリア・ルネサンス期の画家。宗教画を中心に制作し、その調和のとれた構図で高い評価を受けた。
フラ・バルトロメオ(本名ドメニコ・ディ・ボナヴェントゥーラ・ディ・バルトロメオ)は1472年にフィレンツェ近郊で生まれた。
ピエロ・ディ・コジモの影響を受け、色彩と光の表現に優れた作品を多数残した。
マニエリスムの先駆けとも言われ、その均整の取れた構図は後の画家にも大きな影響を与えた。
宗教的主題の祭壇画や聖母子像などを手がけ、修道院などの装飾画で名を馳せた。
1517年に42歳で没し、その芸術はルネサンス美術の一翼を担った。
1472年
フラ・バルトロメオ
画家
1517年
神秘家
神秘家
スペインのカトリック修道女で神秘家。カルメル会の改革を主導し、聖人として知られる。
アビラのテレサ(テレサ・デ・ヘスス)は1515年3月28日にスペインで生まれた。
カルメル会修道女として厳しい修行と深い祈りを実践し、その神秘的体験を数々記録した。
『神秘的結婚論』や『わが内なる城』などの著作はキリスト教神秘思想の名著とされる。
修道会の堕落をただし、改革派カルメル会を設立して教会内外に大きな影響を与えた。
1582年に死去した後、1622年に列聖され、1970年には女性として初めて教会博士に任命された。
1515年
アビラのテレサ
神秘家
1582年
教育者
教育者
チェコ出身の教育学者・哲学者。近代教育の父と称され、普遍的教育を提唱した。
ヨハネス・アモス・コメニウス(通称コメニウス)は1592年にチェコで生まれた。
『大教学論』などの著作で、すべての人々に教育を行き渡らせる普遍教育を主張した。
視覚教材の導入や段階的学習法を提唱し、教育方法論に革命をもたらした。
30年以上にわたり宗教的迫害やヨーロッパ各地への亡命を経験しながらも教育改革を推進した。
1670年に没するまで多言語教育や平和教育の重要性を説き、後世の教育思想に大きな影響を与え続けた。
1592年
コメニウス
教育者
1670年
龍野藩主
龍野藩主
江戸時代前期の武士・大名。播磨国龍野藩を治めた。
脇坂安政は1633年に播磨国で生まれ、龍野藩主家の家督を継いだ。
幕府の要職を務めながら、龍野藩の藩政改革や財政再建に取り組んだ。
領地の治水事業や検地を実施し、農業生産の安定と税収増加を図った。
また、学問や文化の奨励にも力を入れ、藩校の設立などを主導した。
1694年に没し、その遺政は藩政の基盤強化に寄与したと評される。
1633年
寛永
2月19日
脇坂安政
龍野藩主
1694年
津藩主
津藩主
江戸時代中期の大名。伊勢国津藩を治めた。
藤堂高睦は1667年に伊勢国津藩主の藤堂家に生まれた。
家督を継いでからは藩の財政再建と民生安定に尽力した。
検地や年貢調整を行い、農村の負担軽減と生産力向上を目指した。
藩校設立や治水事業などを推進し、領民からの信頼を集めた。
1708年に没し、その統治は津藩の発展に大きく貢献した。
1667年
寛文
2月4日
藤堂高睦
津藩主
1708年
児童文学作家
児童文学作家
スイスの児童文学作家。『スイス・ファミリー・ロビンソン』の著者。
ヨハン・ダビット・ウィースは1742年にスイスで生まれた牧師であり作家でもあった。
1812年に発表した『スイス・ファミリー・ロビンソン』は、家族の冒険と協力を描いた名作として知られる。
自然描写と家族の絆を重視した物語は多くの国で翻訳され、今なお親しまれている。
教会活動の傍ら、子どもにも理解しやすい言葉で道徳や知識を伝えることを志した。
1818年に没し、その作品は児童文学の古典として後世に影響を与え続けている。
1742年
ヨハン・ダビット・ウィース
児童文学作家
1818年
ベネズエラの独立運動指導者
ベネズエラの独立運動指導者
ベネズエラ独立運動の先駆者。ラテンアメリカ解放の理想を掲げた。
フランシスコ・デ・ミランダは1750年にベネズエラで生まれ、アメリカ独立戦争やフランス革命にも参加した。
祖国の独立のために欧州諸国を訪れ、支援を取り付けようと奔走した。
1806年には艦隊を率いて対スペイン戦を開始し、独立運動の火付け役となった。
しかしスペイン軍に敗れ捕虜となり、マドリードで1816年に獄中死した。
その理念は後にシモン・ボリバルらによって受け継がれ、ラテンアメリカ解放の原動力となった。
1750年
フランシスコ・デ・ミランダ
ベネズエラ
1816年
柳本藩主
柳本藩主
江戸時代中期の大名。大和国柳本藩を治めた。
織田秀綿は1756年に大和国柳本藩主家に生まれた。
家督を継いで藩政改革に着手し、財政再建や農村振興に努めた。
新田開発や治水事業を推進し、領民の生活向上を図った。
学問や技術の奨励にも力を入れ、藩士の教育制度を整えた。
1806年に没し、その治世は柳本藩の基礎強化に貢献した。
1756年
宝暦
2月28日
織田秀綿
柳本藩主
1806年
医師、バセドウ病の発見者
医師
バセドウ病の発見者
ドイツの医師。バセドウ病(Basedow病)を初めて報告した。
カール・アドルフ・フォン・バセドウは1799年にドイツで生まれた。
医学博士として甲状腺疾患の研究に従事し、1840年に眼球突出や頻脈を伴う症例を記述した。
彼の報告は後にBasedow病として知られ、グレーブス病(Graves病)とも呼ばれる。
内科診療における臨床観察の重要性を示し、甲状腺学の発展に寄与した。
1854年に没し、その業績は内分泌学の礎となった。
1799年
カール・アドルフ・フォン・バセドウ
医師
バセドウ病
1854年
淀藩主
淀藩主
江戸時代後期の大名。淀藩主として藩政を担った。
稲葉正誼は1827年に淀藩主家に生まれた。
幕末の動乱期に家督を継ぎ、藩の防衛と財政維持に努めた。
西洋技術の導入を図り、砲術や測量術などを取り入れた。
領民の教育や産業振興にも関心を寄せ、藩校や製塩業の振興を支援した。
1848年に若くして没し、淀藩の近代化への試みは後世に影響を残した。
1827年
文政
3月2日
稲葉正誼
淀藩主
1848年
生理学者
生理学者
ドイツの生理学者。視覚に関する研究で知られ、「酵素」の語を提唱した。
ドイツ生まれの生理学者。
視覚に関する研究を行い、網膜の視物質「ロドプシン」を発見。
酵素 (enzyme) の語を1878年に造語し、酵素学の基礎を築いた。
ドイツの大学で教鞭を執り、多くの後進を育成。
生理学と生化学を結びつけた先駆者として高く評価される。
1837年
ウィルヘルム・キューネ
生理学者
1900年
第23代陸軍大臣
第23代陸軍大臣
明治期の日本陸軍軍人。第23代陸軍大臣を務めた。
明治・大正期の日本陸軍軍人。
陸軍士官学校を卒業後、歩兵部隊などで指揮を執る。
第23代陸軍大臣に就任し、陸軍の行政・人事を担当。
軍と政界の連携に尽力し、軍事政策に影響を与えた。
晩年は後進の指導や軍事顧問として活動した。
1860年
安政
岡市之助
陸軍大臣
1916年