1950年
XA2D 1 スカイシャーク艦上攻撃機が初飛行を行う。
北米航空のXA2D-1スカイシャーク艦上攻撃機が初飛行し、プロペラ機最後期の一翼を担いました。
1950年3月26日、米国北米航空社によって開発されたXA2D-1スカイシャーク艦上攻撃機が初飛行を成功させました。革新的なターボコンパウンドエンジンを搭載し、従来のレシプロ機に比べて高性能を目指した設計です。しかし、エンジンの信頼性問題が壁となり、本格配備には至りませんでした。スカイシャークは試作機のみが製造され、ジェット機への移行を促す結果ともなりました。最後期のプロペラ駆動艦上機として航空技術史に名を刻んでいます。
1950年
XA2D-1 スカイシャーク艦上攻撃機
1958年
エクスプローラー計画: アメリカで人工衛星「エクスプローラー3号」を打ち上げ。
米国のエクスプローラー計画で3号衛星が打ち上げられ、宇宙環境調査を進めました。
1958年3月26日、米国はエクスプローラー計画の一環として人工衛星エクスプローラー3号を打ち上げました。衛星はコーリオリスロケットで打ち上げられ、大気圏上層と宇宙空間の境界領域を調査しました。放射線帯のデータ収集や微小隕石の検出を目的とし、先行した1号・2号の成果を補完する役割を担いました。探査データはヴァン・アレン帯の研究に寄与し、初期宇宙科学研究を大きく前進させました。エクスプローラー3号は約五ヶ月間にわたり軌道上で運用されました。
エクスプローラー計画
エクスプローラー3号
1958年
パラメトロン計算機PC 1が完成。
日本独自のパラメトロン方式計算機PC-1が完成し、国内コンピュータ技術の礎を築きました。
1958年3月26日、日本初のパラメトロン方式を用いた計算機PC-1が完成しました。パラメトロン素子はトランジスタに先立つ独自の論理回路で、故障率の低さが特徴とされました。PC-1は東京大学工学部などの研究機関での科学技術計算に用いられ、日本の電子計算機開発史に重要な一歩を刻みました。その設計思想は後続機種や商用コンピュータの研究に大きな影響を与えました。この成果を受けて次世代機の開発が進み、日本のコンピュータ産業発展に寄与しました。
パラメトロン
1969年
航空自衛隊の自動警戒管制組織(バッジ・システム)が始動。
航空自衛隊の自動警戒管制システム(バッジ・システム)が運用を開始し、空域警戒能力が飛躍的に向上しました。
1969年3月26日、航空自衛隊は自動警戒管制組織(通称バッジ・システム)の運用を正式に開始しました。このシステムはレーダー情報を自動的に収集・解析し、飛行機やミサイルの動きをリアルタイムで追跡できる高度な管制ネットワークです。導入により有人航空機の識別やスクランブル対応が迅速化され、日本の領空防衛能力が大きく強化されました。その後、システムは継続的にアップデートされ、現在の現代的な防空網の基盤となっています。バッジ・システムは現在に至るまで進化を続け、日本の領空監視体制の基礎を築きました。
1969年
航空自衛隊
自動警戒管制組織
1980年
アリアンスペース設立。
1980年3月26日、欧州共同体支援の商業宇宙打ち上げ会社アリアンスペースが設立された。
アリアンスペースは欧州共同体加盟諸国とESAの支援を受け、1980年3月26日に設立されました。
同社は商業衛星打ち上げサービスを提供し、アリアン1号をはじめとするロケットを運用しています。
1984年には世界初の民間商業衛星打ち上げに成功し、市場での信頼を獲得しました。
その後もアリアン5号やヴァガン装置など技術革新を重ね、世界市場で大きなシェアを占めています。
ヨーロッパの宇宙産業発展と国際競争力強化に寄与してきた企業です。
1980年
アリアンスペース
1985年
南極にあすか観測拠点開設。
日本の南極地域観測隊が、昭和基地に次ぐ観測拠点として「あすか」観測拠点を開設しました。
日本の南極地域観測隊(第27次越冬隊)は、昭和基地から約350km離れたプリンス・オラフ・コースト沿岸部に「あすか」観測拠点を設置しました。ここでは氷床掘削による地質調査や気象観測、地磁気・放射線測定など多岐にわたる研究が行われ、南極の自然環境理解に大きく貢献しました。拠点は過酷な気象条件下での長期観測を可能にし、得られたデータは後続の観測計画や基地運営に生かされました。1991年には閉鎖されましたが、その成果は継承されています。
1985年
南極
あすか観測拠点