大同2年2月13日
『古語拾遺』が上梓される。
平安時代初期の辞書『古語拾遺』が編纂・出版され、日本の言語文化が体系化されました。
『古語拾遺』は807年3月25日に上梓された平安時代の辞書です。
当時の日本語語彙を集大成し、後世の文献学研究に大きな影響を与えました。
編者や詳細は不明な点も多いものの、当時の宮廷文化や用語の理解に貴重な資料となっています。
漢字にもとづく仮名交じりの表記が見られ、平安時代の言語実態を知る手がかりとなります。
現在も国文学や歴史学の研究で引用される重要文献です。
807年
大同
2月13日
古語拾遺
天徳2年3月3日
大宰大弐小野好古が、大宰府で曲水の宴を創始。
大宰府で廷臣らが曲水の宴を初めて開催し、詩歌を楽しむ雅宴が始まりました。
958年3月25日、小野好古は大宰府で曲水の宴を創始しました。
曲水の宴は中国の雅宴を模したもので、流水の上に盃を浮かべて詩を詠み交わします。
貴族たちは歌を詠んで盃が手元に来る前に飲み干す遊戯を楽しみました。
この催しは平安時代の貴族文化に広がり、宮廷の風雅を象徴する行事となりました。
現代でも各地の祭りや行事で再現され、伝統文化として受け継がれています。
958年
天徳
3月3日
小野好古
曲水の宴
1943年
黒澤明の初監督作品『姿三四郎』が封切り。
黒澤明監督の長編映画デビュー作『姿三四郎』が封切られた日です。
1943年3月25日、のちに世界的評価を得る映画監督・黒澤明の初監督作品『姿三四郎』が公開されました。主演は俳優・三船敏郎の映画初出演作でもあり、剣道を題材にしたドラマが展開されます。脚本も黒澤明自身が手がけ、映像表現やストーリーテリングの才能が随所に見られます。撮影は当時の戦時体制下で行われ、資材不足や検閲の制約がある中での制作でした。興行的にも一定の成功を収め、黒澤明のキャリアの出発点となりました。以後、彼は世界的な名声を得る作品を次々と生み出していきます。
1943年
黒澤明
姿三四郎
1943年
日本初の長編アニメーション映画『桃太郎の海鷲』が劇場公開。
日本初の長編アニメーション映画『桃太郎の海鷲』が劇場公開された日です。
1943年3月25日、東宝動画研究所(後の東映動画)が制作した『桃太郎の海鷲』が公開されました。日本初の長編アニメーションとして制作され、物語は桃太郎一行が海鷲を指揮して悪と戦う冒険譚です。製作総指揮は海軍省が務め、戦意高揚のための宣伝映画的要素も含まれていました。作画や背景美術には従来の実写映画の技術が応用され、手描きアニメーションの可能性を広げました。興行収入は限定的でしたが、日本のアニメーション産業の黎明期を代表する作品として知られています。
桃太郎の海鷲
1989年
みなとみらい21地区で横浜博覧会 (YES'89) 開催。10月1日まで。
横浜のみなとみらい21地区で国際博覧会「横浜博覧会 (YES'89)」が開幕。
都市の新しい魅力を発信しました。
1989年3月25日、横浜市の新興地区「みなとみらい21」で横浜博覧会 (YES'89) が開幕しました。
会期は同年10月1日までの予定で、国内外から多くの来場者を集めました。
展示テーマは「未来の都市」を掲げ、最新のテクノロジーや文化交流を紹介しました。
会場周辺では都市開発が加速し、商業・観光施設の整備にも寄与しました。
博覧会を契機にみなとみらい地区は横浜の新都心として発展しました。
1989年
みなとみらい21
横浜博覧会
10月1日
2005年
2005年日本国際博覧会(愛知万博、愛・地球博)が開幕。
2005年3月25日、愛知県長久手市で「愛・地球博」が開幕し、環境共生をテーマに開催。
愛・地球博はテーマ「自然の叡智」を掲げ、121か国・国際機関が参加しました。
バブル崩壊後初の大規模国際博覧会として、2200万人以上の来場者を記録。
先端のエコ技術や伝統文化、各国パビリオンが集結し、多彩なプログラムを展開。
開会式には世界中から要人が訪れ、地球環境問題への関心を喚起。
日本のものづくりや文化発信の舞台としても高く評価された国際イベントです。
2005年
2005年日本国際博覧会